独り言 その九百五十五

 大きいだけの鈴蘭です。

 先日の褐色集会を見ていて、久し振りに三国志に絡む(?)ネタを一つ思いつきました。
 大した話でもありませんが…宜しければ、少しお付き合いくださいませ。



 三国志演義において、絶大な人気を誇る登場人物の一人に、天才軍師の『諸葛亮』がいます。
 英雄として名高い彼ですが、彼を大きく扱う三国志演義でも、あまり彼の私生活には触れていません。
 その為か、意外と知られていませんが…彼には奥さんがいました。

 若い頃、諸葛亮が住んでいた河南郡の名士、黄承彦(こうしょうげん)の養女…黄月英(こうげつえい)がその人です。

 晴耕雨読の慎ましい暮らしの中で、いい歳になった諸葛亮。
 そろそろ結婚でも…と、相手を探していたところ。
 それを聞きつけた黄承彦が

 『君は妻を探していると聞いたが、私には娘がいる。赤毛で色黒の不美人だが、才知の方は君とお似合いだ』

 …と、自身の娘を勧めてきたのだそうです。
 しかし、いくら世話になっている恩人の勧めであっても、受けるべきか迷いもあったようで。
 どんな人なのか、実際に会って確かめてみようと、諸葛亮は黄月英を訪ねることにします。

 ところが、この黄月英。
 縁談のある相手を応対するのに、自身を飾るどころか、顔に墨を塗って諸葛亮の前に現れ

  『こんな嫁で宜しいか?』

 …と、問うたそうです。



 これを見た諸葛亮は、『是非お願いしたい』と笑って答えたのだとか。



 当時、巷では黄承彦の養女が変わり者で、不美人であることは有名だったようで…。
 諸葛亮が黄承彦の娘を娶る事になったのが知れると

 『孔明の嫁選びを真似るなかれ、阿承(黄承彦)の醜い娘をもらう羽目になるぞ』

 …という、茶化す言葉を作って流行らせたのだそうです。
 当時は天災や内乱が頻発し、先の見えない、暗い世相だった筈なのですが…。
 なんというか…暢気なものですね…;
 或いは、これが古代中国人の真骨頂なのでしょうか。

 黄月英には悪い気もしますが…そんなところに、面白さを感じてしまいます。



 …ただ。



 残念なことに、こうした話の多くは、後年に作られた創作であるといわれています。

 特に女性に関しての話は、当時の公的な記録に記載が少ないのですね。
 これは、当時の中国の社会において、女性の社会的な地位が低かったことに起因していると思われます。

 王族であれ、女性で自分の名を持っていた人というのは稀で。
 三国志演義において、蜀の劉備に嫁いだ呉の王の妹は『孫尚香』という名前で呼ばれていますが…。
 この名前は、京劇において三国志が扱われる中で生まれた、創作だと知られています。
 史実では、孫家から嫁いできた女性…ということで、『孫夫人』と記されているだけです。

 『黄月英』に関しても、同様に京劇での名前であり、後世の創作なのですが…。
 しかし、彼女の養父が娘を指して『赤毛で色黒の不美人』と言っていたのは、史実のようです。
 (容姿に関しては諸説あり、白髪頭だったとも)

 ここで面白いのは、彼女の出自について。

 彼女は前半生についての記録がないために、この養父の言葉から『もしかしたら』という異説があるそうです。

 当時の中国は後漢が治めていました。
 前漢の武帝の時代から、積極的な対外政策を推し進め、中国の西方地域…所謂『西域』の経営に腐心するようになり。
 前漢から後漢への過渡期には一時期途絶えることもありましたが、西域…東トルキスタン(タリム盆地)一帯に栄えた国々と、長年に渡って盛んに交易をしていました。

 この西域と中国を結ぶ玄関口に、『楼蘭』という王国があったと言われています。

 記録が少なく、楼蘭の場所は定かではありませんでしたが…近世になって遺構が発見され、更に30年ほど前に一体の女性のミイラが発見されて話題になりました。
 科学的な年代測定の結果、3800年前に埋葬されたと判明したものの…保存状態がよく、生前の面影を残した彼女は『楼蘭の美女』という異名で呼ばれています。

 この美女の発見によって、古代の西域について分かってきたことがあるそうなのです。

 …それは、人種の混血の進み方。
 古い時代から中央アジアやヨーロッパ、中国やインドといった地方から人が流入して混血が進み。
 この地域には、現代的に整った顔立ちをした人が…所謂『美人』が多かったのではないか…とも、言われています。

 そして、黄承彦の養女である黄月英は、この西域からやってきた隊商に連れられてきた子供だった、という説があるのだそうです。

 黄承彦は娘の容姿を『赤毛で色黒の不美人』としましたが。
 この言葉…『赤毛』で『色黒』だから、娘は『不美人』だ…という解釈もできるのですね。

 古来、中国の上流階級においては、人の生まれ持った容姿というものが重要なステータスになっていました。
 宮廷で出世するためには、男性であれば『美男子』でなければならなかったのです。
 背が高いこと、太っていること、顎髭が豊かであること…中国的な美形の条件を満たしているかどうかで、人の価値が左右されていたのです。
 そうした社会において、中国人が持ち得ない身体的特徴を持つ娘は『美人』とは言えない。

 …では、中国の社会の外から見たら…?

 これは、そんな『もしかしたら』のお話です。



pso20160913_111744_001.jpg
                           (C)SEGA
〒 〒
(´・ω・`)

そう…だから、私の時代も何れ来るに違いない…。




 過去は過去のまま、変わることはない。

 …決して、そういう訳ではありません。
 過去を知る私たちは、過去の何を知って、過去と呼んでいるのでしょうか?
 自身の知らないことは幾らでもあるのです。 

 知ることで、過去は過去のまま、変わっていく。

 そこに得はないかもしれませんが。
 糧になるものはあるかもしれません。

 …こういう事に触れ、アレコレ考えるのは意外と楽しいものですよ(´・ω・`)?

スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する