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独り言 その壱千参百九

 大きいだけの鈴蘭です。

 PSO2にしろ、スプラトゥーンにしろ、何にしろ。
 実際に上手い人と一緒に遊ぶ機会というのは、そうそうありません。
 特に私など…その接点を得ること自体が少ないのですから、そうした時間を持てるのは、間違いなく幸運なことです。
 得難い時間を自分に成長の糧にすべく、アレコレと試行錯誤をしている鈴蘭です。

 …しかし。

 成長に活かすにも、通るべき筋道があろうかと思います。
 例えば…上手い人の動画を見て、その動きを真似ることで上手くなる…ということはあると思います。
 壁に突き当たり、どうすればいいのか分からずにいたところで、ヒントを貰ってキッカケを作る。
 私も解説動画などを見るようになり、その有用性は実感しています。
 ただ…。
 何故、その動きをする必要があるのか…その『何故』を理解していなければ、どれだけ上手に動きを真似たところで…いつまで経っても、自分の動きにはならないのではないでしょうか?

 いえ、天性のセンスを持っている人なら、なんとでもなるのでしょうけどね;
 そんなものを持ち合わせていない私が、横着して近道をしようとしても、怪我するだけ。



 かつて…エジプト王のトレミーが『幾何学が面倒なんだが…もっと簡単に教えてくれ』と、教師を務めていたユークリッドに注文したところ…。
 ユークリッドは『幾何学に王道なし』と答えたのだとか。


 
 …そう。
 『学ぶ』ということに近道などない、と…。
 





 そんな先人の教えに従い、基礎の反復を繰り返す毎日の鈴蘭です。



 下手なりに練習した甲斐があったのか…。
 最近ようやく、同じBレベル帯の人との対戦でのキルレシオ(撃墜対被撃墜比率)が1を上回るようになってきました。
  ※キルレシオ補足
   自分が一回倒されるまでに、一回相手を倒せば1:1。
   自分が一回倒されるまでに、二回相手を倒せば2:1。


 以前は、ろくに狙いをつけられず…一発も当てられないまま倒されるというケースも多かったのですが。
 今は、相対するまでの工夫の不足で倒されるケースの方が目立つようになりました。

 …さて、此処が次の課題となります。

 全体の戦況を見る意識が薄く、目の前で展開している状況に対応しようとして、視界の外からの攻撃に倒される。
 以前に比べて人数の有利不利を確認するようにはなりましたが…。
 まだまだ注意力が足りません。

 いえ、注意力『も』ですね。

 今の私には、何より経験と知識が足りません。
 無論、経験はこれからも積み続けます。
 相応に、知識も蓄えて行こうと思います。
 不器用な私のことですから、きっとトンデモナイ回り道をしながらになることでしょうが…;
 途中で投げ出すようなことをせず…少しずつでも、と。

 …え?
 上手い人がいるなら聞けば早いんじゃないか、と?

 それは、安易に頼るべきではないでしょうね。
 その人に憧れ、その人に近づくのは『私』でなければなりません。
 その人の形を模しただけの『その人のような何か』では意味が無いのです。

 疑問や悩みが無いではありません。
 それらが口をついて出そうにもなります。
 しかし、そうする前に。
 私は、私自身で何をしたのか…それを考えます。

  …まぁ、これが過ぎて…私は遊んでる時に無口になってしまうのですが…;

 『私』は、失敗してばかりで情けないとは思います。
 でも、だからといって『私』であることは辞められませんし…辞めるべきではありません。



 …ここで勘違いされがちなのですが。



 私にとって、失敗することと負けることはイコールではありません。
 負けるのが嫌だから、という理由で『私』は『私』を否定するようなことはしません。
 
 考えること。
 失敗すること。
 改めること。

 それらが遊びの本質で。
 私にとっての勝ち負けは…遊びの終わった先にある、オマケでしかありません。

 負けて悔しいと思わないわけではありませんが。
 それは『あの時、ああしていれば違う結果になったかも』というもので。
 負けたこと、そのものではなく…。

 私が、改めるべきを改めなかったこと。
 私が、挑戦すべきを挑戦しなかったこと。

 そうしたことを振り返って、遊びきれていなかった私を悔しいと思うのです。 



 …この辺り、思えば…昨日の記事にも通じるところがあるようにも。
 アスリートのそれと遊びとを同列に考えることを、不謹慎と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが…。
 楽しむ、ということに区別など無いと思うのですね。
 当人の意志とは関係なく、周囲が『そうあるべき』と望むのであれば、そうでなければならない…というのなら。
 人の個性など無意味なものになってしまいます。

 その人だからこその楽しみがあるのです。
 他の誰かに代わって貰ったところで得られない、その人自身が遊ぶからこその楽しみが。
 その為にも…。
 勝った負けたではなく。
 思い残しを作るような遊びをしない。

 …それを一つの理想と思う鈴蘭です。



 まぁ…。



 実際のところ…色々足りていないので、言葉ばかりなのですけどね…私は;
 でも、だからこそなのでしょう。
 私の先を行く人たちを見て…素直に感心してしまうのです。

 同じ遊びをしながら、ああも楽しめるものなのか…と。

 そうした人たちとの時間は、私にとって楽しいものなのですよ。
 本当に。
 その楽しい時間のためにも。
 また、練習をすることにしましょう。



■コメントのお返事
 …また後ほど。
>リオ@FPS畑さん
 コメントありがとうございます。

 …ああ、なるほど…タレント性ですか;
 やっぱりそうしたもので特色を出そう…という考えがあるんですね、何処にも。

 アスリートの心境も複雑ですし…当人が本当に『残念だった』と悩んでいたのだとしたら、ああした切り出し方もアリだったかもしれませんが。
 松岡修造さんのインタビューでは、笑顔を見せたという点から見れば…。
 些か心無い言葉ではなかったのかな、と思えますね。

 人の内面を引き出すことをこそ求められるインタビュアーが…とは思っていましたが…。
 なるほど、タレント性…。
 伝えたいものを伝えるのに都合の良いものを、というところなのでしょうかね;

 興味深いお話をありがとです。
 


 パラリンピックの取材の応援ですか…;
 五輪後の半島情勢がどうなるか、不透明な状況ですし。
 くれぐれもお気をつけて;
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