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独り言 その二百三

 大きいだけの鈴蘭です。

 前々回に頂いたコメントのお返事で少し触れましたが。
 鈴蘭の独り言には、殆どSS(スクリーンショット)がありません。
 以前は増やそうとも考えていたんですが…。
 
 『鈴蘭の独り言』は、個人的に思ったこと、考えたことを適当に書き連ねているだけのものですが。
 読んで頂いている方に、自分の立場に置き換えて考えて欲しい…そうも考えて書いているつもりです。
 日記として、鈴蘭個人の出来事を綴る一方で。
 そこに付随する考え方に、鈴蘭個人の考えであると同時に、読んでいる皆さんの考えになるように。
 『顔』を外しているつもりです。

 …まぁ…そうは言っても、上手くはいきません。
 伊達に『大きいだけの鈴蘭』ではありませんから(´・ω・`)



■考えすぎ?
 人が焼く『お世話』というモノには、形があるようです。
 自身が他人に焼いてあげる『お世話』は、小さく焼いても『大き過ぎる』と言われ。
 他人が自身に焼いてくれる『お世話』は、端から『余計』と感じてしまい。
 他人が他人に焼いている『お世話』は、『物好き』に映ります。

 鈴蘭的には。
 人の行いの裏にあるものが、見えないからこその感覚なのではないか…そんな風に思います。
 他人の善意が目に見えるのであれば。
 誰が焼いたものであれ、『お世話』は一様の形をしているのかも知れません。
 他人の善意が目に見えるのであれば。
 差し延べられた手に、躊躇いは無くなるのかもしれません。

 『お世話』を無駄に大きくしているのも。
 差し延べられた手に躊躇いを感じるのも。
 自分自身が、あらぬ疑いを持つが故かと。

 その疑いは、言葉を尽くせば何れ晴れるものかも知れません。
 ですが、救いを必要とする局面では、言葉よりも行動が求められるように思います。
 相手を思い、手に躊躇いを見せるくらいなら。
 まずは相手を躊躇いごと掴んで引き寄せて。
 それから後悔すれば良いでしょう。

 それが『大きなお世話』と感じたとしても。
 考え得る最悪を回避出来たというのなら。
 それは上等というものではないでしょうか。



 これは過ぎれば独善です。
 でも、過ぎた後に問い掛けることが出来るなら。
 取り戻せるものがあるのであれば、後悔を経て言葉を尽くしてみてはどうでしょう?

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