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独り言 その壱千参百四拾弐

 大きいだけの鈴蘭です。




 おー…明智光秀ですか。
 以前にも制作する話が持ち上がったそうですが、東北の震災を受けて、『東北出身の人の話で被災者を元気づけよう』ということで『八重の桜』が差し込まれ、明智光秀の大河ドラマ化は流れてしまった…そんな話があるそうです。
 その後、大河ドラマの低迷が問題視されたことから、真田幸村などの人気のある人物をモチーフにして巻き返しを図る方針がとられて、明智光秀の企画は延び延びに。
 今回で7年越しの実現なるか、ということですね。

 大河ドラマとして史実に忠実に…とするには謎が多く、あまり迂闊なことが出来ない部分はありますが、お話として面白いものが書けるであろう、魅力的な人だと思います。

 かつては、朝廷や仏門との繋がりが強い保守的な人物で、信長の急進的な改革に反発を覚えて本能寺の変を起こしたとも言われていましたが…。
 近年、比叡山延暦寺の焼き討ちに際して、信長に反抗的な寺の人間を皆殺しにするよう命令する明智光秀直筆の手紙が発見され、定説とは違い、むしろ積極的に焼き討ちを行った人物であったともされているそうです。
 宣教師ルイス・フロイスの著した『日本史』において、明智光秀は『優秀だが信用してはならない人物』とされていますし。
 近年の史料は、その人物評と合致するものではありますが…。
 領地では、善政を施いたことから領民から慕われていたと言われていますし、戦没した家臣の供養のために米を菩提寺に寄進した記録が残っていたりします。
 冷徹、冷酷ともされる一方で、情に厚い。
 『二面性のある人物』などと言われる所以です。

 …でも。

 それ自体は、そこまでおかしな事でもないと思うのですね、私は。
 仕事とプライベート、公私の別はつけるものです。
 明智光秀は几帳面な性格だったと言われていますし(本能寺を襲撃したのが明智光秀と知った信長は、逃げるよう勧める家臣に『光秀の包囲網に穴があるはずがない』と言って断ったとも)、そんな性格だからこそ、その切り替えが厳密だったのではないか…そうも思えますから。



 はてさて、新しい明智光秀像の物語を…ということですが。
 どんな人物像で描くのでしょうね。



■今日のニークス

 アズールレーンについて触れることは多いのですが、改めて見返してみると…自身私の進捗具合については触れていないように思います。

 …なので少し、私のことを。



 ここ最近の私は、9-4をメインに周回していました。
 目的は、この…




 秋月型防空駆逐艦4番艦『新月(にいづき)』の獲得を目指してのことでした。

 即戦力として求めていたわけではありませんが。
 対空の弱い重桜陣営において貴重な防空型の前衛。
 しかも、砲火力、雷撃能力、回避性能、耐久力、スキルの装填指揮…尖った部分はありませんが、そのどれもが平均以上の水準でまとまっており、何れ航空攻撃の厳しいステージが来た時に、重桜艦隊の前衛入れられれば…と。
 そんな事を考えたのです。
 まぁ、その頃には秋月型の姉妹艦…初月なんかが上位互換で実装されてるかもですけどね;



 いえ、それは関係ありませんね。
 性能云々は二の次。
 手元にない、それ故に掘る。

 全ては、そこにあるのですから。



 これで、既存の海域でドロップする船で未入手なのは…9章のジェンキンス、ニコラスだけになりました。
 建造ガチャでの未入手が谷風、オーロラ。
 βテスト参加者に抽選で配布されたアヴローラを除けば、残すは4隻のみ…ですか。
 私にしてみれば上々の進み具合です。

 もっとも…。




 明日にはメンテナンスがあり、ゲームのアップデートが実施され、それに合わせて新規艦が実装されます。
 ドロップ海域は、新たに開放される11章。
 現段階で最高難易度となるであろう海域です。

 この海域では3隻のドロップが設定されており。
 明日からの私は、7隻の背中を追うことになります。



 しかし、最高難易度の海域への挑戦ですか…。
 ログイン時間は長いものの、時間効率の悪いのが鈴蘭というもの。
 育成状況は芳しいものではなく…。







 主力の2人におんぶにだっこ。




 取り敢えず、レベリングなどを兼ねて回れればいいかなぁ…という編成で、最難関の海域の周回を目指します。



 正直、不安でいっぱいではありますが。
 ただ、まぁ。
 現状を悲観はしていません。

 私は私の遊びをしていますから。

 人と比べて進んでいる、遅れている、出来ている、出来ていない、多い、少ない…言い出せばキリがありません。
 これらは、人の中に在っては常について回るもので。
 ゲームというものであれば…尚の事、気になってもしまいます。
 しかし、これらを気にした時。
 私は、私の遊びを失うことにもなりかねません。

 多くの人の中に在るからと言っても。
 遊びの中心は常に私に在るのです。
 人と比べて、その優劣を問うのは良いでしょう。
 ですが、その中心を変えてはなりません。

 人の何かを気にして、自分の遊びを決める。

 …そうして遊ぶ遊びは、一体、誰のための遊びなのでしょう…?

 自分が好きだと思ったから。
 自分が心地よいと感じたから。
 だから、遊んでいて『楽しい』のではないのでしょうか?



 時折。
 私自身を含め、遊び方というものを勘違いしていないか…と。
 そんな事を思う鈴蘭です。

 私は私の遊びをしている…と言いながら、人の目を気にしている自分が居ることを自覚していますから…ね;
 せっかく得たものを、そんなことで失いたくはないものです。
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