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独り言 その壱千参百参拾五

 大きいだけの鈴蘭です。

 4月に入ったというのに、寒い日が続いています。
 春は何処に行ってしまったのかと疑ってしまうような陽気に、恨めしさも覚えてしまいますが…。
 しかし、こうした寒さも、きっと一時の事なのでしょう。
 既に4月も中旬に差し掛かろうかという頃。
 直に暖かくなり…この寒さも忘れて、暑い暑いと言うようになるに違いありません。

 そうなる前に。




 部屋の模様替えを始めた鈴蘭です。



 …いえ、『何故に模様替え?』という話ですが…。



 これまでは、ポインティングデバイスというとトラックボールを使っていました。
 トラックボールは使い辛いという人も少なくありませんが…私個人としては、場所を取らず、細かい作業にはマウスより向いていると感じており、気に入っているのです。
 ところが最近、愛用していたトラックボールがチャタリングを起こすようになり。
 『そろそろ買い換え時かなぁ…』と思っていた矢先に始まった、フォートナイト生活。
 トラックボールは細かな操作をするには向いていますが、細かい動きまで拾い過ぎてしまうために、ゲームでは加減が難しくなりがち。
 これも巡り合わせかと思い、ネットで評価の高い(?)ロジクールのゲーミングマウスに買い替えました。

 しかし、一つ何かを変えると、その回りも気になり出してしまい。

 それだったら、ここはこうして…。
 あれはこっちに持ってきて…。
 これは要らないから捨てて…。
 
 …そうして色々と手を付けるうちに、部屋の模様替えをすることになってしまいました。



 なんとも…行き当たりばったりで計画性など無い、私らしいことです;



 ただ、そのお陰…というのも変かもしれませんが。
 フォートナイトの方は画面酔いも殆しなくなり…徐々にではありますが、操作の練習に集中できるようになってきました。

 …といっても。

 不慣れなゲーム。
 初めてのキーボード操作。
 久し振りのマウス。

 画面の中の私は、立って歩けるかも怪しい有様です。
 これでは銃を持ったところで、満足に戦えるものではありません。
 TPSでこれでは、一方的にやられるだけになってしまいます。
 しかし幸いなことに…フォートナイトというゲームは、単純な射撃戦の技術の優劣だけで勝負が決まるのではなく。
 自身が『建築』によって作る壁などを、如何に工夫できるかが勝負を決めます。
 その工夫を身につけるため…。
 ゲーム本来の目的であるバトルロイヤルから外れ、人の少ない田舎で木を切り倒し、せっせと小屋を建てる練習をしている鈴蘭です。

 …傍目には、何をしてるんだって話でしょうが…。

 楽しいものですよ。
 それがどんなことであれ、何かの目的に向かって進む、というものは。



■考えすぎ?

 かつて『蘇軾(そしょく)』という人が古代中国(北宋)にいました。
 官僚、詩人、書家という肩書を持っていましたが…官僚としては、上司との意見の相違から左遷を繰り返すばかりの、不遇の生涯を送ったとされます。
 しかし、詩人、書家としては大成し、同時代の詩人7人と共に『唐宋八大家』と称されるほどの人です。

 三国志好きの人なら『赤壁の賦』という詩のことをご存知かもしれません。
 この詩を書いた『蘇東坡(そとうば)』とは、蘇軾のことであり…『蘇東坡』は彼の号(ペンネームのようなもの)です。
 彼は不遇の人生を送る中で独特な考え方を持つようになり、それが彼の作った『赤壁の賦』に表れていると言われています。



 その『赤壁の賦』ですが。
 ちょっと原文が長いので…詳しく知りたいという方は、『赤壁の賦』を解説しているサイトをご覧頂くとして…。
 ここでは白文だけを引用し、ざっくりとした意味を。

 前赤壁賦

壬戌之秋七月既望蘇子與客泛舟遊於赤壁之下淸風徐來水波不興擧酒屬客誦明月之詩歌窈窕之章少焉月出於東山之上徘徊於斗牛之閒白露横江水光接天縱一葦之所如凌萬頃之茫然浩浩乎如馮虚御風而不知其所止飄飄乎如遺世獨立羽化而登仙於是飲酒樂甚扣舷而歌之歌曰桂櫂兮蘭槳撃空明兮泝流光渺渺兮予懷望美人兮天一方客有吹洞簫者倚歌而和之其聲嗚嗚然如怨如慕如泣如訴餘音嫋嫋不絶如縷舞幽壑之濳蛟泣孤舟之嫠婦蘇子愀然正襟危坐而問客曰何爲其然也客曰月明星稀烏鵲南飛此非曹孟德之詩乎西望夏口東望武昌山川相繆鬱乎蒼蒼此非孟德之困於周郎者乎方其破荊州下江陵順流而東也舳艫千里旌旗蔽空釃酒臨江横槊賦詩固一世之雄也而今安在哉況吾與子漁樵於江渚之上侶魚鰕而友麋鹿駕一葉之輕舟擧匏樽以相屬寄蜉蝣於天地眇滄海之一粟哀吾生之須臾羨長江之無窮挾飛仙以遨遊抱明月而長終知不可乎驟得託遺響於悲風蘇子曰客亦知夫水與月乎逝者如斯而未嘗往也盈虚者如彼而卒莫消長也蓋將自其變者而觀之則天地曾不能以一瞬自其不變者而觀之則物與我皆無盡也而又何羨乎且夫天地之閒物各有主苟非吾之所有雖一毫而莫取惟江上之淸風與山閒之明月耳得之而爲聲目遇之而成色取之無禁用之不竭是造物者之無盡藏也而吾與子之所共適客喜而笑洗盞更酌肴核既盡杯盤狼藉相與枕藉乎舟中不知東方之既白



