FC2ブログ

独り言 その壱千参百壱拾五

 大きいだけの鈴蘭です。

 今週末には第二土曜日があり。
 恒例の『褐色集会』に参加してきた鈴蘭です。

 前回、前々回と開始時間と目玉の緊急が重なった事もあり、静かなスタートという印象でしたが…。




 今回は、それとは打って変わって随分と賑やかなスタートとなりました。
 参加者に何故と聞けば…『(今回の緊急は)行かなきゃいけないものでものでもないから』とのこと。

 …ふむ。

 一人二人の事ではなく、こうして多くの人が…となると。
 少なくとも、ここに好んで足を運ぶような人にとっては、今に不足を感じており。
 代わりに『褐色集会』で、その不足を補いたいと考えた…というところでしょうか。



 私は会場の外縁に陣取り、会場を訪れる方一人一人に挨拶をします。
 『こんばんは、○○さん』と。
 わざわざ名前を呼ぶのか、と思われるかもしれません。
 まぁ…確かに、私自身も大仰と思わなくもないのですが…。
 しかし、こうしたイベントにおいては、参加者としてではなく…ただの観客として人の輪の外に取り残されている人、というのは少なくないように思います。
 折角、何かを求めておいでになったのです。
 『あなたも参加者として、輪の中へどうぞ』
 そうした意図をもって、敢えて名前を呼んで挨拶をしている鈴蘭です。



 ただ…。
 これは少し話が逸れますが。



 正直なところ、人との距離のとり方が不器用な私のこと。
 『人と遊ぶ』とはどういうものなのかを、よく分かっていません。
 …例えば、アズールレーンにおいて。
 オープンチャットで、集会と同じように『こんばんは、○○さん』と挨拶するのは、他の人と不当に区別しているようにも感じられ…。
 こうした場の挨拶は、むしろ簡素なものの方が良い…と学びました。

 これは、旧知の方に話しかけるのも同様で。
 違うゲームでの繋がりなど、他の人には見えません。
 私が、それを持ち込んで他の人と区別…いえ…私が、相手を勝手に枠に嵌めてしまっては、その人が楽しめなくなってもしまうことでしょう。
 折角の真新しい土地。
 そこに、まだ見ぬ花を新たに求めようという人に、私が横から茶々を入れるのは酷く無粋なことなのですから。

 しかし…。

 思えばこれも、立場を変えてみれば…。
 私が枠に嵌めないことで、相手を『枠に嵌めない』という枠に追いやっているのやもしれず。
 果たして、これで良いものなのか…私には、よく分かっていません。

 これではいけないのかな…。
 いや、これでいいのかな…。 

 そうして迷ってばかりの私ですが。
 絶えず考えることにこそ、大事があるのかも知れず。
 これでいい、と答えが出てしまえば、あっけなく壊れてしまうものなのかもしれません。



 人は一人で生まれ、一人で死んでいくもの。
 何を持ってこられるわけでもなく、何を持っていけるわけでもない。

 …死生をそうしたものだと考え、人を遠ざけてきた私でしたが…。





 ネットというものに触れて、色々と考えるようになりました。
 とても私の身に付くものではありませんが…。

 これはこれで良いもの、と。

 そう思えるのですよ。
 本当に。



■今日のニークス

 週末。

 私は、金曜日と土曜日の朝はもう長いこと…フレさんとの約束を入れています。
 約束と言っても、そこに明確な時間の決まりはなく、『この時間くらいに』という程度のものです。
 これは、アークスシップで過ごした年月が積み重なった分だけ、それぞれの現実での時間との折り合いの付け方が変わってしまったため。
 こうした変化は…そこかしこに見られます。
 思えば、もう何年になるでしょう?
 学校を卒業して社会に出た人もいます。
 子供が生まれ、育児に追われている人もいます。
 時間が曖昧であるのは、そうした変化を受け入れたからこそ。
 多少の遅れでも『この時間くらいに』の範囲の内なのです。
 
 それでも、たまに遅れておいでになったフレさんは『すみません』と、謝罪の言葉を口になさいます。
 対して私は『お気になさらず』と返しますが…。
 これは、礼儀の上で必要ともされる受け答え。
 どれだけ親しかろうが、引くべき線です。
 それを大事にしようという、フレさんの在り方には好感を覚えます。

 …ただ。

 そこに、どんな線を引いているのか。
 それが気になった鈴蘭です。

 線を明確な形にしなければ、礼儀としては成り立ちません。
 しかし、それは…謝罪する側と謝罪を受ける側で違って見えているのかも知れません。
 形にする上で、どんな気持ちで線を引いたものなのか。
 案外、それは曖昧なのかもしれないのです。

 皆さんの場合はどうでしょう?
 謝罪を受け入れ、『お気になさらず』と線を引くとき…どんな気持ちでいるのでしょう?

 私の場合…。



 強いて言えば『ありがとう』でしょうか。



 映画に行くなり食事に行くなり遊びに行くなり…何かしらの約束があるとして。
 予定の時間に遅れることは、誰かしらへの迷惑になります。
 そうした迷惑は…私も無論、嫌うものではあるのですが…。
 一方で、私個人の事に限って言えば、そうした迷惑は迷惑とは思っていなかったりします。

 約束をした時点で、私は約束をした相手の為に時間を使うと決めたのです。
 遅れることで、予定がずれる、狂う…と、怒る人はいます。
 それも当然のこととは思います。
 ですが…私にとっては『相手を待つ』のも、その約束の内のこと。



 場を整えて。
 お茶を準備して。
 一人席に着いて。
 いつ来てもいいようにしたところで、一息。
 落ち着いたところで、持ってきた本を取り出し読み進め…。

 …。

 ふと時計を見遣り…『もしかして都合が悪かったかな』と。
 約束の時間が終わったことを確認したところで、一息。
 一人席を立って。
 お茶を片付けて。
 場を整えて。

 『では、また明日』と、お暇する。



 極端な話…これでも私は十分です。
 …変、ですか?
 私にとっての約束とは…こうしたものでもあるのです。
 時間を無駄にしている?
 いえ…私には、そうとも思えません。

 約束した相手が、その場にいなくとも。
 そこに相手の気遣いがあると思えば、待つことは別に無駄ではないでしょう。
 私にとっては、単純に『待つこと』が『価値を減じること』に繋がるわけではありません。
 むしろ、約束をしたことで、こうして時間を楽しむ機会が与えられたのです。
 ただ一人で過ごすより、よほど有意義ではないか…とも思えます。

 この辺りは、私の…時間や相手に対する捉え方の問題で…。
 言葉にするのが難しく、分かっては貰えないかも知れません。
 説明しようと考えれば考えるほど、違うものになるようにも感じますから。



 相手の『すみません』の謝罪の言葉に。
 私が『お気になさらず』と返す。
 それは『遅れたことを気に病まないでもいい』という以上に。
 諸々を含めた『ありがとう』という…そんな気持ちがある。 

 改めて書く機会があれば、書いてもみたいものですが…。
 取り敢えず、今はそれだけを。



 私が遅れたり、忘れたりしたときは…気が気ではないのですけどね;
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する