独り言 その壱千壱百五拾九

 大きいだけの鈴蘭です。

 この土曜日のこと。
 フレさんから『今晩、スプラトゥーン2の試遊会がありますよ』と教えて頂けました。

 発売を目前にしているというのに、全くアンテナを張っていなかった怠け者の鈴蘭には、文字通り『寝耳に水』の事でしたが…。



〒 〒
(´・ω・`)

…ふっ…。





(´・ω・`)

だが、抜かりなど無い!!




 実は以前の試遊会では、対戦中に回線切断が頻発して、満足に遊べませんでした。
 しかし、このような事は初めての経験だったので、『テストプレイだし、こんなものなのかな…』などと思っていたのですが…。
 翌日、その事をお話したフレさんから『スプラトゥーンを遊ぶなら通信は有線にしましょう』とアドバイスを頂きました。
 …どうもSwitchの標準機能であるWi-Fi性能では、アクションゲームの通信対戦を実現するには不十分だったようです。

 それと分かり、Switchに繋げる有線コネクタを買いに、近所の量販店にまで走った鈴蘭です。



 もはや、同じ現象は起きないはず。




(´・ω・`)

このトナイカに死角など存在しない!!(ハギト調




 思っていたよりも早い機会の訪れに、驚きこそしましたが。
 この日の為に準備をしたのです。
 『待ってました』とばかりに快哉を上げ、夜を楽しみに待ちました。



 …そして、日が暮れ。





△    △
(・ω・`三´・ω・)

…おー…。




 降り立った世界の様子に、思わず感嘆の声が漏れてしまいました。
 …なんというか…。
 ゼルダにも感じたことですが、世界には『高さ』があるものなんでしたね…。

 この世界を見回してみると、PSO2には無いものが形になっているかのよう。

 …って、ああ、いやいや。
 これはどちらが良いのか、という話ではありませんけどね;

 違う理で出来た世界。
 違う事が当たり前の2つを、ただ良し悪しだけで語るのもおかしな事と思います。

 どちらも『らしく』あれば、それで良いことでしょうから。



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 …好奇心に背中を押されるようにして、おのぼりさんよろしく色々と見て回り。
 ゲームも遊んで…。



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                     (C)SEGA

 盛大に酔った(´・ω・`)



 どうにも、このコントローラーのジャイロを利用した視点操作に慣れておらず。
 こう…なんと言えば良いのでしょう…。
 人の視線を借りて外を見ているような感じ…というと、お分かりいただけるでしょうか?
 自分の意図しないタイミングで視線が不規則に動くため、目が回ってしまったようなのです。

 フレさんからは、『3D酔いをする人によくあるケース』として、コントローラーを保持するようにアドバイスをいただきましたが…。
 なるほど道理と納得しつつも。
 これまでコントローラーを保持するように持つ習慣がなかったので、どのようにするべきか…見当もつきません;

 これからゲームに慣れることはもちろんですが。
 初歩の初歩。
 まずはコントローラーの持ち方を探すところから始めましょう…;




(´・ω・`)

トナイカの挑戦はココから始まる。




■今日のニークス

 日本の戦国時代には数多のミステリーが存在しますが。
 その最たるものとして挙げられるのが、『本能寺の変』でしょうか。
 天下統一を目前としていた織田信長が、家臣である明智光秀によって殺害されるという…戦国時代の節目となった大事件です。
 歴史の教科書にも載っているほどですし、皆さんもよくご存知ではないでしょうか?

 しかし…名前こそ有名ではありますが、この事件には未だに解明されていない、大きな謎があります。
 それが、明智光秀の動機です。

 …それというのも…。
 本能寺の変が起きたのが6月2日のことで。
 その僅か10日後の6月12日に、急報を聞きつけた羽柴秀吉が山崎の戦いで明智光秀を破り。
 その日の内に、明智光秀は落命してしまいました。

 織田信長を倒し、天下人として何をしたかったのか…それを全く明かさない内に、彼は亡くなってしまったのです。

 織田信長を殺害した実行犯は明智光秀ですが。
 明智光秀が何故、本能寺の変を起こしたのか…その理由に迫る資料に乏しく。
 現代に至るまで、その動機は明確になっていません。

 織田信長の側近くに仕え、その生涯を克明に記録していた太田牛一(『信長公記』の筆者)という人がいます。
 彼は本能寺の変に関して、当時現場にいた使用人を探し出して証言を取ったり、明智光秀を討ち取ったとされる農民(明智光秀は山崎の戦いで豊臣秀吉に敗れた後、本拠地に逃げる途中で落ち武者狩りの農民に殺されたとされる)を探し出し、当時の様子を聞き出して記録しています。
 明智光秀が何故、信長を殺害するに至ったかについては…太田牛一は『明智日向守光秀、小身たるを、信長公一萬の人持にさられ候處。幾程も無く御厚恩忘れ、欲に耽りて天下之望を成し、信長御父子、御一族、歴々甍を並べ、下京本能寺に於て、六月二日情無く討ち奉り訖(お)わんぬ』 …信長公から受けた恩も忘れて、身の程知らずにも天下を望んだ明智光秀によって討たれた…と、明智光秀個人の欲によって変が起きたと書いています。

 …ただ、明智光秀の発意によって起こされたものであるとするならば。
 緻密な計算を重ねた上で慎重に行動に移す、それまでの彼の生き方に反し、本能寺の変の後の彼の行動はらしくない…非常に場当たり的なものにも映るのですね。
 このことから、本能寺の変の真相について、これまでに多くの説が唱えられてきました。
 
 ただ、こうした説の多くを見ていると。
 当時の全体状況を俯瞰し、結果を知っている我々だからこそ、そう考えられるのであって。
 当時の明智光秀の立場であれば、何の不思議もない、妥当な判断と行動だったのではないか…そうも思う鈴蘭です。

 当時の彼の気持ちになって考えてみれば。
 …そう言いつつ。
 今の私の考えで彼の考えを決めつけてしまっては、元も子もありません。



 結果が伴わなければ、評価されない世の中ですが。
 可能性に賭けて、挑戦したことまでをも否定することはない…と思うのです。



 …それが、何であれ。
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