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独り言 その壱千六百九拾七

 大きいだけの鈴蘭です。

 私の勤める会社では、定期的に直属の上司と一対一で面談する場が設けられます。
 コミュニケーションの補完と、職場における問題点の確認…ということなのですが…。
 普段これといった不都合を感じていない私としては、取り立てて話すこともなく。
 毎回、会社の定めた設問に淡々と答える場になっています。
 ただ…先日の面談でのことです。

 上司『Q4.職場での対人関係に問題は?』

 鈴蘭『んー…特に思い当たることは…。』

 上司『そうやなぁ、君、上手くやってるもんなぁ…』

 …上手くやってる…?
 私には何を、どう、上手くやっているのか分かリませんでした。
 強いて言えば、誰とも等しく距離を置く…人と関わらないこと…でしょうか。
 まさか、それが評価点になり得るとは…。

 …ふむ。

 心理学用語に『愛着障害』と呼ばれるものがあります。
 まだ研究の途上にあり、研究者の間で明確な意見の一致が見られていない、新しい障害なのだとか。
 大まかには、乳幼児期に養育者との関係構築…乳幼児の空腹、不快感などの生理的欲求を繰り返し解消してくれる存在を他者と認識することから、自己と他者の確立、信頼の形成が始まる…が上手くいかなかった人間が、成長後に対人関係において困難を抱えるようになる、というもので。
 その困難の中に『脱抑制性対人交流障害』と、『反応性愛着障害』と呼ばれるものがあるそうです。
 『脱抑制性対人交流障害』は、初対面の人間に対して状況や文化的背景に関係なく、過度に馴れ馴れしく接する人に見られ。
 一方の『反応性愛着障害』は、周囲から示される好意であったり、自身が感じる苦痛であったりに対して適切な反応ができず、人との関わりが薄い人に見られる…のだとか。

 …ふむむ。

 私が精神科医にかかったら、『反応性愛着障害』を疑われそうですね…;
 乳幼児期の養育者云々に関し、私には心当たりがありますし…。
 ただ、どうなのでしょうね。
 私が人と距離を置く理由…ですか。
 素人が医学に関わることを語るなど、愚かしいことですが…。



 私が、私なりに思うところを。



 前にも触れたことがありましたが。
 付き合いの浅い人からすると、私は適切な距離を置く付き合いやすい人、であり。
 それなりに長い付き合いの人からすると、私はいつまでも距離が縮まらない素っ気ない人、といったところであろうと思います。
 …自覚はあるのですよ。
 これが良いのか悪いのか…私自身、よく分かっていませんが。

 何かの折、『子供の頃に自分が貰ったもので、大人になって自分から与えたいと思うもの』が愛や情というものだ…という話を目にし、それに納得した覚えがあります。
 納得と言っても、人のそれとは違うかもしれません。
 なにしろ私は『子供の頃に自分が貰ったもの』に心当たりがなく。
 物心ついてから、経験ではなく知識としてソレを得ました。
 ソレが大事なものであるということは理解しています。
 しかし、どう大事なものであるのか…私にその実感はないのです。

 だから…なのか。

 私は人から示される厚意に対して、何かしらの対価を支払わねばならないと考えます。
 人が大事にしているであろうものを貰うばかりではいけない、自分の何かで相手に返さなければ、と。
 しかし、厚意に対して何を、どう返したものか分かりません。
 自分の中にあるものが、相手にとって価値があるものなのでしょうか?
 そんな考えから、相手との遣り取りに不安を覚え…そこで、距離を置くのです。
 これ以上は私に返せるものがないから…と。

 この辺り、最近になって人から指摘されて意識するようになったのですけどね。
 『返す』という私の発想自体が誤りなのだ、と。

 ではどうするか。
 どうするべきか。
 その答えは未だ分かりません。



 或いは…ただ楽しむだけでもいいのでしょうか…。



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