独り言 その壱千参百四

 大きいだけの鈴蘭です。

 夜起きて。
 アラームの鳴り出したスマホ様を手にとって宥め…。
 画面に浮かび上がった速報を見て、思わず『えー…』という呻きを漏らしてしまいました。




 いえ、地域にとっては良いことなのです。
 サミット開催という明確な目標のために、行政と民間が力を合わせ、これまで見過ごされてきた問題に取り組むことも期待できますから。
 …ただ…。
 先進主要国の首脳が一堂に会する国際会議。
 当然、警備は厳重なものになることでしょう。

 特に…昨今、米朝関連でキナ臭い話も聞こえてきています。
 この春にも変時があるかも知れない。
 …そんな憶測も飛び交う状況です。

 そんな時期に、この大阪で…。

 大阪に住む人間としては、厄介なイベントになることに違いありません。
 公共交通機関の一時的な混乱くらいで済んでくれれば良いのですけど…。



 はてさて…どうなることやら。



 ちなみに、これって大阪の何処で開催なんでしょ…?
 一口に大阪と言っても、それなりの広さがあります。
 大阪の何処でイベントを行うかで、私の住処への影響の度合いも変わってきます。
 そんな疑問を持ちつつ記事を読み進めていくと…。

 『大阪市住之江区の大阪国際見本市会場を想定している』…?

 …って、感謝祭を開催したのと同じ…インテックス大阪じゃないですか、コレ; 
 まぁ。
 『大阪府』が開催するのなら、関空付近の施設を使用できたことでしょうが…。
 このイベントは『大阪市』で開催とあります。
 大阪市内で、国際会議を開催できるくらいの場所なんて…。
 感謝祭のときにも言いましたが、インテックス大阪くらいしか思い付かないんですよね…;

 意外と近い場所での開催。
 何が変わる訳でも無いのかも知れませんが…。
 ただ、仕事への影響を考えると…今から憂鬱ですねぇ…;



■考えすぎ?

 本当に今更で。
 本当に何度目のことか…という話ですが。
 思うところがあって、先日から絵の練習を改めて始めました。
 ああ、いえ、練習…と言っても特別な何かをするわけでもありません。

 これは、あくまで私の持論ですが…。

 描きたいものの立体像をイメージすること。
 鉛筆を持つ手を正確に動かすこと。

 絵の技術の巧拙の違いは、この2つを結びつける経験の差だと思います。
 よく才能の差…と言う人がいますが。
 その『才能』は、出発が早いか遅いか、進みが早いか遅いか…その度合いの違いであって。
 根気さえあれば、誰しもが一定のレベルにまで到達できるものだと思っています。

 私は、人から『上手』と言われるたび。
 今の私が、あなたのほんの少し先にいるというだけで、特別なことなど何もなく。
 少しくらい早かったからといって、日々怠けていては…結局、私のように何処に行き着くことも出来ず。
 あなたがその気になりさえすれば、きっと直ぐに私など追い越せる。
 …そんな風に思うのです。



 とにかく、描くこと。
 全ては、そこから始まります。

 アリとキリギリス。
 ウサギとカメ。

 …昔話の通り。
 継続する事こそが『才能』なのですから。





 …そういえば。

 前に…私が描いているところを見た職場の人が、『そんなことしてるんですか?』と驚いていたのですが…。

 私は落書きで練習するとき、ボールペンでの一発勝負で臨みます。
 職場での1時間毎に設定された10分の休憩時間。
 その間に、思いついたものを描くのです。
 誰かに習った訳でも、勉強したわけでも無いので、技術的なことは分かりません。
 なので…下書きもアタリもありません。
 思ったままに手当たり次第…それがいつもの私です。

 『なんで鉛筆で描かないの?』

 そうも言われるのですが…。
 鉛筆だと…私の場合、駄目なのです。

 私は気の弱い人間です。
 その為に、失敗を恐れ…鉛筆を使うと、描いては消し描いては消しを繰り返し。
 線を幾つも重ねて輪郭をぼかし。
 そうして…自分が求めていた筈の形に答えを出さず…自分に嘘をついて誤魔化してしまうのです。

