独り言 その五百五十四

 大きいだけの鈴蘭です。

 先日の、のこーぬさんから頂いたコメントを受けて、少しばかり独り言。

 まとまり切れていないのが、なんとも恥ずかしい内容ですが…。
 宜しくお付き合いくださいませ(´・ω・`)



 過去、日本は鎌倉時代に文化の違う元の国からの侵攻(「元寇」ですね)を受けました。
 この時、攻めてきた元の軍勢に対し、武士がしきたりに則って一騎討ちに臨もうとしても、包囲されて鏖殺されたと記録にあるそうです。

 当時の日本の武士は思ったことでしょうね。
 『正々堂々と戦おうというのに…それを理解しないとは、なんと野蛮な連中だろうか』と。

 当時の元の軍勢は思ったことでしょうね。
 『軍勢の中に一人で飛び込んでくるとは、戦い方も知らない野蛮人か』と。

 この日本の武士が守ろうとして、元の軍勢が理解し得なかった『しきたり』という理屈。
 元冦での一件を見ても分かるように、文化が違い、言葉も違う人の間では『当たり前』が共有できるとは限りません。

 しかし、当時の戦いを記録した元の国の資料には、こうした記述があるそうです。

 『日本の武士は勇敢で、死を恐れず戦う』と。

 …『しきたり』という理屈は共有できませんでしたが。
 もっと単純な…人間の行動として、元の国の人間に共感を与えることはあったようです。



 時代が下って戦国時代。
 『忍者』という技能集団が注目を集めるようになります。

 破壊活動、要人暗殺、機密奪取…戦争に勝つために必要とされる、こうした活動に従事する彼らは、時として味方からも疎まれる存在でした。

 必要とされながらも、進んで道徳に反し、社会にも反する。
 そんな彼らは、自身の何を信じていたのでしょうか?

 徳川家康に仕えた伊賀の忍者、服部半蔵が忍者の心得として残した書の中に『正心』というものがあるそうです。
 『正心』は、属する国家や陣営が繁栄するためであれば、自身の反道徳的な行為も正当性がある…とするもので。
 言わば、社会における必要悪…一殺多生を説いているのだとか。

 この考えは…社会全体からみれば、その在り方を理解はされたとしても。
 個人の一般的な道徳観からみれば、共感を得るのは難しい考えでしょう。

 しかし、そうした考えが必要とされ、歴史を変えてきた。
 その事実が今にも残っている…という事なのでしょうね。



 文化は違っても共有できるもの。
 文化は同じでも共有できないもの。

 必要があって認められるもの。
 必要があっても認められないもの。

 理解と共感。
 どちらが先で、どちらが上か。
 踏み込んで行けば、何処までも続く螺旋の中に囚われるのかもしれません。

 その時々で様々に形を変える…明確なようで、曖昧な『それら』を。
 『当たり前』と、ただ追いかけて、合わせるのではなく。
 自分の『らしさ』を求め、ただ忠実であり、誠実であること。

 それが一つの『正しさ』なのかもしれない。
 …そう思う鈴蘭です。



 例えの引き方が、なんとも下手ですね…;
 まとまりがないというか、何というか。

 …拙文にお時間を割いて頂き、有り難うございます。
 そして、本当に申し訳ない…(´・ω・`)



■コメントのお返事
 …また後程。
>ナイトワイズさん
 コメントありがとうございます。

 マガツに…。
 でも、そうした期間限定のお遊びは良いかもしれませんね。
 カジノのコンテンツであれば、なおのことかもです。

 余裕がない中のことですし、無理は言えませんが…。
 是非、考えてほしいものですね(´・ω・`)



 知識と経験の蓄積。
 一期一会のマルチであればこそ。
 …の、はずなのですが…。

 見聞きするマルチにおける風潮。
 その多くが、『立つ鳥、後を濁さず』ではなく。
 『旅の恥は掻き捨て』…というのが相応しい有様のようにも感じるのです。

 知識や経験は、自身を守るものですが。
 それらを求める理由が、何処にあるのか。

 …それを思うと、チャットツールの存在に寂しさを感じます。

 無論、全てが全て…という訳ではありません。
 鈴蘭が悲観に過ぎるだけなのかもしれません。

 …ただ。
 上手くは表現できませんが。
 選択肢が増えることが、豊かさや幸せに直結する訳ではない。
 …というような思いを感じもするのです。
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コメント

