FC2ブログ

独り言 その弐千弐拾

 大きいだけの鈴蘭です。

 そういえば…。

 先日の馬車の話の中で、日本では地形の問題もあって馬車が発展しなかった、という話をしましたが。
 改めて考えてみると…。
 そもそもの馬からして、昔の日本においては運用されることが少なかったな、と。

 大河ドラマなどでの合戦シーンでは、騎馬隊が敵めがけて突撃する…という光景が見られます。
 テレビから受けるイメージでは、戦国時代の有力者たちは騎馬隊を揃えて運用していたように感じられると思います。
 ここで戦国時代、騎馬隊で有名だった武田家の実際の編成を見てみると…。
 騎馬武者1人に数名の徒士がついて小隊を成し、突撃は小隊が一丸となって行っていたようで。
 テレビで見られるような、騎馬武者だけの部隊で突撃するようなことは無かったみたいです。

 武田家の好敵手たる上杉家では、機動戦を重視する為に軍の編成を『騎馬隊:鉄砲隊:その他:槍兵=1:1:1:7』の比率にしていたという記録もあり。
 コレは、維持運用に費用の掛かる一方で、地形の問題で長所である筈の馬の機動力を活かしづらかった為に、費用が安くて地形の影響を受けない歩兵…槍兵が重用されたとも見れます。
 特に…上杉家が治めていた越後一帯は、今でこそ広大な平野が広がる穀倉地帯ですが…戦国時代の頃は大小の川から絶えず水が平野部に注ぎ込み、広大な湿地帯を形成していたといわれていますしね。
 湿地帯を移動するのに馬では不便であった…ということなのかもしれません。

 織田信長は鉄砲の集中運用で有名ですが、若かりし頃の彼が自軍の強化に乗り出した際、最初に目をつけたのが槍でした。
 刀剣に比べリーチに優れ、数を揃えて並べて槍衾を作れば、練度の低い兵士でも戦いに参加できる。
 弱兵揃いと言われた尾張の兵で、如何に周囲の列強たちと渡り合うかを研究して出した答えです。

 槍かぁ。

 子供の頃、真田幸村を題材にした本を読んだ覚えがあるのですけど…。
 確か…大阪夏の陣で、作中の彼は槍を片手に徳川家康の本陣を目指して突撃していたと思います。
 でもこれ、昔の戦国武将のイメージを当てはめたもので、史実とは違います。
 徳川家の記録では、大阪夏の陣で徳川家康の本陣に突撃した真田幸村は特殊な馬上筒(馬に乗って使えるよう小型化した火縄銃)を携えていたと記されていますから。

 馬も槍も、人が思い描いた虚像…というのはキツイ言い方でしょうが。
 でも、作り上げられたイメージの強固なこと…。
 驚くばかりです。

 それだけに、新しい発見に心が躍るのですけどね;

スポンサーサイト



コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する