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独り言 その壱千参百弐拾

 大きいだけの鈴蘭です。




 面白いですね。
 もし、松尾芭蕉がスマホを持っていたら、という想像は。
 FacebookやTwitterを駆使して思うままに…そんな姿を思うと、微笑ましくなってきます。

  『いや、松尾芭蕉はそんなもの使わないんじゃない?』

 …そう思われる方もおられるかも知しれませんね。
 松尾芭蕉という人は、後世において『俳聖』とも評される人物で、生涯を俳句のために捧げ尽くしました。
 教科書にも彼の作品が載せられていますし、その業績を称える記述があるのを見た人もおられるかと思います。
 聖人として敬われるのを見ると、凡人には到底理解し難い、難しい事ばかりを考えて実践していた人のようにも感じてしまいますが…。
 松尾芭蕉は、普段使われる何気ない出来事を、言葉を飾らず、心のままに自由に表すことに俳句の美しさがある…そう考え。
 得てして文化人が忌避しがちな『俗』を、如何にして俳句に取り込むかをテーマにしていました。

 俳句を芸術にせんとする志は高く。
 でも、作る俳句はシンプルに…と。

 松尾芭蕉が生きた時代、庶民の間では俳諧が大流行していました。
 誰もが手軽に楽しめる娯楽、余興。
 それらは時に低俗、破廉恥ともされるような内容であったのだそうで。
 そこに文学的な芸術性はありませんでした。
 松尾芭蕉は、そんな俳諧を芸術の域にまで高め、俳句として完成させようとしたのです。

 …しかし。

 どれだけ文学的に優れた技巧を凝らした、高尚で素晴らしい俳句であっても。
 それを理解できる人が居ないのであれば、それに何の意味があるというのでしょう?
 人の間で生きている言葉で作られるものなのです。
 多くの人から大事にされ、愛される…そうして初めて、俳句は俳句として生きることになるのではないでしょうか?

 俳諧を芸術の域にまで高めつつ。
 決して、日常の感覚からは離れない。
 
 それが、松尾芭蕉の追い求めたテーマ…俳句です。

 松尾芭蕉は素人の催す句会などに足を運び、素人だからこその型に囚われない、自由な発想で作られる俳句を楽しんでいたのだとか。
 …それを思えば。
 松尾芭蕉が、世界中の人と繋がる事のできるスマホを持ったなら…。
 きっと、数多くの俳句を詠み、数多くの人の俳句を読んで楽しむだろうな…と。
 そんな事を考えた鈴蘭です。

 

ー ◆ ー




 先日来より…。
 アズールレーンにおいて、流れているチャットを眺め、時おり相槌などを入れていたものの。
 話らしい話…というものは、相変わらず出来ていません。
 自分というものの底が浅いばかりに、相手に何かを感じさせるような事も無く。
 ただただ無知や馬鹿を晒して、呆れられてばかりのようにも思え…。
 これなら、やっぱり…などという弱気が、いつもついて回っている鈴蘭です。

 だというのに…。

 一昨日の朝のことでしたか。
 チャットで挨拶をしたところ…。

  『SUZURANさんって、いつも居ますねw』
  『いつ寝てるのかと不思議だった』
  『確か夜勤でしたよね?』
  『ここのヌシみたい』

 …と、複数の方に返されたのです。
 その夜にも、挨拶の際に違う方たちに同じような反応をされ。
 人から、私が私として認識されていたことに驚きました。

 人より秀でた何かがある訳でもない私のこと。
 これと言って何かをした覚えもありません。

 そんな私が人の記憶に残っていた事に…。
 そして、人から迎えられた事に…。
 喜ぶよりも何よりも、『何故?』と疑問に思ったのです。



 …また、一方で。



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                     (C)SEGA

 最近の週末は、アークスシップに乗り込んでも、専らマイルームでぼんやりと過ごしている鈴蘭です。
 離席しているわけではなく、画面の前で別の作業をしていたりで…クエストには行けないものの、チャットぐらいは出来るという状態。
 ロビーで突っ立って居るのも落ち着かないので、マイルームの定位置に腰を据え、チームメイトのチャットが流れていくのを眺めています。

 …そんな私の元に、話をしに訪ねておいでになる方もおられるのですが…。

 ある時、訪ねてこられた方に『ここって、いつ来ても誰かしら居るよね』と言われ。
 その方が『これも人徳だね』と言葉を続けられたのですね。
 
 …人徳ってなんでしょう…?

 いえ、言葉の意味は知っています。
 しかし、そうしたものは何かを成した人、何かを成そうとしている人が持つもので。
 私のような怠惰な人間が持ちえないものであるはずです。
 私の人徳と言われても…皆目見当がつきません。
 その点を疑問に思い、聞いてみると…。

 曰く『話していると安心する』…と。
 
 …私からすれば、ただただ相手を困らせているだけのように思っていたのですが。
 私との時間を、相手がそんな風に感じている事に…。
 喜ぶよりも何よりも、『何故?』と疑問に思ったのです。



 私が囚われてしまっているのでしょうか。
 こうあらねばならない、そうでなければならない…と、有りもしない型に嵌めようと躍起になって。
 人に伝えるべき本来のものを見失っているのでしょうか。

 本当に…言葉は不思議なものです。

 同じ言葉に、一方では有ると言い。
 同じ言葉に、一方では無いと言う。

 何故なのでしょうね。
 
 私には何もない筈なのですが…。
 人は私の何を見ているのでしょう?

 言葉でのみ存在する、仮想の私たち。
 
 私などからすれば…。
 こうして言葉遊びをしているだけの私に騙されないでください。
 飾られた言葉の上辺だけを見て判断しないでください。
 私を反面教師とするのが貴方の為です。
 私に何かを見ているというのなら、それは貴方の優しさです。
 …そう言いたいのですけどね。
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