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独り言 その壱千六百五拾五

 大きいだけの鈴蘭です。


 台風の影響が心配ですね。
 進路に近い地域にお住まいの皆さんは、くれぐれもお気を付けを…。



■今日のニークス

 其安易持、其未兆易謀。
  その安きは持し易く、そのいまだ兆さざるは謀り易く、
 其脆易泮、其微易散。
  その脆きは判ち易く、その微なるは散らし易し。
 為之於未有、治之於未乱。
  これをいまだあらざるになし、これをいまだ乱れざるに治む。
 合抱之木、生於亳末、
  合抱(ごうほう)の木は、毫末(ごうまつ)に生じ、
 九層之台、起於累土、
  九層の台は、累土に起こり、
 千里之行、始於足下。
  千里の行は、足下に始まる。
 為者敗之、執者失之。
  なす者はこれを敗り、執る者はこれを失う。
 是以聖人、無為故無敗、無執故無失。
  ここを以て聖人は、なすことなきが故に敗るることなし。執ることなきが故に失うことなし。
 民之従事、常於幾成而敗之。
  民の事に従うや、常に幾(ほと)んど成らんとするにおいてこれを敗る。
 慎終如始、則無敗事。
  終りを慎むこと始めの如くんば、すなわち事を敗ることなし。
 是以聖人、欲不欲、不貴難得之貨。
  ここを以て聖人は、欲せざるを欲して、得難きの貨を貴ばず。
 学不学、復衆人之所過。
  学ばざるを学んで、衆人の過つ所を復す。
 以輔万物之自然、而不敢為。
  以て万物の自然を輔(たす)けて、あえてなさず。

 老子の第64章にある言葉です。
 中でも『千里之行、始於足下。』は、今日、『千里の道も一歩から』という故事として今に残っています。
 その意味は『Little by little one goes far.』…『少しずつ歩いて、人は遠くまで行く』という、積み重ねの大切さを説くものであるかと思いますが…。
 典拠となった老子を読むと、それだけでは足りないような…また違う意味であるように思えます。



 両手で抱えるような大木も、毛先のように小さな芽から育つ。
 九層もある高い建物も、スコップで土を盛ることから始まる。
 遠大な千里の道行きも、足元の自身の足を踏み出して始まる。

 特別なことをしようとする人は、それを忘れる。
 珍しいものを欲しがる人は、それを忘れる。

 人が何かを行うとき、大抵、成就しそうになった頃に失敗する。
 終わりの頃のことも始めた頃のように慎重に行えば、失敗することは無い。
 だから聖人は、欲を持たないということを欲として、珍しい財宝でも尊重しない。
 学ばないということを学として、誰もが気にも留めないような有り触れたことに立ち返って考える。



 こうしてみると、私には『千里の道も一歩から』とは、本来『初心忘るべからず』という意味であったように感じます。
 初心を忘れず、その心持ちで事績を積み重ねてこそ、物事は成し遂げられる…と。

目指す先は…
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 …私はどうでしょうか?

 初心は大事と思います。
 しかし、それを大事に、それだけを大事にして他の大事なものから目を背け、此処に留まる理由にしてはいないでしょうか?

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