独り言 その七百十四

 大きいだけの鈴蘭です。

 今夜は中秋の名月。
 古くより、最も美しく輝く天上の月を楽しめる日とされています。

 しかし、この中秋の風習が中国から伝わった頃の平安の日本では。
 『観月(かつては月見をこう呼んだそうです)』の宴では、月を直接に見上げるのではなく。
 船上から見下ろした湖面や、盃に満たした酒の水面に写し込まれた月の姿の、さざなみに揺れる様を見て楽しんだそうです。

 定まらない、朧げなそれこそが面白い…ということなのでしょうが。
 …それは、現代とは趣が違うようにも感じます。



 それは、人の見方が変わったのか。
 それとも、世の在り方が変わったのか。

 朧であるよりも。

 …そんな意識が、今。
 私に月を見上げさせているようにも思った鈴蘭です。



 …しかし、残念な事に。
 聞けば、この時期は西日本で晴れる確率が低いそうで…。
 今日も生憎の曇り空だったりします。

 …なので。

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            (C)SEGA

 今宵の名月は、仮想に写し込まれた此処で。



■考えすぎ?
※2015/09/28 4:50 追記

 『今、必要なもの』
 
 得てして、そうして思いつくものは。
 本当に大事なもの…物事の核の部分と、ズレている事が多いようにも思います。

 自分が求めている。
 …ただそれだけでは、実際の形に足りず。

 他人から求められている。
 …ただそれだけでは、理想の形に足りず。

 求め、求められる。
 ただ『それだけ』では、きっと足りない。
 お互いが、大事なものとは思っていないもの。

 …それこそが、必要なものではないか…とも思います。



 『今、必要なものとは何か。』

 仮に、誰かにそう問われたとしても。
 その答えを、鈴蘭は持ち合わせていません。

 鈴蘭の考えは在りますが。
 それでは…それだけでは、問いの答えにはなり得ないでしょう。

 人に答えを求めるのではなく。
 人に意見を求める。

 それは余計と感じるでしょうか?

 …そうかもしれませんね。
 或いは、随分な遠回りをするかもしれませんから。

 ただ、こうも思う鈴蘭です。

 誰かの答えだけで、必要なものが全て賄えるというのなら。
 其処に『私』というものは、必要なくなるのではないでしょうか…と。



■コメントのお返事
 …また後ほど。

 
>ナイトワイズさん
 コメントありがとうございます。

 基本的に、私も『見ない』という感じですね。
 それも…看護士さん含めて。

 私の場合は痛み(もちろん痛いのは嫌ですが)とかよりも、看護士さんの不安そうな様子に、『これからどうなるんだろうか…(´・ω・`)』と不安をかき立てられてしまうのが苦手で…;

 座る時に『どうにも苦手でして;』…なんて話を切り出しながら、様子を伺ったりしてます。



 まぁ…逆に考えれば。
 難易度の高い腕のお陰で、丁寧にしてくれるとも言えるわけで。
 私が必要以上に怯えるのも、どうなのか…という話なのですが;



>うさごりさん
 コメントありがとうございます。

 うさごりさんもでしたか(´・ω・`)!!
 まぁ…なかなかに苦手意識というものは消えないもので。
 検査の為とは言え、血を抜かれるのを我慢するのは…。

 ほら、あの…拔いてる間の無言の間が…。

  『早く終わってよ(´;ω;`)!!』

 …というもどかしさに…。

  (´・ω・`)…。
  (´・ω・`)……。
  (´・ω・`)…書いてるうちに、思い出してきた…。

  ((((´・ω・`))))うぉぉあぁぁぁ!!!
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