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独り言 その壱千六百九拾四

 大きいだけの鈴蘭です。

 先週末の関東圏の皆さんは、大変だったようですね;
 史上最強クラスと言われた大型台風によって、関東圏の河川が軒並み増水。
 一部地域では越水して浸水被害も出たとか。

 先日の背割下水のお話の時にも触れましたが…。
 もともと東京も大阪と同じく、沼地を開発して出来た土地であるため高度が低く、水害に弱いという欠点を抱えています。

 安土桃山時代、豊臣秀吉が徳川家康の国替えを決め、それを告げた際…『江戸に行ってほしい』という豊臣秀吉の言葉に、徳川家康は『江戸って何処…?』と困惑したとか。
 これは徳川家康が無知だった訳ではありません。
 当時の江戸は猫の額ほどの小さな土地に人家が散在する、広大な湿原で。
 軍事的にも経済的にも価値の低い、人から忘れられた土地だったのですから。

 人が暮らすにも土地がなく。
 生きていくにも真水がなく。
 ものを運ぼうにも道がない。

 …それが当時の江戸でした。
 普通の人なら『こんなところに飛ばされて…もうお終いだぁ…』と嘆いて、何処ぞの紀貫之のように不貞腐れてしまいそうですが。
 徳川家康は『ならば』と一念発起、家臣総出で町づくりに乗り出しました。
 このバイタリティが、英雄の英雄たる所以かもしれません。

 湿地を干拓して宅地と農地を確保する一方で、井戸を掘っても海水しか出ない土地で暮らすために上水道を整備し、それを水運にも利用。
 そうして水運で内陸部から物資を運び入れる一方で、それでも足りない米、野菜、塩などを安定供給するために海運の航路を開発…当時の大型船の『波に弱い』という弱点を補うため、陸伝いに移動できるよう長大な防波堤を建設したりもしています。
 更には今回の台風でも問題になった治水…中条堤の整備や利根川の付替えも、家康の代から始められたもの。

 これら徳川家康の興した一大土木事業によって水との戦いを制し、江戸という町はゼロから作り上げられたのです。


 こうして、嵐の中にあっても此処で変わらぬ時間を過ごせるのも、先人たちの努力のおかげ。

 …ありがたいことです。



 今回の台風では、少なくない方の犠牲が出ています。
 停電も広い範囲で発生していると聞きました。
 嵐のためとも限りませんが…この夜、すべての人とお会いできた訳ではありません。
 こんな時に。
 こんな時だからこそ。
 またの機会、また同じようにお会いできることを願っています。



■今日のニークス

 …と思ったのですが。
 これ以上は長くなりそうなので、また明日に。
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