独り言 その壱千弐百壱拾七

 大きいだけの鈴蘭です。

 ここ数日、秋らしからぬ暖かい日…というよりも。
 夏のような暑い日が続いていました。
 日が沈んでも、そこかしこに熱気がのこっているかのようで。
 カレンダーを見なければ、9月と言われても納得してしまいそうな有様でした。



 …しかし、それも今日までかもしれません。
 







 どうやら、北で停滞していた秋雨前線が、明日にも南下してくるようです。
 前線は、北の寒気と南の暖気がぶつかっている場所に発生します。
 前線が南下するということは、今日までの暖かさを齎していた暖気が南に下がり、北の冷たい寒気に取って代わる、ということです。



  雨音は冬の足音…という事かの(´・ω・`)



 しかしこれ…関東では、明日は20℃以上気温が下がる見込みのようですね;
 季節が巻き戻るにしても、これではあまりに急というもの。
 この変化に、体調を崩す人が出ても不思議ではありません。



 週末には褐色集会を控えていますが…。




 皆、風邪など引くことなく、元気に当日を迎えたいものですね。



■考えすぎ?

 益友 えきゆう

 斉の国王である景公は、名宰相といわれる晏嬰(あん えい)を重用して、国事に成功した人です。

 あるタベに、景公は晏嬰を訪ねて『うまい酒を酌み交わして、いい音楽を聴いて楽しみませんか』と誘いました。
 しかし、この誘いを晏嬰にあっさり断られてしまいます。
 それならばと、景公は軍略において最も頼みとする武将、司馬穣苴(しば じょうしょ:孫氏の兵法を著したともされる)を訪ねて誘いましたが『それは私に関わりのないことですね』と、にべもなく断られたのでした。

 普段から頼みとする二人に断られて落胆した景公は、大夫(たいふ:領主を指す官職名)の梁丘拠(りょう きゅうきょ)の家に向かいました。
 すると、事前に景公が二人に誘いを断られたことを知っていた梁丘拠は、景公の誘いに応じるべく、楽器を抱え、歌いながら門のところまで迎え出ていました。

 景公が喜んだのは勿論で、『宰相と将軍がいなければ国を治めることはできない。しかし、君のような臣がいないと楽しむことができない』と述懐したとのことです。

 出典は『晏子春秋』。
 その原文では『聖賢の君、皆益友を有す』…『聖者、賢人のような立派な人々にはそれぞれ自分の囲りに折にふれ有益な友人が集まるようになっている』とあります。

 日本では有益な友人…『益友』として、『正直な人』『誠実な人』『多聞な人』の3種の人が良いとして、『三益友』という言葉があります。



 …ここでふと。

 相手に何をすれば『正直』で。
 相手に何をすれば『誠実』で。
 相手に何をすれば『多聞』で。
 相手に何をすれば『友人』足り得るのか。

 そんなことを考えた鈴蘭です。



 この景公と梁丘拠については、別のエピソードがあります。

 景公が晏嬰と寛いでいる所に、馴染みの梁丘拠がやってきました。
 景公は、晏嬰に『この者は、私と和する存在だ』と言ってみせますが。
 晏嬰は『梁丘拠は王の意見がどんなものであれ、それに賛同します。それは『同』であって『和』ではありません』と言って否定しました。
 しかし、景公には晏嬰の言う『同』と『和』の違いがピンときません。
 そんな景公に、晏嬰は説明します。

 …『和』とは、王が可だとしても、不可なる点があれば、臣下はその不可なる点を進言して王の可とすることを更に完成させ、王が不可としても可なる点があれば、臣下はその可なる点を進言して、王の不可とすることを可に変える事を言い、政治は礼儀に背かず民に争奪の心がなくなるのです。
 ところが梁丘拠は、王が可とされれば同じく可と言い、王が不可とされれば不可と言い、水で水を調理して水をつくっているだけで、建設的でも生産的でもありません。
 料理とは、調味料や食材を使って初めて料理になるのです…。

 論語において『和而不同(わじふどう)』。
 日本では『和して同ぜず』の言葉で伝わる故事です。



 『同』が『益』であるのか。
 『和』が『益』であるのか。

 友人に『同』を求めるのか。
 友人に『和』を求めるのか。

 それは人それぞれの形かもしれません。
 しかし…。

 如何に『正直』であろうとも。
 如何に『誠実』であろうとも。
 如何に『多聞』であろうとも。

 『同』を相手に求めていては。
 自分にとっての『友人』足り得ても。
 相手にとっての『友人』足り得ないのではないか。



 …知らず、『和』を求める内に『同』を相手に求め。
 『友人』足らんとして、『友人』足り得なくなっているのではないか。
 ふとした折。
 思慮の足りない私の言葉に、そんな危うさを感じた鈴蘭です。



                     【参考・引用:ニコニコ大百科『梁丘拠』】
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コメント

  • 2017/10/15 (Sun)
    17:44
    No title

    相手への尊敬と信頼を感じているなら、友に。
    そして相手も同じように思えば親友になれるんじゃないのかな(´・ω・`)

    私には尊敬や感謝を持っていれば相手にもいずれ通じるものだと思う、
    あと自分なりの感謝も悟るべきと(´・ω・`)
    それで求めるわけでも与えるわけでもなく近くにいてくれるなら友人なのだろうと、
    そんな友人なら、たまに道に迷うことも許すのではないかな(´・ω・`)ぐう

    はすわり #- | URL | 編集

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