
(C)SEGA
昨日はブースト緊急の終わり際…或いは、終了後に大規模な通信障害が発生したとか。
発生時には、『DDoS攻撃』という言葉も飛び交ったとも聞きましたが。
公式の発表を見るに、ハードウェアの不調が原因だったようです。
日曜の朝。
フレさんとの習慣になっているTAやEXの最中も、随分と遅延が発生していたのを覚えています。
『大型アップデートを目前にして大丈夫なんでしょうか…(・ω・;)』
…そんな不安を、冗談混じりにフレさんと話していたのですが…。
現実となってしまっては笑えない状況です;
水曜日の定期メンテナンスは、『AM09:00~PM17:00』と時間が拡大されて実施されることになりました。
…この機会に、環境の安定化に出来るだけの対策を…と、願うばかりですね;
■今日のニークス
最近、フレさんが三国志を読まれたらしく…。
それについて話をする中で、鈴蘭自身が親しく触れていた時期を思い出して。
本棚の奥に仕舞ってあった三国志関係の本を、久しぶりに引っ張り出して来ました。
ここ暫く、PSO2に触れていない時間は三国志を読んでいる鈴蘭です。
先日触れた、三国志の登場人物のお話に、諸葛亮の名前を出しましたが。
彼の名前を出したことで、一つのお話を思い出したので、少しばかり。
三国志というお話は、諸葛亮の死後、彼の仕えた蜀の国が滅亡した後に成立しました。
書き始めたのは、三国間の戦争に勝利した魏の国(後の晋の国)の複数の文官ですが。
中でも、陳寿という人の書いたものが優れていたので、歴史書として後に伝わることになりました。
この歴史書…所謂『正史』が、今に伝わる三国志の大元になっています。
ところで、この陳寿という人。
元は蜀の国の人で、諸葛亮とも面識があったと言われています。
しかし、諸葛亮の司法判断によって父親(祖父だったとも、曽祖父だったとも言われる)を死刑にされたこともあり。
彼に対しての感情は、複雑なものがあったのではないか…と言われています。
後世の歴史家の中には、諸葛亮への個人的な恨みから、陳寿は彼のことを過小に評価して『正史』を書いている…と言う人もいるとか。
ただ…三国志というものは、成立後に宗の国(晋の更に後に成立した国)が外国の侵略を受け、華北地域を失った頃に、単純な歴史から変質しているとも言われています。
自らの正当性を掲げ、華北地域の奪還を目指して戦った諸葛亮を始めたした蜀の人達に、当時の宗の国の人々は自らを重ねるようになり。
単なる記録としての三国志ではなく、記憶…情感で語る三国志が求められたのだとか。
こうして生まれたのが、蜀の国の人達を主人公とした三国志…所謂『演義』なのだそうです。
記録でみれば、諸葛亮は自国の繁栄に尽力して成果をあげましたが、戦争には敗北して目的を達しないままに他界した人です。
…これだけを見ると、特に魅力を感じません。
しかし、陳寿が残そうとしたのは記録としての三国志。
不当に悪く書こうとしてのことではなく。
こうした『結果』を、ただ書き残しただけのことではないだろうか…とも思う鈴蘭です。
見る人、求める人によって、同じものでも評価が変わる。
皆さんにも、心当たりはあるお話ではないでしょうか?
…そして、皆さんが本当に残したいものは、なんでしょうか?
記録でしょうか?
記憶でしょうか?
…それとも?
…って、PSO2の用語が一つも出ない日記になりました…;
何か通じるところを汲み上げていただけたら、幸いです(´・ω・`)
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