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独り言 その壱千壱百四拾六

 大きいだけの鈴蘭です。

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                       (C)SEGA

 …フレさんのお誘いで、深夜のデウスのマルチに参加して。
 取り留めもない話をダラリダラリ。
 その流れから、その後に発生した【敗者】の緊急にまで参加した鈴蘭です。

  敗者とか、久し振りやな…(´・ω・`)

 レイドボスも、バリューパックが流行りの昨今。
 真剣勝負の場面もディレクターズ・カットでお送りする【深遠】が主体となって、もう随分になりました。

 …結局、【巨躯】と【敗者】が同時に…というのは、どういう状況だったんでしょう…。
 【双子】が複製してるとか?
 ストーリーを半端に齧っているだけの鈴蘭の世界では、謎が多すぎます;

  幽霊船よろしく、旧マザーシップが地球まで追い掛けてきとるしな…(´・ω・`)

 …それとも、旧マザーシップって…もしかしてアークス船団が曳航してるとか?
 【敗者】が再発生することを危惧して対策を…なんて話があったように思いますが、うろ覚え。



  …まぁ、いいや(´・ω・)ノシ ⌒ ミ★



 煮詰めて固めてしまうのも詰まりません。
 ここは、気分転換に一つ…



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                       (C)SEGA


〒 〒
(ノ・ω・)ノ

高いたかーい




 …まだ乗れるんですね、このタワー。
 これだけの高さがあれば、色々遊べそうなんですが…。
 あまり遊んでると、全体攻撃が発生してしまいますし、のんびりもできないのが残念です。

  …何かネタを考えて、また挑戦しようかね(´・ω・`)

 …などと、タワーを壊して回る地上の皆さんを余所に。



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                       (C)SEGA

 一人、野望に燃えるトナカイさんでした。



■考えすぎ?

 …引用には少し長いのですが…。

 邯鄲の夢 [かんたんのゆめ]

 開元七年(西暦720年)のこと、神仙の術を心得た呂翁(りょおう)という道士がいて、邯鄲(かんたん:河北省南部の地方都市。かつて趙の国の首都が置かれていた)への街道を行く途中、宿屋に立ち寄り休憩していた。
 帽子をぬぎ、帯をゆるめ、荷物の袋にもたれて坐っているところに、通りがかりのわかものを見た。
 これが盧生(ろせい)である。
 短い荒布服を着て、黒い馬に乗り、畑仕事に行くところだった。
 盧生も宿屋でひと休みしようと、呂翁とならんで腰を下ろすと、二人は意気投合して実に楽しそうに話していた。
 だがしばらくすると、盧生はぼろぼろの自分の服を見ると、なんと深いため息をつきながらこういった。

 「男と生まれながら、思うようにいかず、こんなにつらいとは情けない」

 呂翁はいった。

 「君の体は見たところ病気もしていないし何の問題もなさそうだ、さっきまで楽しそうに話していたのに、つらいとは、どうしたのかね。」

 盧生はいった。

 「おれはともかく生きているというだけさ。なにが楽しいものか」

 翁はいう。

 「いまの暮らしが楽しくなくて、なにが楽しいというのかね」

 「男として生まれたからには、官僚となって功名手がらを立て、朝廷から出るときは大将、入れば宰相となって、食事のときには料理がずらりとならび、えり抜きの女たちの歌を聞き、一族はますます繁栄し、一家もますますゆたかに暮らす、そうであってこそ、楽しいといえるのではないか。
 おれは以前には学問に志を持ち、さまざまな知識と技能をそなえていた。
 その当時はどんな大官の地位でも、簡単に手に入ると思っていたが、いまはもう男盛りの年になりながら、まだ田畑であくせくはたらいている。これがつらくなかったら、なにがつらいのか」

 そういい終えたとたん、盧生は目がくらんできて、眠くなった。
 このとき、宿の主人はちょうど黍(きび)の飯を炊いていた。
 呂翁は、袋の中をさぐって枕を取り出し、盧生にわたしながらいった。