 ボールペンを使うのは、私自身に『逃げるな』と言い聞かせる…戒めのようなものなのですね。



 …これは。
 私にとって、人との間のことでも同じなのかもしれません。



 一度形にした言葉を、無かったことには出来ません。

覆水盆に返らず

 覆水盆に返らず(ふくすいぼんにかえらず)は、ことわざの一つ。下の由来から、「一度離婚した夫婦は元に戻ることはできない」、転じて「一度起きてしまったことは二度と元には戻らない」と言う意味。覆水収め難し、覆水不返(ふくすいふへん)、覆水難収、覆水不可収とも。

 太公望が周に仕官する前、ある女と結婚したが太公望は仕事もせずに本ばかり読んでいたので離縁された。
 太公望が周から斉に封ぜられ顕位に上ると、女は太公望に復縁を申し出た。
 太公望は水の入った盆を持ってきて、水を床にこぼし、「この水を盆の上に戻してみよ。」と言った。
 女はやってみたが当然できなかった。
 太公望はそれを見て、「一度こぼれた水は二度と盆の上に戻ることはない。それと同じように、私とお前との間も元に戻ることはありえないのだ。」と復縁を断った。

                 【Wikipedia:『覆水盆に返らず』より】



 …故事の通り。
 言葉は、相手の中でしっかりとした形をもって残るのです。



 私は…そうして、相手の中に出来た形と確執が起こることを恐れ。
 決定的な破綻が起きないよう…。
 良く言えば、物腰柔らかく。
 悪く言えば、掴み所の無い言葉を選んで話しています。

 ただ…。

 こうして話す言葉だからこそ、相手を傷つける事も。
 なぜなら、こうした私の態度は、相手に理解されないように意図的に避けている…とも言えますから。

 相手を理解せず。
 相手に理解させず。
 
 それで距離を詰めること無く、なんとなく良い関係を築く。
 何をもって『良い』とするのかは、判断の分かれるところだとは思います。
 ですが、これも一つの在り方ではあるでしょう。

 

 …あるのでしょう、が…。



 それは相手への誠意のある態度といえるものなのか…そんな疑問は感じます。
 こんなことを口にすれば、『なんで、そんなことを言うのかなぁ…』という呆れが返ってくるかもしれません。
 あるいは怒られるかもしれません。
 その関係を作った当人である私が言うべきでない事ですから。

 それを敢えて口にするのは…言ってみれば『呵責』…でしょうか。
 相手を傷つけてはいないだろうか。
 相手を騙すようなことをしてはいないだろうか。
 それは、どうでもいい相手であれば意識しないであろうものです。

 …実は、これが私には怖いのです。

 それというのも…過去に、こうしたことで行き違いがあり。
 以降の私は、絵やプログラムといったものへの熱を、すっかり失ってしまいました。
 当時は随分と悩みもしましたが…。
 結局、なるべくしてなったのだ、と。
 寂しくも感じていますが…今は納得しています。



 だからといって、同じことは繰り返したくはありません。
 でも…同じことを繰り返してしまうかもしれません。



 鉛筆で書いて、消しゴムで消して。
 それまでが無かったことのように、新しく書いて。
 …そうして繰り返して良いものではありません。

 ペンで書いて。
 消えないそれを見せて、『こんな私でも良いのでしょうか?』と。
 相手にとって、それは無粋極まりないことなのかもしれませんが…。

 それが私なりの誠意の示し方なのです。



 …まぁ、それでも身を守ろうとするのが…私の度し難いところなのですけどね…;
 『言わないよりは言ったほうが。』
 そんな言葉も、結局は私の都合でしか無く…。
 …って、そんなこと言ってたら、何処まで行っても結論なんて出ませんね;

 私が決めるべきこと。
 相手が決めるべきこと。
 その領分を守ること。

 それを弁えなければ…私は本当に何もかもを失ってしまうでしょうね…。

 誤解なく、なんてことがどれだけ難しいことであるのか。
 それを知らない訳ではないのに…。
 理解していないのが私なのです。
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