独り言 その壱千参百七

 大きいだけの鈴蘭です。

 今日はアズールレーンのお話で一本。



 チャットをどうするか…あれこれ考え続けている毎日ですが。
 何かを望むなら、自分からアクションを起こさねばなりません。
 私自身の良し悪しについては、私の実際の行動から判断して貰って…。
 そうして、直すべきを直せれば、と。

 …それが出来るものかどうかについては、後ほど語りを入れるとして…。



 先日、アズールレーンでチャットした方たちのお話を。



 犬も歩けば棒に当たる。
 一応、不出来な私でも私なりにアズールレーンでお話をして下さる方がいます。

 知識というか…常識が欠けている私のこと。
 そうそう皆さんと話を合わせられる訳でも無いのですが…。
 何かのときに、触れ合う…いえ、噛み合うようにして場が盛り上がるタイミングがあり。
 そうした機会に見聞きしたアレコレを、皆さんのカラーとして覚え…。
 私に出来る範囲の、私なりの合わせ方を模索しています。



 これは、先日『加賀さん(アズールレーンのキャラクターの一人)が好きでドールを作ってるところ』という方と話した折に教えて頂いた、その方の動画です。

 私に造形に関する知識はなく。
 私に元ネタに関する知識はなく。
 私には、この方の作品の良し悪しを評価するような事は出来ません。
 しかし…。
 この方がゲーム中で語ってくれたお話から、この方がどれだけの情熱を注いでいるのか…それを私は知りました。

 これが、どういうものかについては分かりません。
 ただ、それを好きという…この方は素晴らしい。
 それ以上も以下もなく、そう思ったのです。



 チャットで何をすればいいのか…まだ分かっていません。
 でも、少なくとも。
 それを大事に出来るような…そんな鈴蘭であれば、と。



■考えすぎ?

 いつもの事といえば、いつもの事ですが。
 私は、私が分からず…何をどのように説明したものか、見当がつきません。
 今回も無駄に長く、趣旨も不明瞭な文章かと思いますが…。
 迷いつつ書いている点を汲んで頂ければ幸いです。



 大艦隊の設立に関して…ブログを読んで下さった…ここは友人とさせていただきます…その方に諭されました。
 『それは浅い考え。甘いのではないか?』と。

 …いいところを突かれましたね;

 そうなんですよね…こう…なんというか…。
 人に迷惑をかけたのであれば、迷惑をかけたケジメをつけた上で私が消えれば…それ以上、周りが不愉快な思いをすることはない。
 私の存在が問題の原因であれば、それを取り除くことで物事は収まるだろう…と。
 私は、そんな考えを持っています。
 ただ…それだと、周囲の方が私に向けてくれたモノの尽くを無駄にしてしまいます。
 責任の果たし方としては、それは解決というには程遠い…片手落ちのもの。
 言ってしまえば…『逃げ』です。

 大艦隊の設立は、その『逃げ』に通じるものがあるのですね。
 …それを、よく分かっておいでで…参りました;



 甘い…、そう。
 私は現実の認識が甘いのです。



 先日から触れているように…。
 私には、相手を楽しませるような話はできません。
 会話というものは双方向の遣り取りが成立してこそ、『楽しい』ものとなりますが…私のそれは、あくまでも相手の話が先にあって…それに対して『聞いていますよ』というサインを返すだけ。
 そんな私は…余程のことでもない限り、人の意見を『そういうもの』として聞いています。
 それは、ネット上で言葉以外の方法で自己を形作れない…そうした相手への尊重とも映りますが…。
 一方で、それを情報としての正誤の判断も無く、そのまま受け入れてしまっており。

 …そして、他の人に対して『そういうものらしい』と語るのです。

 ある時、そうした私の行為に危機感はないのか、と言われました。
 ネットの情報など、本当かどうかの見極めをしなければ、大変なことになるのだから…と。

 なるほど、危機感…ですか。

 私にも人に誤った情報を伝えてしまうかも…ということへの危惧はあります。
 それによって何かのトラブルが起こってしまっては大変だ、とも思っています。

 ただ…危機感…危機感ですか…。

 実は…そこが曖昧だったりします。
 私が、私自身の問題として危機感を持つ…ということに、ピンときていません。
 私は、こと自分の身の上に起こりうる『危機』というものに鈍感というか…。
 自己を防衛しようという無意識の反射はあるのですが、私が私であることへのこだわり…そんな意識が希薄なようで。
 痛いこと、苦しいこと、辛いことは嫌っても…それらを呼び込むであろう『危機』というものには、基本的に無関心です。

