独り言 その九百二十四

 大きいだけの鈴蘭です。

 先週一週間は、予告緊急に徒花が少なく。
 丁度レイシリーズのコレクトシートを抱えていた鈴蘭は、一向に埋まらないマスを眺めて途方に暮れるばかりでした。

 頑張れば目に見える形で評価され、望む結果が得られるのがコレクトの良いところですが。
 これを頑張っても絶対に手が届かない…と、突き放されるのもコレクトというものです。

 先週はずっと、コレクトを前に無力感が鈴蘭を包んでいました…。

 …しかし。

 報酬期間に突入すると同時に徒花の回数が激増。
 レアドロブーストの効果もあって、面白いようにコレクトが進みます。

 不自由を感じていた直後の事でもあったので、尚の事、その感動が大きいのでしょうね。



 空腹は最高の調味料である。



 今の鈴蘭を表すに、これほど相応しい言葉はないかもしれません。

 満たされるという事が如何に幸福な事であるのか…。
 それは、飢えを知らねば理解できないでしょうから。

  …そう、私は飢えていた(´・ω・`)

 全く…端的に真実を突く言葉です。
 だからこそ、日常の中でも用い、用いられ。
 誰もが、この言葉を当たり前としながらも、むしろ陳腐さを感じてしまうのかもしれません。

 …そんな言葉に、こんな疑問を持つのは間の抜けた話かもしれませんが…。

  …そもそも、誰が言い出したんでしょうね(´・ω・`)?

 気になったので、ちょっとネットで見てみると…どうも、紀元前100年頃の古代ローマ共和国の政治家、マルクス・トゥッリウス・キケロが用いた言葉が最古(?)のようです。

 この人は…西洋にギリシア哲学を導入し、後世の思想に多大な影響を及ぼしたとされる人…らしいですね。
 …思想や哲学というのは、自分には難しくてサッパリなもので…この方がどれほど凄いのか、皆目見当もつかないのが恥ずかしい話ですが;

 でも…この言葉から、少なくとも二千年以上の昔から、人の考えることに大きな違いは無かったのだと思える訳で。
 偉大とされる先人であっても、私たちに身近な感覚を持っていたというのは、何処か親近感を覚えますね。



― ◆ ―




 さて…メンテ明けからの報酬期間。
 装備更新に余念がないフレさんも数多くいらっしゃいますが…。
 そうした人たちを対象にしてのことでしょうか。
 『アークス「プレイマナー」講座』の第3回目が掲載されました。

 今回もアッシュ君が遭遇したケースを事例に、講義がされていますが…。
 思えば、このアッシュ君…輝かしいアークスの第一歩目にして、リアル・マネー・トレードに誘い込まれそうになり。
 二回目にはアカウントハックの被害に遭うという…。
 タイトルには『マナー:行儀・作法』と冠しつつも、語義とは微妙に違う講義内容の為に、いつも散々な目にあっています。

 …そして迎えた、第三回目。

 『第3回 アッシュ君、プレイマナーを学ぶ

  …って、あれ(´・ω・`)?

 三回目の講義タイトルが『プレイマナーを学ぶ』…?
 …これって、前の二回はプレイマナーではなかったと公式に認めることになるんじゃ…。

 …ま、まぁ、遊ぶ上で知っておいて欲しい事には違いありませんでしたし。
 言葉の上でどうこう言うのは野暮というものかもしれませんね;
 大事なのは、広く知ってもらう事…なのですから。

 …ともかく。

 今回の講義の内容は、最近のクエストにおいて特によく見られるケースであるやもしれません。
 私自身、この独り言で以前に『山登り』に例えようともしましたが…。

 …皆さんは、どう思われるのでしょう?

 鈴蘭としては、運営が今のアークスの置かれた状況を憂いてのことであろう…と、理解していますが。
 …ただ、これを評価するか…と言われると、少し考えるべきところがある…とも思うのです。

 先のキケロが残した名言に、こんなものがあります。



 人の失敗について口を出す必要はない。
 ただし、他人が悪いことをしようとしている時に黙っていてはいけない。




 …これは、私なりの解釈ですが。

 失敗した人に向かって、『こうすべきだったのに』と責めたところで、既に出てしまった結果は変わりません。
 何が悪かったのか。
 それが、時の運と呼ばれるような不可抗力であるならば、そもそも何を言っても始まりませんし。
 責任の所在が明確であるならば、それは当人に言うまでも無い、蛇足というもので。
 当人が無自覚というなら、言ったところで自省を望めるものでもないと思います。

 結果はそれぞれが受け止めて、それぞれが消化すべきもので。
 求められもしない解釈を無闇に示すのは、状況への理解を深める機会を奪いかねません。
 自分の行動、選択の出発点と終着点。
 それぞれを自分自身で考えるようにしなければ…何れは、人から示されるものを受け入れ、『分かったつもりになる』だけになってしまいます。
 自分自身で試行錯誤を繰り返す。
 …それが、何よりも大事だと思うのですね。

 キケロの言葉にある『悪いこと』とは、『失敗が明らかな間違った選択』ではなく。
 試行錯誤の中で道義や規則に反する方向に行くこと…アッシュ君がリアル・マネー・トレードをしそうになったような…を指しているのであって。
 いかなる失敗も未然に防ぐべきだ、と言っているのではないと思うのです。



 …こうしたことを『推奨されたから気を付ける』…という環境は。
 やはり、どこか歪なのではないか。
 …そんなことを考える鈴蘭です。

 言葉が足りないようにも思うのですが、書き表せば形が変わってしまうようにも思え。
 今回のところは、ここまでとしたいと思います。
 言葉って難しいなぁ…(´・ω・)=3




■コメントのお返事
>うにゃさん
 コメントありがとうございます。

  〒 〒
 ( ´・ω・)
 (つ[鍋]と)


 大丈夫。
 わんこもにゃんこも食べはしません。
 この鍋に入る人は決まっているから…。
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