独り言 その八百三十

 大きいだけの鈴蘭です。

 先週末は、月に一度の『褐色集会』の日でした。

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          (C)SEGA

 いやはや…。
 ご覧のように、今回も盛況でした。

 しかし…撮影したSSを見返すに、流石は各種イベントの常連さんが多いだけあって…色々な服を着こなしておいでなのが分かります。

 それに引き換え…鈴蘭は、懐事情の都合もあって…レイヤリングウェアには、あまり投資をしていません。

  …関心がない訳ではないのですが(´・ω・`)

 買い揃えるとなれば、纏まったお金が必要になりますし、鈴蘭のスタイルでは、そうそう大金を準備できるものでもありません。
 身の丈に合った遊びを…そう思う鈴蘭です。

  …貧乏人は麦を食うのよ(´・ω・`)モッキュモッキュ

 何れ、これという服が見つかったら…頑張りますかな;



ー ◆ ー




 今回の集会には、終焉が被っており。
 集会参加者でマルチを編成し、地下探検をしてきました。

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          (C)SEGA

 折角の機会。
 有効に活かしたいとも考えていたのですが…。
 やはり、こうした場で臨機応変にネタを提供するだけの機知に乏しく…『何かしよう』というのも、鈴蘭には荷が重いですね;

 ただ。
 何も私一人でマルチを操る訳ではありません。

  誰かがいればこそ。

 …そう考えられるのであれば。
 自ずと見えてくるものもあります。

 それに忠実であれば、何れ理解も得られるでしょう。
 …きっと。



 今回は、PSO2自体を始めて間もない…という、新規さんも会場にいらっしゃいました。

 こうした方にこそ。
 『人と遊ぶ』という可能性を感じて貰えたら良いのですが…。

 機会があれば、何れまた。

 …それを期待するのも、イベントの楽しみのうち…でしょうね。



  …また宜しくですよ(`・ω・´)ゞ



■考えすぎ?

 山田 方谷 やまだ ほうこく
 幕末に備中松山藩(現在の高梁市)において、元締役…現代の財務大臣に相当…を務めた人物です。
 彼が元締役に就任した時、現在の価値に換算して年1億円足らずの返済能力しか無い藩が、約100億円という莫大な借金を抱え、破綻寸前という状態でした。
 およそ財政再建など不可能と思われた状況において、彼は様々な改革に取り組んで財政の立て直しを図り…8年ほどで借金を完済してしまいました。

 彼は、自身が推進した藩政改革について度々、士族階級からの批判を受けました。
 しかし、彼は『国の大元は民衆であり、民衆に最大限の利益を還元することこそが本来。これは、一部の士族だけが利益を得る為の改革ではない』と、一顧だにしなかったそうです。
 それは彼自身も例外ではなかったそうで…。
 財務大臣という要職にあり、功績を立てながらも昇給を拒否。
 更に財務大臣の就任中は自身の資産を一般公開して、当時蔓延していた不正の根絶に率先して努め、逆に自分の資産を減らす程の慎ましい生活を送ったのだとか。



 古代中国、明代の儒学者で王陽明という人が居ました。
 知行合一、致良知の説(良知(是非・善悪・正邪の判断力)を養って、知識と実践とを一体化すべきだとするもの)を唱え、これを『陽明学』と称したそうです。

 山田方谷は、この『陽明学』を修め、実践した人と言われています。



 その『陽明学』の考え方を説くのに、山田方谷が語った『鏡の説』というお話があるそうで…。



  鏡の説

 ある山奥の村人は『鏡』というものを見たことがなかった。
 物好きの者が村人に鏡を見せたところ…。
 老人は鏡に写った自分を、仲の良かった兄の霊と思い、鏡を抱えて号泣した。
 また、別の者に鏡を見せたところ、鏡に写った自分を仲の悪い弟が来たと思い、手に矛を持って立ち向かうと、鏡の弟も矛を持ち出したとますます怒り、鏡を一撃し粉々にしてしまった。

 そもそも天地は一つの大きな鏡である。
 宇宙のありとあらゆるものは天地の鏡に写る姿である。

 人がこの世に対処し、自分の前に現れるものは自分の心やからだの姿ではないか。
 喜び・怒り・楽しみ・心配・愛・憎しみに心身を悩ますならばとどまるところがない。

 自分で反省して、心身に向かって愚かさの原因を求めるべきだ。

                         【出典:山田方谷に学ぶ財政改革 関西方谷会



 自身と他人を比べて、違いを求め。
 自身と他人の違いに、優劣を定め。

 その優劣の理由を、他人に被せる。
 自分が責任を負わないそれは、簡単な…安易な物事の解決方法です。

 …しかし。

 そうした安易な解決を図ったところで。
 今、この瞬間は良くとも。
 結局は、楽を求めた分は自分自身に返ってくるものではないか…と、思います。

 相手の悪い部分を見るのは、自分自身。

 それは、自分自身が『悪い』と思うからこそ。
 相手の姿に、それを見付けられるのであって。

 他人事のように『悪い』とするだけで、物事を済ませられるものでしょうか…?



 自身が物事を見る目を養うからこそ。
 養おうとするからこそ。

 人の姿に、本当のものを見る事が出来るのではないか。

 …そんな事を思った鈴蘭です。
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コメント

  • 2016/03/14 (Mon)
    06:30

    麦飯は今はむしろ高いw

    褐色集会ではそういう事もやってるんですね~。
    始めたばかりと言う人とのレベル差は大丈夫だったのかしら?
    私もそう言う場で何かする事は出来そうに無いので上手くできる人が羨ましいです。

    黒羊 #- | URL | 編集

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