 物事は、なるようになるもので。
 なるようにならなければ、それまでのこと。
 それが私一人の問題であるのならば、それはそもそも問題になりえない…と。



 以前、ある人に…『もし必要なら、私の身体から適当に持っていく?』と申し出て…。
 どこか呆れたように『いや、いいから…;』と断られたことがあったのですね。

 私には、その人の様子が不思議でなりませんでした。
 たとえ、それによって私が消えてしまうとしても…より良く使える人がいるというのなら、その人が使うべきではないのでしょうか?

 なんというか…拍子抜け、という気持ちで『そう? 遠慮しなくてもいいのに…』と、その人に返したのですが…。

 自分に起こることのように考えられるからこそ、相手を気遣えるのであって。
 自分に起こることへの無関心は、気遣うべき相手への無関心に通じます。
 自分のことを気遣えない人間に、他人を気遣うようなことは出来ないのです。

 …思えば、その人は私の無関心に呆れていたのかもしれません。



 そんな私は…人を手伝うようなことをします。
 それは、私が好きでやってること…というか、積極的に『助けよう』という意識もなくしていることで。
 それは、人の都合などお構いなしに、私がしたいからしているだけ。
 それが結果として人の助けになるなら、それでいい…という、無責任なものであって。
 私のコレは…ただ対価を求めていないだけの、およそ人への気遣いとは無縁の行為なのです。

 …その一方で。

 私にとっては基本…それが人助けであれなんであれ。
 人から貰ったものには、それ相応の対価を支払うべきと考えており。
 対価を支払わずには、それが何であれ受け取るべきではないと思っています。

 …これは矛盾です。
 
 私は、この関係を…立場を逆にして私自身に当てはめて考えた事がありませんでした。
 これは、会話であれ、危機感であれ、何であれ同じこと。

 自分を見ず。
 他人を見ず。
 ただ、それが『そうあってほしい』と願う。

 これは、そんな私の現実に対する認識の甘さが表れたものでしょう。
 私は、あらゆるものから逃げ続けているのです。



 …さて。



 果たして…私は今更、直すべきを直せるものなのか…。
 分かりませんね;
 正しい形がどんなものであるのか…それが分かっていない私は、直そうとして同じことを繰り返してしまいかねませんから。

 そうした時、周りを利用すればいいと言われました。
 でも…。
 そんな私に付き合わせてしまうのは、どうなのでしょう…?

 或いは友人なら…と、この文を読んでくださっている方は思うかもしれません。

 友人…友人ですか。
 この話の冒頭、『友人』という表現をしましたが…正直、『友人』というものも分らない鈴蘭です。
 何をすればそうなるものなのか。
 何をするものなのか。
 それを理解していない私は、この言葉を使うのをいつも躊躇っています。

 私にとってのそれは。

 得ようと思っても得られないもの。
 留めておきたいと願っても叶わないもの。
 私が頼るべきではないもの。

 それは、傍にあることは有難く、傍にないことが当たり前の…幸運のようなものです。
 …でも、これも…。
 現実を見ない、私の押し付けなのでしょう。

 そこに、形なんてあってないようなもので。
 それこそが自然であり。
 私が勝手に決めて良いものではないのでしょうから。

 …などという、これも決めつけですね;
 あれもこれも『こうあってほしい』…ありもしない形ばかり求め、そう願うだけの私だからこそ落ちた井戸の底…なのでしょうか;



 私は、私の中の様々なものに答えを出せていませんが…。
 流石に、人から好んで嫌われようとまでは思っていません。
 こんな私でも、何某かの期待してくれる人がいるというのなら。
 変われる限りのことは、出来る限りのことは…と。
 そんなことを思う鈴蘭です。

 結局、長いだけで何言いたいか分からない文に…;
 それでも最後まで読んで下さった貴方に感謝を。
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する