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いい加減、この…イベントシーンでトナカイさんがアップになると口に目線が合わせられるの、不具合認定されませんかね…。
見切れる、とかいうレベルを超えていると思うのですが?
(´・ω・`)
大きく映るのはネタ的にはオイシイけどな!
…で、大きく…で思い出しましたが。
昨日は火星が大きく見える、稀な夜でした。
【火星大接近】7月31日16時50分に火星は5759万kmの距離まで接近します。ただし、日本ではその時刻に火星はまだ見えません。東京では19時前に南東の空から昇り、真夜中頃に真南の空に見えます。https://t.co/uzCndZHbGN
— 国立天文台 (@prcnaoj) 2018年7月30日
より詳しい情報はこちらの特集をご覧下さい https://t.co/JHI4kS0JeO #国立天文台 pic.twitter.com/dW7CgZMYB9
晴れた夜空に明るい輝きを見付け、『あれ、久し振りに私にも見える星がある…』と驚き。
会社までの道を、空を見上げて歩いた鈴蘭です。
その時は、大接近のことは知らず…。
なんとなく『あれは火星だろうかなぁ…』と、頭の隅でボンヤリと考えながら、ただただ…。
その赤い輝きを眺めていました。
私にとっては、ただ一点の星空。
私の目に映らないだけで、他にも星はあるというのに…。
『それはそれで良い』としてしまうのは、あまりに受け身に過ぎるでしょうか。
いえ、それとも…これは傲慢でしょうか。
それを『らしい』と言われれば、その通りで。
そのことを『らしくない』とも思った鈴蘭です。
■今日のニークス
…おや。
金長神社の存続求める署名 国内外から1万筆超す https://t.co/9hX0F4JuIQ pic.twitter.com/V216fHcxxr
— 徳島新聞WEB (@tokushimapress) 2018年7月31日
Twitterの記事中にもありますが、この金長神社はジブリの『平成狸合戦ぽんぽこ』に登場する神社のモデルとして知られています。
神社が建てられたのは1956年のことのようですし…歴史ある…というと、語弊があるでしょうか。
ただ、その時間の長さに関係なく、地域の人に愛されている神社であることは確かなようで。
行政の公園の整備計画で取り壊しが決まった…いえ、決まりそうだということで、それに反対する市民グループが署名を集め、今回の嘆願が出される運びとなりました。
計画では遷座(神殿の改修造営に際して、神霊を移すこと)も検討されているようですが…具体的なところは何も決まっていないようですね。
仮に遷座となっても、今の神社の景観をそのまま移せるわけでもありませんし…。
そういえば…遷座に纏わる話で、有名なのがありましたっけ。
成田空港の敷地内に、鳥居だけが残された神社があったような…。
ええっと…名前はなんと言いましたか…。
…『穴守稲荷神社』…ああ、これですね。
穴守稲荷神社は明治、大正、昭和を通して人々の信仰を集めたが、第二次世界大戦が終わった直後の1945年(昭和20年)9月21日、羽田空港を軍事基地として拡張するため米軍(GHQ)より、範囲内の住民ともども強制退去を迫られることになった(羽田空港も参照)。
これに対して地元の有志らは移転先となる稲荷橋駅(現:穴守稲荷駅)近くの現在の鎮座地[7]700坪(2310 m2)を寄進し、現在は境内の整備を進めており、神社はほぼ昔日の姿を取り戻しつつある。
羽田空港に残された鳥居
移設後の赤鳥居
移転前の社殿や他の鳥居はGHQによって取り壊されたが、門前の赤鳥居だけは撤去できず、そのまま空港の更地(後に駐車場となる)に残され続けた。
この残された鳥居については以下のような流布話がある[8][9]。
門前に建っていた赤い鳥居はとても頑丈な作りだった。ロープで引きずり倒そうとしたところ、逆にロープが切れ、作業員が怪我したため、いったん中止となった。再開したときには工事責任者が病死するというような変事が何度か続いた。
これは、「穴森さまのたたり」といううわさが流れ、稲荷信仰などあるはずもないGHQも、何回やっても撤去できないため、結局そのまま残すことになった。
— 京浜急行電鉄『京急グループ110年史 最近の10年』(2008年)「羽田飛行場の始まりと穴森線強制接収」抜粋
なお、強制的に住居を退去させられた後に整地に動員された元居住民らが、反抗心から意図的に鳥居を残したのだともいわれている[10]。
1990年代に入り、羽田空港の沖合展開事業にあたり新B滑走路整備の障害になるためこれを撤去する計画が出たが、地域住民らから穴守稲荷神社や強制接収の憂き目にあった旧住民らのシンボルとして残したいとの要望があったこと等から、拝殿の移設から半世紀以上経った1999年(平成11年)2月に移設されれることとなった[8][9]。
移転工事にあたって土台の周りを掘ると、鳥居が非常に頑丈にできておりロープで引きずり倒せるようなものではないことが判明した。鳥居をクレーンで吊り上げた時にそれまで晴天続きだった天候がにわかに雨風となり、クレーン車のワイヤーが揺れ動く一幕もあったというが、2日間の工事は滞りなく終わり、現在地の弁天橋のたもと(天空橋駅南、弁天橋交番近く)に移設されて今に至っている[8][9]。
Wikipedia:穴守稲荷神社
お稲荷様は、安土桃山時代から江戸時代にかけて広まったそうで。
土地神を持たない集落に神様を迎えるに当たり、他の神社と違い、お稲荷様は僅かな寄付で神社を建てることが認められた為、徳川幕府の開発により入植が盛んだった関東圏で広く信仰されることになった…とかなんとか。
個人でお祀りしているお稲荷様も数多く…何かの事情で遷座することは珍しくないようです。
お稲荷様は、狸の神様と違って引っ越しのプロ…というわけですね。
…などと軽口を言えるほど、事が単純でないことは承知しています。
しかし…それでも敢えて。
ここは、変わらないことの大切さと同様に、変わることの大切さも考えるべきかな…と思います。
人の間に在って、時間の流れとともに姿形を変えながらも、大事なものを変えずにきた。
それを後に伝え残し、示す機会がやってきたのだ…と。