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原初の闇の討伐に参加してきました。
一応、クリアはしていますが…内容的には冷や汗ものでした。
フレさんに誘っていただいて、おっとり刀でログイン。
ゲームパッドが壊れ、手持ちのDUALSHOCK2を挿して以降、PSO2でほとんど遊んでいませんで…。
何がどのボタンかすら分からないという状況。
『まぁ、Apex Legendsでは使わんし…』と放ったらかしにしていたツケが回ってきました。
急いでオプションを見直して戦闘に臨んだものの、最終的にはゲームパッドの違和感に耐えかね、キーボードとマウスで操作することに。
やれやれ;
明日からの3連休。
褐色集会もありますし…色々見直さないとです。
キャンペーンもあるみたいですし、丁度いい機会でしょう…。
■今日のニークス
【24年から】米アカデミー賞、作品賞に「多様性」の新基準https://t.co/q0cpDbWXU5
— ライブドアニュース (@livedoornews) September 9, 2020
出演者らにアジア系や黒人などの「非白人」、「女性」「性的少数者」「障害者」が一定程度含まれていることなどが柱となっている。
作品賞に多様性の新基準…ですか。
どうなのでしょうね。
個人的には、その取り組みに疑問を感じます。
スタッフに障碍者も採用すべし、というのは分からないでもないのですけどね。
(アピールポイントになる、という点で逆に馬鹿にしてる気もしますが…。)
しかし、『多様性を重視せねば芸術ではない』とするかのような基準を設けるのは…。
表現や価値観に制限をかけて、何が芸術なのだろうか、と思わないでもありません。
他者に『自由にしなければならない』と強要するのが正しいのでしょうかね。
(´・ω・)=3
工業製品として、商品として優れたものとするために、多様性を重視する…というのならば分かります。
そうしたものは、その社会に沿うた形を求められるのですからね。
しかし…芸術作品は、社会に沿うた形になるとは限りません。
社会とは関係なく、自らが表現する世界に沿うた形が至上となるのですから。
その世界において評価するならまだしも…。
その世界と社会を並べ、正誤を評うのは間違っていないでしょうか?
まぁ、私の独りよがり…杞憂かも知れませんけどね;
でも、過去の歴史を扱った映画作品とか、今後どうするんでしょうね?
かつては現代のような多様性が無い、誤った価値観によって世界が覆われていた…とでも言うつもりでしょうか。
当時は当時の価値観があり、それが当たり前だったのです。
過去を現在の価値観で判断すれば…って、この話は前にもしましたね;
繰り返すのはやめておきましょう;
全く…変なことにならないといいのですけど…。