風物詩☺️大崎駅がコミケ仕様に!
(つ■と)
…旬、か。
見れば季節の訪れを知るもの。
そこに描かれるものは、時々で違っても。
季節が巡れば、それと分かる『しるし』。
こうしたものを人は『風物詩』と呼びます。
古くから日本に伝わってきた詩…俳句では、『季語』というものが置かれますが。
その時々の季節を言い表す言葉として定められたもので…これは一つの作法となっています。
春には春の。
夏には夏の。
秋には秋の。
冬には冬の。
…それぞれの季節を表す言葉があるのです。
その一方で、『風物詩』には特定の決まりはありません。
その人が、それを見て、その季節を感じられるのであれば、それが何であろうとも『風物詩』足り得るのです。
例えば、『蜜柑』は季語では冬を表しますが。
その人が、『蜜柑』に関わる夏の思い出を有し、『蜜柑』を見れば夏を連想するというのであれば、冬の『蜜柑』は夏の風物詩となるのです。
『風物詩』とは主観であって…必ずしも、人々の共通の認識である必要はないのです
…さて。

(C)SEGA
アークスシップに乗ると、誰が見てもそれと分かる『季語』があるのを目に出来ます。
そこで、私は移り行くアークスシップの季節を知るわけですが…。
…ふと、思ったのです。
私が画面を通して見る『季語』とは。
アークスである鈴蘭にとって、どのように映るものなのだろうか…と。
これは、PSO2に限った話ではないのですが…。
全くの空想の世界において、現実と同じ『季語』を用いるのは…どう、なのでしょうね。
お話を作る上で、読み手の理解を得やすいという長所があるのは理解しています。
しかし、未知を求めて来た場所に、現実の世界と同じものが溢れている…そんな状況に、『何故、これが此処にあるのだろうか?』…そうした疑問を感じることは無いでしょうか?
その疑問が違和感となるのか、それとも楽しみとなるのかは…それぞれの世界によって事情が異なることでしょう。
ですが…楽しいからといって、何もかもがそのままの鏡写しでいいのか、とも思うのですね。
異邦人として、仮想の『風物詩』に触れ。
それが、現実に在る私たちの中で『季語』となる。
…それは、まわりくどく、分かりにくいものでしょうが。
そうした積み重ねで世界を作る楽しみがあってもいいのではないか。
そんなことを思った鈴蘭です。
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