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独り言 その九十二

 大きいだけの鈴蘭です。


 仲のいい人…というのは、どういう人を指すんでしょう?
 このゲームでは、フレンドとチームというカテゴリで人を分けられます。
 このカテゴリに入る人が『仲のいい人』なんでしょうか。

 このカテゴリに入ることでコミュニケーションの選択肢が増えるのは確かです。
 ですが、それは『仲のいい人』と使う為のものとも限りません。

 『便利だから』と非常に散文的に、作業的に手間が掛からなくなるから…という理由で、そのカテゴリを使う人も居ます。
 或いは、そうした理由の方が多いのかも知れません。

 フレンドリストに載れば、WISやメール、GJを簡単に送れます。
 イン状況、いま何処に居るのかも判ります。
 その人とより繋がりやすくなる。
 そうした便利さが、このカテゴリにはあります。

 しかし、その便利さ。
 『何時でも繋がる事が出来る』という気安さに溺れてしまっては…とも思います。

 人と仲良くなる為に。
 以前、『分かち合う』…なんて書きましたが…。
 この便利さは、何時でも繋がることは出来るかも知れませんが、何時でも何かを分かち合えるものではない、と思います。

 繋がるだけで人と分かり合えるものでもありません。
 何時でも繋がることが出来る。それは仲の良さと必ずしも同義ではないと思います。
 それは目的のための手段がある、というだけのことではないか、と。

 繋がった先にあるものを分かち合ってこそ…そう思うのです。
 リストに載った…だから仲良し…ではなく、そこから改めて始まるものだと思う鈴蘭です。


 日々、フレさんと同じ時間を過ごす。
 それは間違いなく、楽しみの一つです。
 しかし、その一方で安易に繋がることが出来る人だけを、日々選んではいないか?
 話したいと思っている人、会いたいと思っている人を蔑ろにしてはいないか?

 カードを交換した相手。
 フレンドリストに載れば、選択肢の一つ…記号に変わります。
 しかし、相手にとっての自分がどうであるか。
 自分にとっての相手がどうであるのか。
 それを思えば、ただの記号では有り得ない筈です。

 それがただの記号にしか見えないというのなら。
 たとえ気安く繋がることが出来たとしても。
 それは自分にとって『仲のいい人』ではないのではないでしょうか。




 毎度、自分の文才の乏しさが恨めしい…><。





 最近、ちび鈴のマグを育てるのに必要な餌を買い求めに、マイショップを利用します。
 商品を買うと、売り手にGJを送ることが出来ますが…。
 先日、売り手の方から『ブログ読んでますよ』のGJコメントを頂いて、自分が惰性でGJコメントを返していること、ショップ利用のGJを面倒だからと送らなくなったのが当たり前になっていることに気付きました。

 簡単に出来るから…といって、それは軽んじて良いものではない。
 GJを日々活用していると言いながらの、このテイタラク。

 我ながら情けない…そんな風に考えた一日でした。

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