独り言 その五百五十二

 大きいだけの鈴蘭です。

 『水清ければ魚棲まず』

 古代中国の歴史書『漢書』にある言葉が由来とされる故事で。
 元は『水至って清ければ、則ち魚なし。人至って察なれば則ち徒なし』とされているそうです。

 あまりに綺麗な水には魚が棲めないように。
 清廉潔白であることは美徳ですが、それも過ぎれば人を咎めるばかりになり、やがては友人を失う…という警句です。



 自身が清廉で在らんとする志は大事だと思いますが。
 目指すべきその『曇りのない白さ』は、果たして本当に『白い』のでしょうか?



 自身が曇らないように、白く在りつづける。
 そのために、白くないものを拒み、否定しつづける。
 …その気持ちには、共感を覚えます。

 しかし、思うのです。
 他の色を『白くない』とする自身。
 今の自身のその『白さ』を、果たして自分自身で確かめることが出来るのでしょうか?

 他の色の中に在ってこそ、自身の色が際立つのであり。
 自身の『白さ』だけが色を持っている訳ではありません。

 白くないから…自分と違う色だから…と、否定しては。
 自身の色をも否定する事に通じるのではないでしょうか?



 自身が白く在るために。
 自身を白く染めるのは容易ではありません。

 自身が白く在るために。
 自身以外の色を白くないとするのは容易です。

 結果として。
 どちらの白色も同じ『白さ』を持つのかもしれません。

 しかし…どちらが、より鮮やかに見えるのでしょう…?



 色彩において『補色』という関係があると聞きます。

 例えば、牛乳パックのデザインにおいて。
 牛乳のイメージである白色を基本に、青い色を混ぜる。

 …日常よく目にする牛乳パックに、覚えがある配色かと思いますが。
 こうした組み合わせで、白色が深く柔らかい印象を人に与えるようになるそうです。

 白く在ろうとしても、ただ白いだけで『白さ』を示せるとは限らない。

 何故、それは白いのか。
 これは、そもそも白いのか。

 自身に向けた、その問い掛け無くしては。
 求めるべき色は得られないのではないか。

 いつか覚えのある呟きを思い返して。
 …今また、改めてそう思う鈴蘭です。



 さて。
 …果たして…今の鈴蘭の色は、何色なのでしょうね…?
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コメント

  • 2015/02/03 (Tue)
    10:46

    (=゚ω゚)ノまいどさまでヤンス のこーなでヤンス

    何を白とするか、ですか・・・

    紙に関しては職業柄色々見たり触ったりしてますが、白色度の高い紙は私から見るともう「青い」ですw 文字通り青白いです。
    逆に、世間一般で言われる上質紙はコピー用紙などよりも生成がかってます。
    さてこれらの紙、「最初に上質紙を見たら」それがスタンダードの白さになるんでしょうね。逆にコピー用紙を見たらそっちが基準になるのでしょう。
    という事は、「比較対象が有って始めて生まれる」感覚という事なんでしょうね。何気に難しいですね。

    何も知らず、自分の知っている白が一つならそれが幸せなのか、比較して自分の好きな白を選択するのが幸せなのか。
    最終的にはその本人が決める事なのですけどね。

    アニメで良く有る正義と悪も同じような物なのかもしれません。
    正義には正義なりの、悪には悪なりの「信念」を持っていて、正しい事が正義なのだとすればお互いの信念は間違いなく正義なのでしょうから。

    個人的には色々な白を見て、感じて、最終的に「自分の白」を作り出せればそれが一番居心地が良いかなと思います。
    そしてその白に「良い色だね」と集まってくれる仲間が居てくれると嬉しいな、と。

    相変わらず長いですねw
    何を言っているか良く分からなくなってますんでこの辺でw

    のこーぬ #- | URL | 編集

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