 「わしの枕で眠りなさい、思いのままに栄耀栄華を味わわせてやろう」

 その枕は青磁でつくられ、両端に穴が空いている。
 盧生が顔をのせると、その穴はしだいに大きく、明るくなってきた。
 そこで体ごと中へもぐりこみ、そこに見える家へと入っていった。



・ ・ ・




 数ヶ月ののち、盧生は清河(河北省清河県)の崔氏の娘を嫁にもらった。娘はたいそう美しかったし、盧生の財産はますます豊かになった。
 彼は非常に喜んで、それからは服装も、馬車の類もひましに豪華なものにしていった。
 翌年には、進士に推薦されて試験に合格し、まず秘書省の校書郎についたあと、辞令を受けて渭南県(いなんけん:陝西省渭南県の東北地方)の尉に転出した。
 まもなく監察御史に昇進し、起居舎人に移り、詔勅の事務をあつかった。
 三年ののちには、知制誥の本官に任ぜられ、同州(陝西省大茘県)の刺史として転出し、また陝州(せんしゅう:河南省陝県)の刺史にうつった。
 盧生は土木工事が好きで、陝州の西から八十里にわたる運河の開通工事を行い、交通機関のないところへ船を通せるようにしたので、土地の人たちは便利になったと感謝し、石碑を立てて彼の功績を記念した。
 その後は、汴州(河南省開封市)にうつり、河南道(黄河以南の地)採訪使を拝命し、都へ召しかえされて、京兆(都を含む行政地域)の尹に任ぜられた。

 この年、玄宗皇帝にはおりしも夷狄を征伐して、国土を広めようとしておられるところだったが、たまたま吐蕃(とばん:今のチベット)の悉抹邏(しつまつら)と燭龍(しょくりょう:甘粛省内の地)の莽布使(もうふし)とが瓜(か)・沙(さ:甘粛省内の地)を攻め落とし、節度使の王君チャクが殺されて、黄河・湟水流域の人たちは恐怖におののいていた。
 帝は将軍の才能のある人物を得たいと思し召され、盧生を御史中丞に任じて、河西道(黄河以西の地区)節度使を命ぜられた。彼は夷狄の軍勢をさんざんに打ち負かし、敵の首七千をとり、九百里のさきまで領土を広げ、大きな城を三つ築いて要所をかためた。
 辺境の人々は居延山(きょえんざん)の頂に石碑を立てて、その功績をたたえた。

 そして朝廷に帰ると論功行賞があり、非常に手あつい恩賞を受けた。
 それから吏部侍郎に転任し、戸部尚書兼御史大夫にうつった。潔白で重厚な人がらをたたえられ、人々の信頼を集めたが、このために時の宰相からひどく嫌われ、根も葉もないことを言い立てられたために、端州(たんしゅう)(広東省高要県)刺史に流された。

 しかし、三年ののち、また呼びもどされて、常侍となり、まもなく同中書門下平章事(どうちゅうしょもんかへいしょうじ)に任ぜられた。
 そして、中書令の蕭(しょう)崇(すう)、侍中の裴光庭(はいこうてい)とともに十年あまりも天下の政治をとり、天子のはかりごとや内密の命令は、一日に三度も受け取るほどであり、よいことには賛成し、悪いことには反対して、心から主君につくし、賢宰相と呼ばれたのである。

 ところが同僚から憎まれて、辺境にいる将軍と結託し、謀叛の計画を立てていると訴えられた。
 そこで糾明せよとの勅令が下り、役人が部下をつれて屋敷へおしかけ、有無をいわさず逮捕しようとすると、盧生は泣きながら妻子に向かって、「わしは山東に家があって、よい田地を五頃も持っていた。寒さと飢えをしのぐにはそれで十分なのに、なぜわざわざ俸禄を求めたりしたのだろう。だがいまとなっては、荒布の服を着て、黒い馬に乗って邯鄲の街道を歩きたいと思ってもできない相談になってしまった。」というと、刀を抜いて自殺しようとした。
 しかし妻が止めたので、死はまぬかれた。
 このとき同罪に問われた人々はみな死罪となったが、盧生だけは宦官がかばってくれたので死一等を減ぜられ、驩州(かんしゅう)(ベトナムの義安付近)へ流された。

