明日は定期メンテの日…だったと思ったのですが。
いつの間にか、公式発表でメンテナンスの日程が変更になってたんですね…;
さっき気付いたよ(´・ω・`)!!
個人的には、メンテ明けにカジノに追加実装されるという、ブラックジャック…いや、『ブラックニャック』でしたか…が楽しみであったりします。
子供の頃は、夕食後に家族でポーカーやブラックジャックをよく遊んだ覚えがあり。
それを思い出して、少しばかり懐かしくも感じているのです。
今のカジノのコンテンツは…。
1人で各々が楽しむスロットと、4人が協力して楽しむシューターがありますが。
そのどちらもが、ゲーム中の会話に不向きなようにも思います。
スロットは片手間でも出来ますが、各々が断絶しているために『スロットだから』で繋がらず。
シューターは、スロットと違い『同じシューターだから』で繋がることは出来ますが…。
ゲーム中に会話が出来るほど余裕が持てません。
会話を挟みつつ楽しめそうな、カードゲーム。
ようやく、カジノらしい楽しみが出てきたのかもしれない…。
…などと思っている鈴蘭です。
■今日のニークス
長らくフレンドパートナーの更新を放置してきたこともあり。
そろそろ…と考え、遅ればせながらスクラッチを引いて、ネタの確保を試みて。
見事、夢敗れて貯金を切り崩し。
涙ながらにセッティングを行い、先ほど更新を果たしてきました。

(C)SEGA
褐色ですし、赤原礼装が良かろう…と着せてみたのですが…。
個人的には…黒い部分の上下のデザインが微妙に気に入らず、アンダーアーマーと前垂れで修正を試みた結果。
…前垂れのカラーパターンが浮いてしまって、どうにも収まりが…;
なんとも…難しいものですね…;;;
一方、セッティングに関しては支援優先の構成。
今まではテクターの支援スキルを中心にしていましたが、今回はバウンサーの支援フィールド系のスキルを組み込んでみました。
…が。
実際に連れてみると、全くスキルを使ってくれなかったんですね;
…あれ…フィールド系のスキルって使わないのか…(´・ω・`)
せっかく登録したものの…ちょっと期待外れです。
その旨を、フレさん達にGJでお知らせしたところ…。
『ちゃんと使うよ?』
『頻度は低いけど、使うはず』
『ブック1の1番目に登録してます?』
そんなお返事を頂けました。
…なるほど。
優先順位の都合で、ちゃんと考えないと使ってくれないんですね;
特に登録位置に関しては、確かにブック1の一番目にはフォトンブラストが登録されています。
そこを変えて、明日にでも改めて登録し直してみましょう…;
アドバイスを下さった皆さん、有り難うございました。
お蔭様で、鈴蘭が一つ賢くなれました(`・ω・´)ゞ
(´・ω`・)…しかし。
(´・ω`・)……………。
(´・ω`・)…評判をみて、ついでに格好も変えてみるかなぁ…。
…どうにも、前垂れが気になってしょうがない鈴蘭です;
■考えすぎ?
出勤直前に、少し気になる事がありましたが…。
前後の状況の確認の暇もなく、その場を辞しました。
明日にでも整理して。
お話出来るのであれば、触れてみたくも思います。
■コメントのお返事
また後ほど…。
>ペリシアさん
コメントありがとうございます。
人それぞれの付き合い方があるのを承知の上で。
そして、それは現実と仮想の区別をつける事なく。
これは…信頼を築いていく上での大前提だと思います。
しかしながら…。
仮想で『人と会う』事と現実で『人と会う』事。
同じ『人と会う』事でも、そこに掛ける手間と暇…そしてそこから生まれる意識には、随分と開きがあるように感じています。
現実であれば。
いざ人を迎えるとなれば、身嗜みを整えねばなりませんし、部屋を掃除しなければなりませんし、或いは饗応の準備も必要になるでしょう。
そうして、人を持て成す気持ちを自分の中に作っていくと思います。
…これが、相手への気遣い…『礼』だと、私は思うのです。
仮想であれば。
現実で求められる、これら人を迎える『礼』は殆ど必要とされません。
クリック数回で、何から何まで整えることが出来るのですから。
この…仮想であるからこその安易さが長じ、人との関係の気安さに通じていると錯覚されているかのような。
まるで、『礼』を意識する余裕が無くなっているかのような。
…そんな印象を抱くことがあるのです。
人と人の関係はそれぞれ。
しかし、こと仮想において。
果たして人は、相手を一人の人として扱っているのか。
起動すればそこに居る、コンテンツの一つとして扱ってはいないか。
その疑念は、常に鈴蘭について回っています。
コメントありがとうございます。
人それぞれの付き合い方があるのを承知の上で。
そして、それは現実と仮想の区別をつける事なく。
これは…信頼を築いていく上での大前提だと思います。
しかしながら…。
仮想で『人と会う』事と現実で『人と会う』事。
同じ『人と会う』事でも、そこに掛ける手間と暇…そしてそこから生まれる意識には、随分と開きがあるように感じています。
現実であれば。
いざ人を迎えるとなれば、身嗜みを整えねばなりませんし、部屋を掃除しなければなりませんし、或いは饗応の準備も必要になるでしょう。
そうして、人を持て成す気持ちを自分の中に作っていくと思います。
…これが、相手への気遣い…『礼』だと、私は思うのです。
仮想であれば。
現実で求められる、これら人を迎える『礼』は殆ど必要とされません。
クリック数回で、何から何まで整えることが出来るのですから。
この…仮想であるからこその安易さが長じ、人との関係の気安さに通じていると錯覚されているかのような。
まるで、『礼』を意識する余裕が無くなっているかのような。
…そんな印象を抱くことがあるのです。
人と人の関係はそれぞれ。
しかし、こと仮想において。
果たして人は、相手を一人の人として扱っているのか。
起動すればそこに居る、コンテンツの一つとして扱ってはいないか。
その疑念は、常に鈴蘭について回っています。
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