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独り言 その壱千四百四拾参

 大きいだけの鈴蘭です。

 予告どおり…この連休中に、無事に新しいスマホ様に変わりました。
 さすがの私も、新しい機械を手にして気分一新。
 前にも増して独り言を呟いて…

 …と、いきたいところですが。

 細かいところが変わったとはいえ、同じSONYのAndroid端末です。
 馴染みのツールのインストールを済ませてしまった今となっては、すっかりいつも通り。
 今、こうして打ち込んでいても、大した違和感を感じることもなく。
 常と変わらず、なんとなく、ぼんやりと…。



 …ああ、いえ。
 持ち続けてみると…意外と、重さや厚みに違いがあるのが分かりますね…。



 その違いがあることは、とうに承知していました。
 しかし、それは些細なことと思って気にも留めず。
 たかだか数十グラム、たかだか数ミリと。
 そんな風に考え…私は違いを違いとして見ていませんでした。

 こうして外で使っているうちに、手や手首に感じる差異が大きくなっています。
 見過ごしていた小さな違いで『変わったんだな』と。
 道具としての使い勝手ではなく、手の感覚によって思い知らされ…。

 ようやく、といったところの…鈍い鈴蘭です。



■今日のニークス

 TGSのレポート記事の一つに目が止まりました。



 国内メーカーがVR専用のオンラインRPGの制作を行っていることは耳にしていましたが…。
 もう完成間近になってたんですね。
 今回のTGSではプレイアブルデモが公開されていたそうで、実際に試遊した記者さんが感想を書いています。
 その中に、すこし気になる記述がありました。

 とりわけ印象的だったのが打撃感だ。打撃感というと、≒爽快感、バッサリ感という形で捉えられがちだが、「ガルガンチュア」の場合、武器がオブジェクトに接触した感覚、手触りが重要視されている。特徴的なのは、打撃が跳ね返るところだ。例えば剣を勢いよく木人に対して振り下ろすと、ガッと大きな手応えと共に、ビジュアルも跳ね返る。ゲーム業界では、“当たり前のこと”とされてきた貫通処理がないのだ。
 このほか、突きや盾による受け止めでも同じような跳ね返りの処理があり、ひとつひとつが確かな手応えと共に、実在感を持って受け止めることができる。この細かい積み重ねが、この世界に圧倒的なリアリティを生み出しているのだ。



 2D格闘ゲームが全盛時代を迎えた頃、マルチメディア展開を図り、当時人気だった『サムライスピリッツ』がノベライズ化されることとなり…ある作家さんの元に、執筆依頼が来たそうです。
 その作家さんは、好きなゲームのノベライズということで二つ返事で引き受けて、早速仕事に掛かったのですが…。
 すぐに頭を抱えることになってしまいました。

 『ゲームのように刀で斬り合うシーンを、どう表現しよう…?』

 大技で刀を振り抜いて、相手に大ダメージ。
 現実であれば、良くて致命傷、悪ければズンバラリンと真っ二つになりかねません。
 ライバルに主人公が追い込まれるとして…。
 どんな大技を出しても掠り傷にしかならないのでは話が盛り上がりませんし。
 かと言って下手に大怪我をさせてしまえば、後の展開に差し支えます。

 幕末、『柳剛流(りゅうごうりゅう)』という剣術流派が流行したと言われます。
 この流派の特徴は、基本の型に相手の足を狙うものがあることで。
 剣を構えたとき、人の体の中で足が最も前に出ることから、先ずその足を刈り、手傷を負わせて優位に立とうというものなのだとか。

 人間というものは痛みに強いわけではありません。
 致命傷とは程遠い、ちょっとした怪我でも動けなくなってしまうこともあるのですから。
 それを思えば、柳剛流は理に適ったものと言えるのでしょうが。
 ただ…ゲームやアニメのような剣劇は、そこにはありません。


 ゲームやアニメの当たり前、というものは現実とかけ離れており。
 それをそのまま現実的に表現しようとすれば、矛盾が生まれてしまいます。

 逆に課題だなと感じたのは、前後へのダッシュ移動だ。自身の頭を前後に倒すことで前後にダッシュ移動ができるのだが、単純に行動負荷が高すぎて疲れてしまうのと、向きを変えると肝心の前の敵が見えなくなるという矛盾から逃れられない。ボス戦の決定的なシーンで1度、2度使う程度なら十分処理できるが、「ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド」のボス戦のような感覚で、ジャンジャン使いながら戦うというのはちょっと想像が出来ない。GDCバージョンと比較して敵の動き、攻撃モーションがかなり早くなっているため、それに対応するためのダッシュのギミックそのものは良いと思うが、UIとUXが干渉してしまっている印象だ。


 …これも、それに類する話を含んでいると思うのですね。

 仮想の世界を現実のものとして体験できる、これまでのゲームとは全く違うもの。
 だからこそ、誰にでも分かるよう違いを明確にせねばならない。
 作り手としては、そう考えがちですが…。
 遊ぶ側としては、必ずしもそうした違いを求めているわけではないのですよね。

 現実とはかけ離れたゲームやアニメの世界に憧れて、その中に飛び込んでみたい…という欲求はあります。
 しかし、飛び込んだ先で現実に縛られてしまうのでは…。
 折角の機会であっても、『遊ぶ甲斐がない』と感じてしまうかもしれません。

 挑戦しよう、という作り手の気持ちは大事だと思うのです。
 でも…。
 それも一長一短…だと思う鈴蘭です。
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