 しかし、数年たつと帝は、無実の罪とさとられ、中書令として復帰させ、燕国公の爵位をたまわり、格別のいつくしみをお与えになり、当時第一級の人物となった。息子は五人いて、倹といい、伝といい、位といい、倜(てき)といい、倚(い)といって、どの子も才能があった。
 倹は進士に合格して、功員外郎に任ぜられた。伝は侍御史に、位は太常丞に、倜(てき)は万年県の尉になった。
 倚は最も賢く、二十四歳で右補闕を拝命した。子供たちの嫁はみな天下の豪族であり、孫も十人あまりできた。
 盧生はあわせて二回辺地に流され、二度宰相となり、中央や地方の官職を歴任し、朝廷では思いのままにふるまう生活が三十年におよび、輝かしい名声を得て、当時ならぶものがなかった。
 ねっからの贅沢好きで、遊ぶことをはなはだ好み、屋敷の奥にかこっていた女たちは、みな一流の美人だった。 
 天子からたまわった田畑・屋敷・美女・名馬などは、数知れない。
 その後、よる年波にはしだいに勝てなくなり、何度も辞職を願い出たが、天子は許可されなかった。
 そして、病気にかかると、見舞いに来る宦官が引きも切らず、名医も高価な薬もすべて与えられた。やがて息を引きとるまぎわになって、盧生は上奏文を書いた。

 「私はもともと山東の書生でありまして、野良仕事を楽しみにしておりました。それがたまたま立派な御世にめぐりあわせ、官僚の内に加えていただくことができたのであります。そして過分のおほめにあずかり、格別の恩情を蒙りまして、朝廷を出ては大将軍の旗さしものを立て、朝廷に入っては宰相の位につき、中央・地方をめぐって長い歳月をすごさせていただきました。
 御恩は受けましたものの、少しも陛下のお役にたちませず、身に過ぎた地位に昇りましてはご迷惑をおかけするばかり、薄氷をふむ思いで、毎日おそれおののきつつ、わが老年の近づくことにも気がつきませんでした。
 いま、年は八十を越え、地位は三公をきわめまして、もはや、余命いくばくもなく、筋骨すべておとろえはて、さらには病がひどくなるばかりで、まもなくこの世を去ることでございましょう。
 かえりみまするに陛下の立派なご治世にこたえたてまつるべき功績とてなく、むなしく大恩にそむいたまま、永遠に聖の御代に別れを告げる我が身を思いますと、後ろ髪をひかれる思いにたえかねる次第でございます。
 ここにつつしんで上奏文をさしあげ、深くお礼を申し上げます」

 すると詔勅が下った。

 「そなたはそのすぐれた徳によって、朕の宰相となってくれた。出ては軍隊を率い、入っては天下の太平を導いてくれた。二十余年にわたる平和は、実にそなたの力によるものであった。
 さきごろ病を得たと聞き、ひごとそなたの平癒を願うていたが、にわかに容態が重くなったとは、まことに不愍に思う。
 いま驃騎(ひょうき)大将軍高力士に命じ、そなたの屋敷へおもむいて見舞いを申し述べさせる。
 治療に尽くし、朕のために自愛せよ。どうか気を落とさず、快癒する日を待ちのぞむように」

 だが、この日の夕方、盧生は亡くなった。



・ ・ ・




 盧生は大きなあくびをし、のびをして、目をさました。
 見ればわが身は宿に寝そべったままであり、呂翁はわきに坐り、主人の炊いていた黍の飯はまだ煮えず、目にふれるものすべてもとのままであった。
 盧生はガバとはねおきていった。

