…最近。
ログインの度、チームメイトのミウさんが鈴蘭の入場曲(?)を歌って下さります。
有名な曲の替え歌のそれは、即興としてもよく出来ていて。
鈴蘭の為に時間や手間を割いてくれていると思うと、それはとても有り難く、嬉しいことなのですが…。
…なんで、食卓に上るまでの豚の生き様がテーマなん…(´・ω・`)?
ええ。
その一点が疑問なのです。
(´・ω・`)こうして豚の面を被ってはいますが。
(´・ω・`)時として人間に身を窶しもしますが。
〒 〒
( /・ω・)/本当の私はトナカイなんですよ…!!
■考えすぎ?
EXH、ULTの実装から一日。
周りを見渡せば、足しげくULTに通うフレさん達の姿を目にします。
ULTの難易度自体は、鈴蘭としては『SHまでで準備をしてきた人には適正』という印象で。
殊更、身構えるほどに…途方に暮れるほどに…難しいとは感じませんでした。
…敵と相対して、勝利への道筋が見える…とでも言いますか。
今までの蓄積があれば、鈴蘭のような適当なプレイヤーでも『コイツには勝てる(`・ω・´)』…そんな確信は得られるように思います。
そんな感じで…鈴蘭の事前の予想に比べ、かなり行きやすいクエストになっている印象のULT。
同じ印象を持っている人が多いのか。
ULT推奨ブロックは、随分と賑わっているように見受けられます。
…しかしながら、この賑わいに一種の不安を感じる鈴蘭です。
一つの料理があるとして。
それを『食べる』事と、『味わう』事は必ずしも並び立つとは限りません。
生きる上で、人間は食べねばなりません。
生命活動を維持するのに必要となる熱量、栄養、水分を食べ物から摂らねばなりませんから。
…これは、生きる上で必要とされる行為…生き物としてあるべき欲求…本能です。
そんな、必要とされる食事において。
生命に危険なものを選り分ける能力を身につけた結果。
…生き物は『味』が分かるようになったと聞きます。
しかし人は、この能力を楽しみとして『味わう』事をします。
これは生き物として、ただ生きる上では必要としない行為ですが。
人として生きる上では、必要ともされる行為です。
こうした、生き物としての生命維持に必ずしも必要とはされない行為。
…それを人は、『文化』などと言ったりします。
一つの料理を、ただ本能のままに食べ尽くすのでは無く。
楽しみとして味わうことが出来るのが人であろう…と。
…鈴蘭が、この賑わいに感じる不安とは。
果たしてこれが、本能的なものなのか。
果たしてこれが、文化的なものなのか。
…それが見えないところにあるからなのです。
ただ『より安全に』『より早く』『より多く』…それを求め、それの充足を快とする。
『楽しく遊ぶ』というよりも。
『楽して遊ぶ』というような。
…そんな、どこか覚えのある陥穽に向かっているような。
雨雲に追われ、青空の下に出て。
再び、同じ雨雲の下へと向かっている。
…いつか見た幻視。
それをまた、ここで見たかのような…そんな気持ちの鈴蘭です。