独り言 その壱千九拾

 大きいだけの鈴蘭です。

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                         (C)SEGA



〒 〒
(´=ω=`)
(つ旦と)

春の海 終日のたり のたりかな




 …春というと、この歌が思い浮かぶ鈴蘭です。
 こうして桜の下で、茶を楽しんでいると…。



 …。



 いえ、そもそもアークスシップは星の海を渡る船ですし、此処の何処に通じるものがあるのか、という話ですが…。



〒 〒
(´=ω=`)
(つ旦と)

何事も気の持ちようや…。




 …そう。
 見えるもの、見え方というものに囚われてはいけません。
 心の感じるままに…というのが大事でもあろうかと思います。



 そこで少し、歌から思ったことを。



 上記の歌の作者は、江戸時代の文人である与謝蕪村という人です。
 非常に有名な人ですし、ご存知の方も多いかと思います。

 俳人としては、松尾芭蕉、小林一茶に並ぶと評される一方で、画人としては池大雅(いけの たいが)と共に文人画(職業絵師が描くのとは違い、文人が暇に任せて描いた絵。かつてはジャンルとして確立していなかった)の大成者とされる、非常に多才な人です。

 そんな人だからなのでしょう。
 絵と文を使い分けるだけではなく、両者の融合…というのでしょうか。
 文字を通して、読む人に絵を見ているかのような感動を与えてくれる人…などとも言われているとか。

 上記の歌は、天橋立を望む『与謝の海』を前に詠んだと言われます。



〒 〒
(´=ω=`)
(つ旦と)

言葉は分からんが、長閑を感じるのぅ…。
 



 ちょっと辞書で調べてみると…。
 『終日(ひねもす)』は、元々『ひねもすがら』という『昼の間ずっと』という言葉が変化したもので。
 『のたり』は、ゆったりとしている様を表す言葉なのだそうです。

 …となると…この歌は、絶えず繰り返す波の様子に、春の穏やかな時間を映しているのかもしれません。

 しかし、そんな言葉の意味よりも。
 言葉の響きからくる、そのイメージ。
 形の無いそれが形となって私の中に浮かんでくる…そんな印象があります。

 言葉で明確に形にしなければ伝わらない。

 それは、私たちが常日頃から意識していることだと思いますが。
 この意識を持つが故に、私たちは言葉の持つ可能性を殺してしまっているのかもしれない。
 …この歌を見て、そうも思える鈴蘭です。



 語れば語るほどに。
 言葉を尽くせば尽くした分だけ。
 その形を失い、伝えるべきものから遠ざかる。
 
 …難しくも、面白いものですね。



〒 〒
(´・ω・`)
(つ旦と)

…あ。
 



チームに参加しようキャンペーン2017(´・ω・`)
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 …桜の下でのんびりとしていて、危うく忘れるところでした…;


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