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独り言 その壱千参百四拾八

大きいだけの鈴蘭です。

 4月も末。
 明日の晩から黄金週間が始まる、という方も多いのではないでしょうか。
 今年の私は…27、28、29と三連休、30、1、2と出勤、3、4、5と三連休という形になりました。
 黄金…というほどではないかもしれませんが、お休みを頂けただけ有り難いというもの。
 私は行楽に出掛ける訳でもありませんから、これ位のお休みでも十分。

 しっかりと楽しむことにしましょうかね…。



 そうそう、その行楽と言えば…。
 福岡にある河内藤園の藤が、黄金週間中に見頃を迎えそうということでTwitterにお知らせが出ていました。




 今でも十分綺麗ですね。
 こうして写真で見るだけでも、素晴らしいと感じます。



 ご存知の方もおられるかもしれませんが…この藤園、個人が作った私営の藤園だそうでして…

河内藤園は樋口正男さんが1977年に作った敷地面積3000坪の私営藤園で、赤紫藤、青紫藤、八重藤、長藤、中藤、短藤など全22種類の藤が咲いています。
特に有名な藤のトンネルは「生きてきた証を残したい」という思いから、当時60歳間近だった樋口さんが、30年かけて作り上げたそうです。

観光客が多すぎると藤を痛めるという理由から宣伝は一切していないのですが、2010年代に入り、海外サイトで「世界の絶景10」に選出されたり、
CNNにより「日本の最も美しい場所31選」として特集されるなどし、徐々に知名度が上がり、現在では世界的に有名な藤園になりました。



 藤を守るために敢えて宣伝してこなかったにも関わらず、人伝に評判が広がり、海外から足を運ぶ人が出るにまで至った…と。
 凄いですね…樋口さんの願った通りに『生きてきた証』が、こうして人々を感動させているのですから。
 本当に、素晴らしいと…

 …あー、いや…。

 そんな風に言葉にするのも野暮に感じますね、この光景は;



 …しかし…証、かぁ…。



 その『証』という言葉に、ちょっと思うところがあった鈴蘭です。
 …というのも…。
 近く、大阪梅田のダンジョンにあるセーブポイント…『泉の広場』が改装工事に伴い撤去されることになったそうで…。




 親しんだものが消える、というのは寂しいですね。

 ただ…これも私の勝手な気持ち。

 何故と言って。
 阪急の梅田駅から、ここを通って東通り商店街に抜けるのが、かつての私の定番ルートだったのですが…。
 思えば、当たり前にしていた当時は、この噴水のことなど気にも留めていませんでした。
 だというのに、こうして無くなると知って、無性に惜しいと思っているのです。



 なんともはや…;



 それが何事であれ、人は別離と無縁ではいられません。
 それは洋の東西を問わないものです…が。
 イギリスの東洋学者だったでしょうか。
 西洋と中国の詩を比較して、その差を論じていたのは。

 西洋の詩は愛情をうたい。
 中国の詩は友情をうたう…と。

 その『情』の違いについては、私には分かりません。
 ですが…そんな私にも感じるものもあります。
 例えば、中国の友情と別離を表した詩の一つに、『勧酒』というものがあります。



 勧君金屈卮
  君に勧む金屈卮

 満酌不須辞
  満酌辞するを須いず

 花発多風雨
  花発けば風雨多し

 人生足別離
  人生別離足る



 【直訳】
 君に、この金色の大きな杯を勧める
 なみなみと注いだこの酒、遠慮はしないでくれ
 花が咲くと 雨が降ったり風が吹いたりするものだ
 人生に別離はつきものだよ



 これは于武陵(うぶりょう)という、中国の唐の時代の詩人の残したものです。
 日本では、井伏鱒二の和訳の一節で有名かもしれませんね。



 コノサカヅキヲ受ケテクレ
  この盃を受けてくれ

 ドウゾナミナミツガシテオクレ
  どうぞなみなみ注がしておくれ

 ハナニアラシノタトヘモアルゾ
  花に嵐の喩えもあるぞ

 「サヨナラ」ダケガ人生ダ
  「さよなら」だけが人生だ



 この于武陵は、『于武陵集』という本一冊だけしか資料がなく…この詩にしても、どういった経緯で作られたのか、前後が不明のためによく分かっていません。
 友人との別れを惜しんで酒盃を傾けているという状況は見て取れるのですが、何故そうなったのやら…という。
 しかし、だからこそ。
 この詩の良いところが引き立てられている…とも言えるかもしれません。



 ついつい…私は、余計をしてしまいます。
 綺麗は綺麗。
 寂しいは寂しい。
 感じたままに、素直に表すことが出来ません。
 そのために、いつも大事を見誤り。
 その在り難さを忘れてしまうのです。

 別離足る。

 なにかに出会い、それを大事と感じたからこその、その言葉。
 そこにどれだけの思いが籠められていることでしょう。

 それは目に見えず、形に残せないものではありますが。
 或いは、それこそが『証』なのではないか。

 そんな事を思った鈴蘭です。
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