独り言 その九百四十九

 大きいだけの鈴蘭です。

 無学なもので、ほんのつい最近まで知らなかったのですが…。
 日本には、ずっと『東京は日本の首都なのか?』という議論があるのだそうですね。

 最近、ネットで『外国人がショックを受ける東京の真実』みたいな見出しで取り扱われており。
 それを見た日本人の私が、逆に『え…そうなの(´・ω・`)!?』と驚く始末です;



 …そんな訳で調べてみました。



 そもそも…『首都とは何を指している言葉なのか』というものが、日本では明確にされていないそうです。
 言葉として『首都』というものはありますが、この言葉が広く使われるようになったのは第二次世界大戦後からのことで。
 それまでの明治~昭和の時代では『大日本帝国の都』ということで、『帝都』という言葉が使われていました。

 どのような条件を満たせば『首都』なのか。
 現在の日本には『首都』を規定する、明確な決まりがありません。
 かつては首都圏のインフラ整備のための法律が存在しましたが…今はそれも役目を終えて廃止されており、現状では何処を指して『首都』なのかは曖昧です。

 …ただ、国会召集の詔書では、国会の所在地を『東京都千代田区霞が関二丁目及び三丁目並びに同区永田町一丁目及び二丁目の区』と明示しており。
 最高裁判所、行政府における公文書にも『東京都千代田区~』の記述があることから、三権の最高機関が東京を所在地とする事を前提にしていることは明らかです。
 このため、国の主要な機能が集中している都市である以上は、『首都』に値するのではないか…と、諸外国に認識されているようです。

 地図などで日本の首都を東京としているのは、この認識の為で。
 特別、誰かが決めてそうなっている訳ではないそうですね。

 明文化されている公式文書を元に『首都』を定めるとすると、日本の場合は歴史的に見て『天皇の御座所の所在地』が一つの要件になるのですが…。
 面白いのは、この点に注目してみると以下の様な話が出てきます。

 794年12月4日(延暦13年11月8日)に桓武天皇によって平安京(現在の京都市中心にあたる)への遷都が行われて以来、遷都に関する宣言は出されておらず、また大日本帝国憲法を始めとした旧法令や日本国憲法を始めとした現行法令のいずれにおいても、「日本の都が何処であるか」という点については謳われていない。
                                             Wikipedia『日本の首都』


 つまり…この1200年ほどの間に、『京都から天皇の御座所を移す』という正式な決定はされていない…と、見ることができるそうです。
 太古の昔に京都を首都と定めて以降、公には今も変わることなく、京都が首都である…と。

 明治時代に明治天皇は東京に移っていますが…。
 この際に、遷都の宣言は出されていないんですね。

 これは…当時の国内情勢が不安定であったことも原因だったのではないかと思われます。
 当時、明治政府の要請に、公家を中心にした反対派が東京で挙兵し、天皇を京都に連れ戻そうと画策していたとも言われています。
 こうした反対派に配慮する形で、遷都ではなく行幸の形に…と、したのかもしれません。



  でも、それが今の今まで続いてるとは思ってなかったよ(´・ω・`)



 …当たり前と思っていても、実はそんなことはない。
 これもその一つ、ですね…;



■考えすぎ?

 家にあれば笥に盛る飯を草枕旅にしあらば椎の葉に盛る

 有間皇子が反乱の疑いで拘束され、流刑地に送られる道中で詠んだ歌とされます。

 『家では器に盛って食べていたご飯を、草を枕にするような旅の途中であるので、今は椎の葉に盛って食べている』

 …この歌は、道中の侘しさを表していると同時に、家に残してきた妻を思って詠ったとも言われています。
 一見、簡素にも見えるこの歌を物悲しく感じるのは、そうした皇子の籠められた思いの為かもしれません。



 この歌にある『草枕』とは、当時は『旅』の枕詞として使われており、これ単体では用いられない言葉だったそうです。
 しかし、後年になって『草枕』そのものが『旅』を指す言葉へと変化したのだとか。

 …ただ、この歌が元になった為なのか。
 『草枕』の指す旅は、大勢で楽しむような、賑やかな…華やかな旅ではなく。
 思索の機会を求め、趣きを心に染み渡らせるような…『一人旅』に用いられるのが常なのだそうです。
 夏目漱石の『智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい』と結ばれる小説『草枕』は…果たして、そんなものを汲んでのことなのでしょうか。



 以前に、ここで徳川家康の遺訓について触れたことがあったかと思いますが…。

  人の一生は重き荷を負いて遠き道を行くがごとし、急ぐべからず

 これは、人の一生を旅に例えたものでした。
 この旅もまた、草枕…一人旅を指していると思われます。

 一生は、その当人にしか旅することが出来ません。
 幸運にも道連れを得ることが出来たとしても。
 道を並んで歩くことは出来るかもしれませんが、自分の代わりに旅をして貰うことなど出来ません。
 選びとったものを手に、自分自身の力で道を進まないことには、旅にはならないのです。
 自分には重いからといって、得難いそれを手放してしまっては、旅にはならないのです。

 でも、あるいは…そうは言っても、こんな話では実感が湧かないかもしれません。

 なので、もっと身近に考えてみてください。
 日常では得難い経験をするのが、旅というものであるというのなら。
 私たちアークスの日々もまた、草枕なのだ…と。

 現実であれ。
 仮想であれ。

 何れであっても、必要とされるものに変わりはない。
 …それを、私たちは知っているはずではないでしょうか?
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