独り言 その九百六

 大きいだけの鈴蘭です。

 今日はチームメンバー数人で、少数による幻創戦艦大和の討伐に行ってきました。

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            (C)SEGA

 …今更、と思われるでしょうか?



 いえいえ…。



 行ける機会を得られたことこそが嬉しいのですよ。



■考えすぎ?

 蘇軾(そしょく)…号の蘇東坡(そとうば)という名前の方が有名かもしれません。
 日本でも有名な『三国志』の古戦場において、その当時を偲んで残したとされる名文、『赤壁賦』の作者と言われています。
 後世に優れた詩や書を数多く残しており、北宋時代最高の詩人とされているのだとか。

 …そんな彼が残した言葉に、絵を描く際のコツを表したものがあります。

  竹を画くには、必ず先ず成竹を胸中に得
                    蘇軾 『篔簹公偃記(うんとうこくえんちくのき)』
 
 竹の絵を描くとしても、その手に筆を執る前に、まず自分の頭の中で竹のイメージを明確な形にして、描き上げる時には竹をしっかり見据えて、一息に迷いなく描きなさい…という言葉です。
 これは、水墨画における極意の一つとされるものだそうで。
 一度墨を置いてしまえば、やり直しが利かない水墨画ならでは…と言えるかもしれません。
 何故なら、現代ではパソコンを使ったイラスト作成が増えており、古代には考えられもしなかった…作業時間の巻き戻しまでもが可能になりましたから。
 この点だけを見れば、現代では古代のように一息に描く必要性は低くなった…と、言えるのかもしれません。
 …しかし、どれだけ技術が進んでも、人にとっての大事が変わるわけではなく。

 事に当たる前に、先ず何をすべきかを考える。

 今も昔も、そこに違いはないと思います。



 実際に事に臨んでみて、初めて気付く点もあるでしょう。
 『こんな事態は考えていなかった』という事は、一度や二度は経験するものです。
 人の目に見える範囲、考えられる範囲には限りがあり。
 現実の世界は、人の考えている以上に広いのですから。

 自分の考えの狭さと、現実の広さとを知り。
 その狭間で迷いながらも最善の方法を探すことで、人は経験を得て、成長をするのだと思います。

 自分の考えていたこと以上の、現実を知る。

 …そうして初めて、自分が現実の何処を見ていたのか…自分というものの居場所と、向いている方向を知ることが出来るのでしょうから。



 もし仮に、速さを求め、考えるよりも前に行動に移したとしても。
 自分というものの出発点を定めないままでは、どれだけ自分が進んだのか…その判断がつきません。

 ただただ、前へ前へ。

 しかし、それを繰り返すばかりでは、どれだけ先を望もうとも人は成長しないのではないか。
 …そうも思う鈴蘭です。



 先の蘇軾の言葉は、古代中国の英雄『項羽』と『劉邦』について触れた文の中で出てくるそうです。

 秦の崩壊後、古代中国を統一した漢。
 この統一帝国を興したのは劉邦ですが…貧しい農家に生まれた彼の世間での評価は低く、良く言って『ごろつき』といったところでした。
 時流に乗って、戦乱の世に頭角を現しはしたものの。
 当初は、世間で名望を集めていた、貴族出身の項羽が戦乱を収めるに違いないと期待されていました。
 しかし項羽は、天運に味方され幾度となく天下を手にする好機を得ますが、その尽くを自身の誤った判断で逃しているのですね。

 彼は、或いは…人から賞賛を受けるほどに、竹を上手に描くことはできたのかもしれませんが。
 自分の中に、自分が描きたいと思う竹の姿を持っていなかったのかもしれません。

 一方の劉邦は、項羽とは対照的に、自身で描く竹の絵はサッパリだったのかもしれませんが。
 自分の中に、自分が描きたいと思う竹の姿をはっきりと持っていたのかもしれませんね。

 

 自身の手で上手に竹を描ききる事は、大事には違いありません。
 しかし。
 筆を手にする前に、自身の中に在るモノを、もう一度確かめてみてはどうでしょう?

 もしかすると…自分が描くべきものは、別の姿をしているかもしれません。


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