独り言 番外

 大きいだけの鈴蘭です。

 今日は仕事のお休みを頂けたので、アークスの鈴蘭として夜を迎えます。
 常であれば独り言はお休みですが…。
 アークスシップで少しばかり、鈴蘭なりに触れておきたいことがあるようにも思い。
 今夜は番外として、少しばかりの独り言を。



 …昔の話になりますが。
 私はモノを作る仕事に携わり、人の下で勉強をしていた時期がありました。

 幸い…というべきか、私はその方向に適性があったのか。
 間もなく、自分自身の考えでモノを作るようにもなりました。

 認められたとはいえ、まだまだな自分でしたが。
 ある時に、自分の作ったものをプレゼンする機会がやって来ました。

 初めてのプレゼンに臨むとき。
 私を指導してくれた先生が、私に言ってくれた言葉があります。 

   『「最後までやったら面白いので、一度試してください」というモノはダメ』

 面白いものは、最初から最後まで面白くできている。
 演出として山や谷があるとしても…たとえ谷底にある場面であれ。
 山へと繋がる面白さが、その谷底に無ければ意味がなく。

 谷底に居るお客に『最後までやったら面白いから』と、先を促す…それは、作り手として最後までの展開を知っていればこその言葉で。
 お客に『今は面白くなくても我慢して下さい』と言うに等しい、その言葉は。
 ただただ、作り手の甘えでしかないのだ…と。

 これは、作り手としての矜持なのでしょうね。



 …ただ…そうして、難しく考えるまでもないことなのかもしれません。

 形あるものを作る人が居て。
 その形から何かを得る人がいる。

 形を間に挟んで、自分が居て…相手が居てこその関係。

 その形が、言葉であったとして。
 言葉が足りないこと。
 相手に配慮が足りないこと。
 …それは、相手に理解を求めるべきことでしょうか? 
 


 少し考えれば、難しいことなど何もなく。
 ただただ、当たり前のこと。

 形を見るであろう人、形に触れるであろう人…。
 そうした、自分ではない誰かのために、大事にすべきこと。

 しかし、小手先の技術しか無かった私は、それに思い至らず。
 相手に甘える結果となり。
 甘えることに慣れて、その状況に心地よさすら覚え。
 結局…今も、きっと相手の好意に甘え続けているのでしょう。



 私の気が付いていない処は、貴方の目にはどう映っているのでしょう?


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