  • 2015/02/06 (Fri)
    01:20
    2は1より大きいのか

    きっとこれは小学生でも答えられる算数レベル。
    数学の世界では、事象は数字という記号に抽象化されて処理されるので、誰が計算しても結果は必ず同じ。それが常識。
    でも、たとえば蜜柑2個と西瓜1個、どちらが大きいかと言われたら答えに窮する人が出てくるはず。だって蜜柑の大きさや西瓜の大きさは「見てみないとわからない」から。つまり、同じ1でも違う値を持つ分野が存在します。トポロジーなどが代表的かも。

    ゲームをする上で、人それぞれ遊び方や楽しみ方が存在することは議論の余地がありません。でも、楽しみ方を図る尺度もまた人それぞれであることは、意外と認識されていません。誰でもすぐに思いつくのは「強さ」の尺度。DPSが高いとか、PP回収効率が良いとか、状況を選ばず使い易いとか、色々な尺度が存在します。でも、それより上位には「何をもって楽しいと感じるか」という大きな尺度が存在するはず。

    例えとして適当かどうかわかりませんが、今日はお友達(INしていた70名程)と「昨日夢でマグに餌上げてましたw なぜかマグの主食はハンバーガーでした」という、訳のわからないwisをしたところ、20名以上からマグの話やらハンバーガーの話でお返事が来て、それだけで30分以上ひたすらwisしてたりしました。効率を考えたら時間の無駄と言われかねない時間の使い方ですが、私にとっては何よりも大切な時間だったりします。同じ30分をどう使うか。どう使うことが「楽しい」と思えるか。当然TAに行けば数Mのメセタを得られる時間ですし、緊急に参加すれば何らかのレアを狙えるはずです。でも、メセタやレアを得ることよりも楽しいと思えることがある私からすれば、緊急やTAをスルーしてでもお友達とチャットすることを優先したい。その時間は私にとって、1時間や2時間以上の価値があるのです。

    私は私の考え方を他人に強要するつもりはありません。ですが、残念ながらオンラインゲームであるはずのPSO2であっても、他人とのコミュニケーションよりも効率を選ぶ人は多く、私の楽しみ方を理解して頂ける人は少ないと認識しています。私のような楽しみ方をする人間が存在することを理解して、それを許容して欲しいとは思いますが、残念ながら効率重視の方々は「非効率的な行為は悪いこと」と考える傾向があり、私のようなプレイスタイルを正面から否定してくる人も少なからず居ることは事実です。

    例えば、「PTチャットはOKだけど周囲チャットは駄目」
    私にはこの違いが理解出来ません。他にも色々ありますが、愚痴のような話になりかねないので割愛。

    大前提として、私の1と貴方の1は違うということを理解し、その上で相手の1と自分の1を比べるのではなく、様々な1を組み合わせてそれが12以上になるようにすることが、マルチの最大の楽しみ方だと私は勝手に考えています。

    これも例として妥当かわかりませんが、もし防衛で「塔から離れた地点で敵と戯れる」困った人が居たとして、その人を罵倒したり文句を言うのではなく、どうやってその人をフォローするか考えて実際に行動出来る人が、本当の意味でPSが高い人だと私は思います。終了後にアドバイスをしてあげられたら、なお良し。逆に、どんなに強い武器を上手に使って敵を効率よく倒せても、自分が気に入らないプレイスタイルを見たら問答無用で罵詈雑言を浴びせるようでは、人としての器の底が知れると言うもの。

    共感ではなく、違いを認識した上で許容すること。
    さりとて、自分の個性を無理に認めさせないこと。
    それは個性ではなく「わがまま」に過ぎないと理解すること。

    オンラインゲームである以上、画面の中のキャラクターの背後にはリアルな個人が存在します。彼ら彼女らと時間を共有している。その感覚だけは決して忘れてはいけないと、常々自戒しているペリシアです。

    以上、駄文長文失礼致しました。

    ペリシア #- | URL | 編集

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