FC2ブログ

独り言 その壱千参百弐拾五

 大きいだけの鈴蘭です

 年度末が近いとあって、ウチの職場も大忙し。
 シフトの変更が入り、今月末までは変則的な休日になる予定です。
 …まぁ、私などを使ってもらえるだけ有り難いこと。

 贅沢を言わず、励むこととしましょう…;



 …という、嘆きは短く。






 アズールレーンでは、待望…と言ってもいいでしょう…の幸運艦『雪風』の実装が発表されました。

 太平洋戦争中、常に最前線に身を置きながらも大きな損害を受けず、ついに終戦まで生き延びた奇跡の駆逐艦。
 大和が沖縄特攻を命じられた際にも護衛として随伴。
 米軍の猛攻を掻い潜って沖縄を目指したものの、大和が撃沈されてしまい作戦は失敗。
 参加した戦闘艦10隻のうち、6隻が沈没するという壊滅的な損害を受けてしまいましたが…その中にあって、雪風は最後まで戦場に留まって、大和の乗組員を救助した後に撤退。
 無事に本土への帰還を果たしています。

 にわかの私でも名前を知っている、有名な艦です。

 海軍の兵士からは『呉の雪風』と称されており、大戦当時から不沈艦、幸運艦として有名だったそうです。
 しかし、その一方で…。
 雪風を『幸運艦』とする評価に、懐疑的な声も聞かれます。

 近現代史評論、戦史研究家の半藤一利は雪風を栄光の駆逐艦とする評価に否定的で、水雷戦を想定して製造されながら、船団護衛や船団代わりの輸送などの予想外の役割に死力を尽くして働かなければならなかった雪風は、近代戦の持つ過酷さに対する証人であり、悲劇の消耗品だったと記している。
      【Wikipedia:『雪風』より】



 最前線に身を置き続けた雪風ですが。
 その実、戦力が乏しくなった海軍の都合に振り回され続け、夕立などのように華々しい戦果を挙げるような、駆逐艦本来の仕事というものはしていません。

 駆逐艦として生まれながら。
 駆逐艦として恵まれず。
 駆逐艦として栄誉は得られなかったものの。
 幸運艦として後世に名を残した駆逐艦。

 何が幸運で、何が不運であるのか。



 その評価に…人の生き方が重なって見えるように感じる鈴蘭です。



 上に挙げたアズールレーンの運営のTwitterに、『自分の努力を信じて疑わず…』という一節がありますが。
 それは雪風に関する評価に由来した設定です。

 天一号作戦で雪風と共に出撃した駆逐艦冬月の水測士の土橋久男元少尉が阿川の評価を裏付ける証言を残している。土橋元少尉は雪風と同じ戦隊で応急処置の訓練を行った事を回顧し、「訓練ではいつも雪風が群を抜いて早く正確に応急処置ができていた。日頃の訓練の成果が好運艦、強運艦を生んだのであって、単に偶然が好運艦を生んだのではないと感じた」と述べた。
      【Wikipedia:『雪風』より】



 不遇であっても、真摯であればこそ。
 不遇であっても、直向きであればこそ。

 幸運などにではなく…そうした姿が、人の心を強く惹きつけるのかもしれません。



 出来ることなら、私もそう在りたいものです。



■今日のニークス

 木鶏(もっけい)
 闘鶏における、強さの理想形とされる姿を指す故事です。
 

紀悄子(きしょうし)に鶏を預けた王は、10日ほど経過した時点で仕上がり具合について下問する。すると紀悄子は、 『まだ空威張りして闘争心があるからいけません』 と答える。

更に10日ほど経過して再度王が下問すると 『まだいけません。他の闘鶏の声や姿を見ただけでいきり立ってしまいます』  と答える。

更に10日経過したが、 『目を怒らせて己の強さを誇示しているから話になりません』 と答える。

さらに10日経過して王が下問すると 『もう良いでしょう。他の闘鶏が鳴いても、全く相手にしません。まるで木鶏のように泰然自若としています。その徳の前に、かなう闘鶏はいないでしょう』 と答えた。
              【Wikipedia:『木鶏』より】



 このお話は例え話であり…実際には、此処に出てくる王が預けた闘鶏とは人間を暗喩したものとされます。
 他人に惑わされて軽挙妄動、付和雷同するようでは駄目で。
 自分というものを軽々しく動かさず、何事を前にしても泰然と構えられるようになってこそ、その姿に人は感じ入るようになる。
 これは、そんな教えを示しています。

 そんな木鶏が理想というのなら。
 片や私は風見鶏といったところ。

 何かを見る度。
 何かを聞く度。

 私は容易に揺らぎます。

 あっちへクルリ。
 こっちへクルリ。

 最近、記事に故事を引く時に『はて…これは前に書いただろうか?』と思い、過去の自分を振り返ることがあるのですが。
 いつもあっちこっちへ意識を向けているので、一周回って同じことを繰り返してしまってはいないか、自信が持てないのですね。
 我ながら、自分の言ったことの責任も持てないのか、と…なんとも情けないことと思いつつ…。
 そうして、過去の自分が、未来の自分に向けて書いたものを見て。

 これを書いた過去の自分が思い描いた、未来の自分が私で良いのだろうか?

 …そう思ってしまうのです。



 考えるほどに、深く、広く、重く…そうなるものである筈なのに。
 以前は文が短くとも、自分の言葉を書いていたというのに。
 果たして今の私は…?
 最近は文こそ長いものの、自分の言葉というものが少なくなってしまい…。
 以前に比べて、なんとも薄っぺらいものになってしまっています。
 
 私は、なにか大事なことを忘れてしまっていないか?
 私は、なにか大事なことを勘違いして理解していないか?

 …などと、こうして考えている間も。
 風見鶏な私は、クルリクルリと回り続けています。
 こんなことだから、目の前の人の姿も捉えられないのでしょうね。

 木鶏とまでは言いません。
 せめて…。

 そんな事を考え、何をどうするか…今更ながらに思い悩む鈴蘭です。



 …最近、『(´・ω・`)』を控えてるのは、この辺にあるのです。
 頼りすぎて、飾りすぎてしまった…と。
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する