…。
(`・ω・´)
むっ!?
…という訳で。
昨日は手に入れられなかった『クロス』ですが。
近所のショップに急遽入荷した情報を掴み、無事に手に入れることが出来ました。
(´・ω・`)
アンテナを張っておいて正解だったな…!
待てば海路の日和あり。
…そんな一日だった鈴蘭です。
■考えすぎ?
馬鹿 ばか
相手の思考の鈍さ、行動の軽率さを見下して、侮蔑する言葉。
…誰もが知る言葉ではありますが…。
その用法、語源は、私達が知るほどには一様ではありません。
よく、関西の人にとって『馬鹿』は強い侮蔑の言葉であり。
一方で、関東の人にとっては関西のそれに比べて軽く、むしろ親しみを込めた言葉である…と、言われています。
私は関西人ですが、確かに『馬鹿』と言われることには強い侮蔑を感じ、抵抗を覚えます。
同じ言葉であっても。
使う人、受け取る人がそれぞれに解釈を持ちます。
発してから『そんなつもりではなかった』…では、遅く。
先んじて、常に気遣う事が相手との信頼関係を築くのだと…。
そう思います。
…ところで、この『馬鹿』という言葉。
語源は諸説ありますが…中でも広く知られているのが、史記の『指鹿為馬(しかをさしてうまとなす)』の故事でしょうか。
秦の2代皇帝・胡亥の時代のこと。
胡亥の信任をいいことに権力をふるった宦官の趙高は、謀反を企みます。
しかし、宮廷には対立する者も多く、誰が味方なのか分かりません。
そこで、廷臣のうち自分の味方と敵を判別するために、趙高は一策を案じました。
彼は宮中に鹿を曳いてこさせ、『珍しい馬が手に入りました』と皇帝に献じたのです。
皇帝は怪訝に思い、趙高を始めとした廷臣に『これは鹿ではないのか』と尋ねます。
しかし、趙高が左右の廷臣に『これは馬に相違あるまい?』と聞くと、彼を恐れる者は馬と言い、彼を恐れぬ気骨のある者は鹿と答えました。
後に、趙高は鹿と答えた者をすべて殺したのだそうです。
【出典:Wikipedia】
…さて、このお話の中。
『馬鹿』と言われるのは誰なのでしょうか?
この後まもなく、皇帝であるはずの胡亥は廷臣の専横に荒廃していく国を顧みること無く、秦を滅ぼしてしまいます。
一方の趙高は、『指鹿為馬』の策まで用いて味方を増やそうとし、クーデターを決行しますが…賛同者を得られずに失敗…惨めな最後を遂げます。
果たして『馬鹿』とされるのは…
胡亥でしょうか?
趙高でしょうか?
鹿を馬と偽った廷臣でしょうか?
鹿を鹿と言った廷臣でしょうか?
…後世に生まれた私達は、彼らが生きた時代とは違う価値観を持っています。
そして、すべての結果を踏まえ、その時々の事象を高所から俯瞰するように、一望できます。
…いえ、一望できてしまいます。
そうして私達の価値観で、過去の事象を切り抜いてしまえば。
その時々の人の思いまでをも、切り抜いてしまいかねません。
人を『馬鹿』と評する私達。
その私達の方こそが考えが足りず、見るべきを見ていないのではないか。
『指鹿為馬』の故事を笑う私達こそが、まさに…。
…そんな事を考えた鈴蘭です。
これは、遠い過去を振り返るばかりに当て嵌まる訳ではないこと。
…そうは思われませんか?
■コメントのお返事
…また後ほど。
コメントありがとうございます。
ネットワークゲームの大事であり。
大事と理解しながらも、いつの間にか疎かにしている事。
往々にして、ゲームのシステムが人を超えて存在しているかのように感じる事もありますが。
本来、ゲームというのは…コミュニケーションツールの一つであろうと思います。
それは人が使うべき道具であって。
人を使うための手段ではないだろう…と。
…道具に使われること無く、というのであれば。
人を求めて幅を広げるのも、また選択のうちかとも思いますぞ(´・ω・`)