 「なんと夢だったのか」

 すると呂翁は笑いながら、「人生の楽しみとは、ま、もこんなものだろう」といった。

 彼はしばらくぼんやりしていたが、やがて呂翁に礼を述べた。

 「名誉と恥辱の道程、困窮と栄達の運命、成功と失敗の道理、死と生の実情、すべてがわかりました。先生はこれによって、私の欲望をおさえようとなさったのですね。ご訓戒、深く心にしみました。」

 そして、頭を下げ、二度礼拝してから、店を出て行った。


                        【参考:Wikipedia『邯鄲の夢』



 芥川龍之介が『黄梁夢』という、この『邯鄲の夢』をモチーフとした小説を書いているので、ご存じの方もおられるかもしれません。

 人の生の儚さとは、一瞬の夢のようなものである。

 これは、そんなお話です。
 …が。
 このお話は、単に現実の無常を説くお話ではない…と思った鈴蘭です。



 夢の中で栄耀栄華を味わった盧生は、夢から醒めると
 『夫れ寵辱の道、窮達の運、得喪の理、死生の情は、尽く之れを知れり。此れ先生の吾が欲を窒ぐ所以なり』
 …そう口にしています。

 彼は夢を見る前に、『栄耀栄華こそが楽しい生だ』と言っており、それを強く望んでいました。
 そして、夢の中の彼は望むような栄耀栄華の人生を送ります。
 ですが…夢が醒めて、改めて自分の生き方を振り返ったとき。
 彼は気が付いたのです。

 寵辱の道(名誉と恥辱の道程)
 窮達の運(困窮と栄達の運命)
 得喪の理(成功と失敗の道理)
 死生の情(死と生の実情)

 …物事には、常にそうした裏と表の二面性があるということを。



 彼は栄達を望む一方で。
 彼自身、どのようにしてそこに行き着くものなのかを分かっていなかったのです。
 彼が憧れていたのは、綺羅びやかに映し出された物事の表層に過ぎず。
 その見栄えの良い形を保つ為に、物事の裏側がどうなっているのか…そこにまで思い至らなかった。

 ただ楽に生きるというなら、法を犯して生きる道もあったでしょうが、それを選ぶこと無く、生きるために田畑を耕して慎ましく暮らしているという盧生は…おそらく実直な性格なのでしょう。
 しかし、夢の中の彼は権力のために宦官(かんがん:去勢された皇帝のハレムの女性に仕える役人。役職上、常に皇帝の近くに在るため、古代中国の歴史において度々政情不安の原因となった腐敗の象徴)と親しくしてもいました。
 …夢を見る前と、夢から醒めた彼は、そうした生き方を潔しとはしていないのに。
 夢の中の彼は、『栄耀栄華』という自分の夢の為に、自分が望んでいないはずの生き方を選んでいたのです。

 彼は夢の中の生で、人に陥れられたことで『かつての貧しい生活でも十分であったはずなのに、多くを望んでしまったためにこんなことになってしまった』と嘆いて、死を覚悟しています。
 …にも関わらず。
 急場をしのいだ彼は、その後の人生で、元の暮らしに戻ることはありませんでした。

 欲に従って生きることが出来れば、それだけ楽しみも大きくなるでしょう。
 ですが、欲に従って生きることが、幸せに繋がるとは限らないと思う鈴蘭です。

 一度手にした楽しみを手放すことは難しく。
 一度楽しみを知れば、より大きな楽しみを求めてしまうもの。

 もっと豊かになれるはず。

 …そう追い求め続けられることは、楽しくはあるでしょう。
 しかし、そう追い求め続けることは、果たして幸せであるのでしょうか?



 夢の中の彼は、楽しくあり、幸せだったと思っていたのでしょう。
 …では、夢から醒めた彼は…?



 この盧生のように。
 新しいものを前にした私達も、考えるべきではないかと感じるのです。

 アークスとしても。
 自分自身としても。
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