 後赤壁賦

是歳十月之望歩自雪堂將歸于臨皐二客從予過黄泥之坂霜露既降木葉盡脱人影在地仰見明月顧而樂之行歌相答已而歎曰有客無酒有酒無肴月白風淸如此良夜何客曰今者薄暮擧網得魚巨口細鱗状如松江之鱸顧安所得酒乎歸而謀諸婦婦曰我有斗酒藏之久矣以待子不時之需於是攜酒與魚復遊於赤壁之下江流有聲斷岸千尺山高月小水落石出曾日月之幾何而江山不可復識矣予乃攝衣而上履巉巖披蒙茸踞虎豹登虬龍攀棲鶻之危巣俯馮夷之幽宮蓋二客之不能從焉劃然長嘯草木震動山鳴谷應風起水涌予亦悄然而悲肅然而恐凜乎其不可留也反而登舟放乎中流聽其所止而休焉時夜將半四顧寂寥適有孤鶴横江東來翅如車輪玄裳縞衣戛然長鳴掠予舟而西也須臾客去予亦就睡夢一道士羽衣翩躚過臨皐之下揖予而言曰赤壁之遊樂乎問其姓名俛而不答嗚呼噫嘻我知之矣疇昔之夜飛鳴而過我者非子也邪道士顧笑予亦驚悟開戸視之不見其處



 【意訳】
 名月の夜、舟遊びをする蘇東坡と友人。
 船上で酒を酌み交わし、詩を吟じ、笛を吹く。
 楽しい時間の中…ふと、友人が長江を眺めて悲しそうに呟きます。
 『自分たちは、広大な長江の悠久であることに比べ、何と小さく儚い存在なのだろうか』と。

 友人の、そんな世の無常を嘆く言葉を聞いた蘇東坡は、諭すように語ります。
 『変化するという視点に立てば万物に変わらないものなど無い。しかし逆に、変化しないという視点に立てば万物は永劫不変である。月は満ち欠けするが、結局元の満月に戻るのを見てごらんよ』と。
 さらに続けて。
 『全ての物に所有権が主張される人間界と違い、清風や名月、ひいては自然界の全てのものは、いくら味わっても禁じられもせず尽きることもない。この造物主が齎した無尽蔵の楽しみを大いに味わいましょう』

 これを聞いて喜んだ友人と、また酒を飲みなおすのだった…。



 この詩に見られる蘇軾の考え方から、後に生まれた言葉は今の世にも残っています。

行雲流水
こううんりゅうすい【行雲流水】
〔宋史 蘇軾伝〕

空行く雲や流れる水のように、一事に執着せず、自然にまかせて行動すること。
                   【出典 三省堂



 春が過ぎれば夏が来ます。
 春の終わりを嘆いても、春が戻ることはありません。
 移ろいゆくものの変化を拒んだところで、何も変えられないのです。

 しかし。

 春が過ぎれば夏が来ます。
 夏が過ぎれば秋が来ます。
 秋が過ぎれば冬が来ます。
 冬が過ぎれば春が来ます。

 そうして季節は一年を通して巡るものとして、常にその変化の中に在るものと考えれば。
 同じ時間の流れの中に在る限り、そのサイクルの中で変わらずに在り続けられるはずです。

 時間の流れを否定して立ち止まるのではなく。
 時間の流れを肯定して共に流れゆく。

 大事な物、譲れないものはそのままに。
 相手が移ろうものであるなら、自分もそれに沿わせて移ろう。
 変わることで変わらない。
 …そんな形もあるのではないでしょうか?







 PSO2も、始まって随分と経ちました。
 これまでの時間の流れの中で、色々と変わったこともあるかと思います。
 5年…6年ですか。
 小学生が中学生になろうかという…それだけの時間は、決して短いものではありません。
 特に…フレさん達の変化を見るにつけ、一人、時間の流れに取り残されてしまったかのような…寂しさに似たものを感じる鈴蘭です。

 しかし、その一方で。

 そんな寂しさを覚えることが正しいものか…。
 その時間の流れの中で、人が進学し、社会に出て、家庭を持ち、子供が出来て…そうした変化によって、その人がその人でなくなるものか…そんな疑問を覚えました。
 無論、環境の変化によって価値観が変わる…ということはあると思います。
 ですが、その人と共にした時間の中で、変化も共にしているのであれば。
 その人が変わったとしても、関係は変わっていないのではないか。
 大事が大事でなくなることなどないのではないか。

 私に器用なことは出来ませんが。
 相手が変わるというのなら。
 それに沿わせて変わらずに居られたら…と。

 …そんな風にも思えるのですね。



 そして。 



 それは、人と人だけのことではなく。
 人と物…。
 人とゲームにおいても同様ではないか…と。

 そんな事を思った鈴蘭です。
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