独り言 その五百十

 大きいだけの鈴蘭です。

 投稿日時の上では、師走に入りました。
 早くも、一年が終わろうか…という時期に来てしまった訳ですが。

  …早いなぁ(´・ω・)=3

 そう嘆息せずにはおられません。



 人間は変化を経験し、新しい知識、新しい感覚、新しい情感を得ることで成長しますが。
 こうした変化の中に在る人にとっては、体感的な時間の流れが緩やかであると言います。

 新しい物事を吸収するとき。
 その瞬間瞬間の連続は、どれもが鮮やかに記憶に残るものです。
 今に至るまでの時間の流れを…過去を事細かに思い返せる。
 そうした、濃密な時間を人は『長い』と感じる…と。

 …逆に既知であることに、人は慣れると言います。
 既知をなぞる時間の中では、新しい知識も、新しい感覚も、新しい情感も多くは得られません。
 そんな時間を人は、無くても差し障りがない…と、記憶にすら残らない、残さないように出来ているとか。

 振り返ってみても、今に至る時間の流れを計る記憶…過去がない。
 そうした時間を人は『短い』と感じる…と。

 つまり、人が歳をとって時間の流れを早く感じるのは。
 新しい経験を積む機会が減り、改めて振り返るべき過去がないからだ…とも言えるそうです。

  …早いなぁ(´・ω・)=3

 …そう嘆息する鈴蘭は。
 如何に無為に一年を過ごしてきたか。
 それを表している…と、言える訳です;



 虹を求めて。
 最近のPSO2事情を見渡せば、そんな言葉が浮かんでくるかのようです。

 未だ見ぬ虹を手にするために、人は忙しく毎日を送っていますが。
 それはまさに未知への道程であり。
 『長い』時間として、後々思い返せるものでしょう。

 しかし。
 虹を手にして、未知を既知に変えたとき。
 虹へと至る道程もまた、既知のものとして扱われるのかもしれません。

 そこへと至る、必要な手続き。
 そんな風に…語るまでもないモノに…『短い』時間に成り果てるのかもしれません。

 虹を手にする。
 それは喜びに違いありません。

 …しかし、それを手にしたとき。
 自身の日常と非日常が切り替わり。
 長い『短い』時間が訪れるのかもしれないと思うと。

 果たして、手にする事が幸福なのだろうか…と。
 そんな事を考えた鈴蘭です。



 虹を望みながら、虹を手にする事を望んでいない。
 …これは、矛盾しているかもしれませんが。

 虹を求めて。

 …これは、そうしたものではないでしょうか?
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