FC2ブログ

独り言 その壱千五百七

 大きいだけの鈴蘭です。

 今年最後の定期投稿となりました。

 思えば、今年もあっという間の一年でした…。
 時間の流れというものは、本当に早いものですね;
 私のように、日々を怠惰に過ごしている人間にとっては、特にそう感じてしまいます。

 皆さんにとっては、どのような一年だったでしょうか?



 …私はと言えば…。



 ネットワークゲームの世界に魅せられて、PSPoからPSO2に移って6年。
 最近はPSO2の他にもネットワークゲームを始めたことで、この独り言におけるPSO2の比重は軽くなってしまいました。
 『PSO2滞在記』としながら、PSO2の事柄から離れてしまっていることに疑問を覚えつつも、ネットワークゲームにおけること、ゲームにおけること、私達におけること、私におけること…それらは全て繋がっていると考え、折々に思った事について触れてきたつもりです。

 出来るだけ、ありのままを…です。

 体裁を取り繕う事で、私の底の浅さを誤魔化すことも出来たでしょうが…。
 それでは、私がネットワークに在ること…『鈴蘭』であることの意味がなくなってしまうかな、と思います。



 古代ギリシアの哲学者ソクラテスは、自他共に認める知恵者でした。
 しかしながら、ソクラテスは世界の全てを知見することは不可能と考えており…いかに知恵者と讃えられようとも、自身の知識が限られたものであることを、彼は他者との交流の中で自覚していました。
 ソクラテスが知らないことを知っている人は数多く、知恵者と呼ばれる人はソクラテス一人ではなかったのです。
 無論、そうした知恵者にも無知の部分があり、それを指摘し、非難するのは簡単だったでしょう。
 ですが、他者の無知を知覚するのではなく、自身の無知を自覚することこそが大事であり。
 知らないことを知らないとし、そこから学び始めるのが人間の本質なのだ…と。
 そんな風にソクラテスは考えました。

 ほぼ同じ時代、ギリシアから遠く離れた古代中国においても、似たことを言った人がいます。
 古代中国の思想家である孔子、その人です。
 彼の言葉が纏められているとされる『論語』の中に、こんな一節があります。

  子曰、由、誨 女知之乎。
   子曰く、由よ、汝に之を知ることを誨えんか(おしえんか)。
  知之為知之、不知為不知。是知也。
   これを知るをこれを知ると為し、知らざるを知らずと為す。是れ知るなり。

 【現代訳】
  由(ゆ:孔子の弟子である子路のこと)よ、お前に『知る』ということを教えてあげよう。
  きちんと知っていることを『知っている』とし、きちんと知らないことは『知らない』としなさい。
  これが『知る』ということだよ。



 自身が無知であることを自覚することから、知識の獲得は始まるのです。



 …が、実際のところ。
 自身の無知を認め、素直に相手に教えを請う事が出来るという人は多くありません。
 現実の私達は様々な柵に縛られており、そのために思考と行動が偏りがちになっていますから。
 ありがちなことです。
 年長が年少に。目上が目下に。強者が弱者に。
 大事を前にしても、柵に囚われて選択を誤る人は少なくないのです。

 しかし、ネットワーク上の仮想世界であれば、そうしたものから離れて自由な関係を結ぶことも出来るはず。
 現実には有り得ないことが、まるで現実のことのように起こりうるのが仮想世界の魅力ですが…。
 こうした面で様々な挑戦ができるのも、仮想世界の魅力の一つではないでしょうか。

 鈴蘭としては、そこで無知を隠して学ぶ機会を失うのは、勿体無いと思うのですね。



 …まぁ。



 言っても…人が人であることは変わりなく。
 ネットワーク上での関係をどのように捉えるかは、人それぞれ。
 100人いれば、100通りの考え方があり…一つとして同じものなどありません。
 
 それだからこそ。

 そんな中にあって、私の無知に向き合ってくれる人…というのは、有り難いのです。
 そうした人と、人たちと、有り難い時間を送れたことは幸運であり、幸福でした。

 今年も一年、私の無知に付き合ってくださった方々に感謝を。
スポンサーサイト



コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する