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独り言 その壱千参百

 大きいだけの鈴蘭です。



_(:3」∠)_
…つかれた。




 …このアスキーアート、入力システムにGoogleを使っているなら『たかざわじゅんすけ』からの変換で出すことが出来ます。
 最近目にするようになったので、気になって由来を調べてみたのですが…発祥不明のAA(アスキーアート)で、これ自体に『(´・ω・`)』のようなネガティブの意味合いを持つ特別な過去は無い模様。
 見たまま、受け取ったままのキャラクターのようです。

 この…だらけた姿は哀愁を感じさせますが…何処かコミカルで、悲壮感は感じません。
 いえ、むしろ…愛らしいと言うべき姿でしょうか…?

 …昨日の記事ではアレコレ書いて…正直、自分が自分であることの心の要である『結び』を解いてしまった感じになってしまいました。
 あれを書いた後、軽く鬱になって…リアルに『たかざわじゅんすけ』状態でしたよ…;
 


 …まぁ、ともあれ。



 ああして書きましたが…。
 私は、それで相手に何かを求めている訳ではありません。

 『だから、あなたに』ではなく。

 『改めて、あなたと』と。
 
 肝心の自分自身が曖昧なので、きっと分かりにくいことでしょうが…。
 たとえ僅かなものであっても。
 私と何かを共にしようと思ってくれることに感謝している気持ちに、変わりはなく。
 私は、私なりに…これを大事に思っています。



 この広い世界で偶々出会い。

 言葉を交わし、遊ぶ関係になる。

 …それは、望んだからといって、簡単に得られるものではない…これ以上はないであろうものなのですから。



■今日のニークス



 アズールレーンでは、新しいイベントが始まり。
 それに対応した建造(ガチャ)が配信されました。
 毎日それなりにゲームをしていれば、私のような微課金のユーザーでも結構な回数を回すことが出来ます。

 ただ…何分、全ては乱数の気分次第。

 回数を回したからと言って、望みのものに手が届くとは限りません。
 幸いなことに、私は今回のイベントで先行配信された3人について、次のイベントに影響しない範囲の出費で確保が出来たのですが…。
 ゲーム内のチャットを見ていると、こう…『出ない出ない』という嘆きを目にします。

 これに関して、当の運営が忠告をしていまして…。



 あまり引きすぎないように、と。



 アズールレーンは、PSO2と同じく基本無料のゲームです。
 どちらも、無料で遊べる範囲が広く…課金をせずとも十分に楽しむことが可能です。

 積極的に課金して、ゲームの攻略を進めている人に比べれば微々たるものですが…。
 楽しませて貰っている対価として、私も課金しています。
 パッケージ版のゲーム一本分くらいを目安にして、月額で言えば…アズールレーンだと4,000円くらいでしょうか。
 十分に楽しませて貰っているので、もう少し出しても良いかな、とは思うのですけどね。



 こうした課金に関しては、個人個人で色々と考えがあろうかと思います。
 ただ…。

 『基本無料だから、課金しなくても良い。』

 …そうした言葉には、首を傾げてしまう鈴蘭です。



 芸術…創作物というものは、生きる上では必ずしも必要とはされません。
 それは、心を豊かにし、生き方を変えてくれるものではありますが…。
 その価値というものは、有って無いようなもので。
 どれだけ優れた作品であろうとも、見る人が変われば、評価が変わってしまうものです。

 …そう、そうしたものだからこそ。

 自分が受け取ったものに対して、正当な評価…というものを示すべきかな、と。
 そんな風に思うのですね。

 これは日本だけのことなのか、私には分かりませんが…。

 形のあるものに対しては評価をし、代価を支払っても。
 形のないものに対しては評価せず、対価を支払わない傾向にあるように思います。
 それは…よく『技術者軽視』なんて言葉で語られている問題と同じ脈絡です。

 代価:品物の買い手が売り手に支払う金。

 対価:他人に財産・労力などを提供した報酬として受け取る財産上の利益。



 こうした傾向は、芸術や…サブカルにもあると感じます。
 サブカルも…結局、商品化されて形になったものに代価を支払っているだけで。
 必ずしも、それを作るための技術を評価し、対価を支払っているわけではないように見えるのです。



 …そして。
 ゲームにおける正当な評価を示す方法の一つに…『課金』があると思います。



 よく…課金の程度を指して、『重課金』や『非課金』だのなんだのという言葉を耳にします。
 自分の物差しを相手に当てて、代価の額が『多い』『少ない』と言うのは…まぁ、良いでしょう。
 課金の額が多い人の、のめり込んでいる姿に危うさを感じなくもありませんし。
 課金の額が少ない人の、不自由している様子には同情を感じなくもありませんから。

 ですが…ゲームに対する評価の尺度は、人それぞれに違うのです。 
 対価が『多い』『少ない』ということで、その人のゲームへの姿勢をあげつらう事はないと思うのですね。

 その人が、それだけの価値があると思って出したのであれば…多かろうが、少なかろうが、それで適正なのです。
 無論、浪費はすべきではありません。
 しかし、それならば…対価は少ないほうが良いのでしょうか?

 …そうではないでしょう。

 正当に支払われるべき対価までをも『浪費』と捉えてしまえば…。
 私たちは、私たちが好もしいと思う何もかもを失ってしまいかねません。

 少しでも、それを大事と思うのであれば。

 私たちは、私たち自身のために評価し、適正な対価を支払うべきなのです。








 他人の『多い』や『少ない』ではなく。
 自分の『損』や『得』ではなく。

 自分の手にしているお金は、何に対して使えるものなのか。

 好きなものの為に、それを考える必要があるのではないか…と。
 そんなことを思った鈴蘭です。
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