独り言 その壱千八拾

 大きいだけの鈴蘭です。



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 …春ですねぇ…。



■今日のニークス

 『釣り野伏(つりのぶせ)』というものをご存知でしょうか?

 日本の戦国時代末期から江戸初期にかけて活躍した薩摩の武将に、『島津義弘』という人がいました。
 彼の父親『島津貴久』は、平安・鎌倉の頃から薩摩地方を治めてきた島津氏の第15代当主。
 義久、義弘、歳久、家久の四人兄弟の次男であった義弘は、将来は兄である義久を補佐して国を治める立場にあったのですが…。
 しかし、地方の豪族の反乱が相次いだ結果、貴久の代には祖先から受け継いできた土地の多くを失っており、当時の島津氏は『このまま滅亡するのではないか』とまで言われる有様でした。

 そんな状況にあって、貴久は苦境を乗り切る端緒を作り、島津氏の中興の祖とまで評価される働きをしたのですが…。
 志半ばで倒れ、薩摩統一を果たす前に他界してしまいます。

 貴久の急死によって義久が当主に就くと、義弘は国内の政治を兄に任せ、弟たちと共に軍を指揮して敵対勢力の排除に乗り出しました。

 地方の一領主にまで没落していた島津氏は、九州地方で強大な勢力を誇っていた龍造寺氏、大友氏といった戦国の大大名を次々と撃破。

 秀吉が九州に出兵したのも、救援要請を出した大友氏が本拠地である豊後(大分県)を義弘に攻められ、城下を焼き払われたのがキッカケです。

 義久の家督相続が1566年。
 秀吉の九州出兵が1586年。

 わずか20年で島津氏が九州を呑み込むまで勢力を拡大できたのも、『鬼島津』とまで言われた義弘の軍事的な才能に拠るところが大きいでしょうね。



 この義弘が得意とした戦法が『釣り野伏』。
 敵味方の戦力差が大きく、野戦では不利な状況において、多数の敵を少数の味方で包囲殲滅する…という戦法です。
 流れを簡単に説明すると…。



※敵部隊
▼ ▼ ▼
▼ ▼



△△△
※自部隊


 野戦で数において優勢な敵と正面から対峙した時。



▼ ▼ ▼
▼ ▼




↙     ↘
△         △


 味方の部隊を3つに分け、中央の部隊のみで敵と交戦し、注意を引きつけながら敵の前進を遅らせます。
 そうして中央の部隊が時間を稼ぐ間に、左右の部隊は後退し、敵の目を避けて身を隠します。



▼ ▼ ▼
▼ ▼



△     ↓     △


 左右の部隊が身を隠したところで、中央の部隊は敵と戦いながら後退。
 左右の部隊が待ち構える真ん中に敵を誘導します。



▼ ▼ ▼
▼ ▼
△     ▼     △



 …半包囲陣形が完成しました。
 これが、『釣り野伏』と言われる戦法の概要です。

 こうしてみると、手順としては簡単にも思えますが…。
 実際問題として、これを成功させるには高度な技術が必要になります。

 古来より、後退する味方の最後尾で戦う『殿(しんがり)』…後衛戦闘・退却戦は、最も難しいとされてきました。
 考えれば簡単な話ですが、人は前に向かって走りながら、背中越しに後ろを追いかけてくる人間と戦うことは出来ません。
 足を止めて戦えば、追いかけてくる敵に囲まれてしまいます。
 かと言って、全力で逃げてしまっては…この『釣り野伏』の場合、都合が悪く。
 味方が待ち伏せている場所に来る前に敵が追撃を諦めてしまっては、狙いの包囲陣が作れません。

 数において勝る敵と対峙して。
 味方の損害を極力出さないように、かと言って引き離してしまわないように敵を『釣る』。
 そんな器用な退却戦が出来る武将だったのですね、義弘は。



 …義弘の退却戦に関しては、後年の関が原の戦いにおいて『島津の退き口』と称される戦いが逸話として残っています。



 関が原の戦いの終盤。
 石田三成の敗走によって、情勢が決定的になった時のこと。
 最後まで戦場にとどまり、事の成り行きを見守っていた義弘は撤退を決めます。
 しかし、西軍の主力であった石田三成と宇喜多秀家の部隊の近くに布陣していた義弘の周囲には、追撃戦を展開し始めた東軍の主力が雪崩込んでおり。
 既にどちらを向いても敵ばかり…という状況でした。
 そんな中、義弘は家臣に問いました。

  『最も勢いのある敵はどの方面か』

 家臣が『東の敵が最も勢いがあるようです』と答えると。

  『ならば東に駆けよ』

 一言そう命じ、義弘率いる薩摩勢300名あまりは、福島正則、藤堂高虎、井伊直政、本多忠勝、松平忠吉らが率いていた東軍主力数万の中央に突撃。
 立ち塞がる敵の尽くを退け、徳川四天王の一人である井伊直政に重症を負わせるなどして包囲網を突破。
 多大な犠牲を払いつつも、見事に薩摩までの退却を成し遂げました。



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 …先日、初めてアリーナに行った時。
 ふと、義弘の戦いを思い浮かべた鈴蘭です。



 いつも考えてばかりいる私のことなので。
 現場にいて、戦機を掴むような真似は出来ませんが…。
 詳細マップを開いて、味方の動きを見ていると…何処に相手がいるのか、おおよその見当がつくようにも思えます。

 そこから…相手がやりたいこと、やろうとしていること。
 それらの形が、ぼんやりと浮かんでくるようにも。



 自分がしたいことが、思うように出来ないのがゲームというもの。
 特に、アリーナでの相手は人間で。
 CPUを相手にするようには行かないことも少なくありません。

 …ですが、それも当然のことではないでしょうか?

 自分がしたいと思っているように。
 相手もしたいと同じように思っているのですから。



 義弘の『釣り』が優れているのは。
 それは、技術の難しさというだけではなく。
 自分がしたいことだけを見ていては、成し得ない…そんなものだからではないでしょうか。

 自分から相手への意識。
 相手から自分への意識。

 この2つを持ってこそ成し得る…と。



 …これは、飛躍している捉え方かもしれませんが。
 この意識が、今のゲームの楽しみ方に通じていくと思う鈴蘭です。



  …考えが纏まらん…。
  いつにも増して、長い割に意味のない文になってしまったのぅ…(´・ω・)=3

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