独り言 その壱千八

 大きいだけの鈴蘭です。

 今日の朝のこと。
 帰宅後、すぐにアークスシップに乗り込んだ鈴蘭は…。

 デイリーオーダーの確認をし。
 デイリークラフトの消化をし。
 ちび鈴のペットに卵を合成し。
 墨染のマグに武器と家具を突っ込み。
 頂いたGJにお返事を書いて…。

 ふと時計を見れば、予告緊急の開始時刻まで、あと1時間もありません。

  移動するか…(((´・ω・)

 マルチさえ出来れば、クエストなど為るように成るもの。
 少ないなら少ないなりに。
 多いなら多いなりの、『何か』があるとも思います。

 人の多寡に、そこまでのコダワリはありませんが…。
 『取り敢えず』過密ブロックへ移動した鈴蘭です。

  …木は森を求めるものだろうか…(((´・ω・)?

 …などと考えていた鈴蘭でしたが。
 移動した先には、同じく緊急に行こうとしていたフレさんがおられ。
 PTを組んで緊急クエストに行くことに。

  うぬ。これもまた…であろうかな(´・ω・`)

 恙無く緊急クエストを終え。
 すぐにフレさんとは別れ、一人、討伐ブーストを利用してアムチをぐるぐる…。

 最近は、エクストリームクエスト限定で出土する武器が『因子』の実装により(継承の触媒として?)再評価され、こうしたブーストを利用してエクストリームクエストに行く人も増えているのだとか。

  機を見るに敏、か…(´・ω・`)

 何事にも腰の重い私は、アムチの周回を切り上げると、ネッキーまでの時間を利用して、その動きを遠くに眺めつつ…このブログの書きかけ部分を、推敲することにしました。

 時間は、正午を過ぎたばかり。
 まだ緊急の開始までに余裕はあります。

  …しかし…なんか纏まらない…(´・ω・`)

 …と、背もたれに体を預けて天井を見上げ、文章を考えること暫し…。



  …。



  ……。



  ………(´・ω・`)ハッ  



 …気が付けば、日が暮れていました…。



■考えすぎ?

 It is never too late to learn.
 (学ぶことに年を取り過ぎているということはない)



 江戸中期を代表する画家に、尾形光琳(おがた こうりん)という人が居ました。

 耽美主義的…道徳や功利といったものに囚われず、ただただ美の追求にのみ重きを置くような…作家とされ。
 後に興ることになる、屏風などの大画面に装飾的に美麗な絵を施す『琳派(りんぱ)』という流派の始祖に当たる人、とされています。

 この『琳派』の作品の数々は、現代に至るまで『日本の美』というものに多大な影響を与えてきた、重要な要素一つとなっています。
 『琳派』や『尾形光琳』の名前を知らなくとも、それにまつわる作品は、きっと何処かで私達も目にしている。
 それぐらい、世間に認められる作品を生み出した絵師なんですね。

 ただ、この人…。

 葛飾北斎のように、絵描きを志して絵描きになったというわけでもなかったりします。



 尾形光琳の家は、皇族御用達として貴族たちを相手に商いをする、京都でも有数の呉服屋でした。
 次男坊だった尾形光琳は、将来、店を継ぐはずの兄を助けねばならない立場にあったのですが…。
 商売のことなど一向に構わず、若い頃から遊蕩三昧。
 30歳の頃に父が急逝して家が傾いたというのに、そんなことには構わず、兄弟から借金を重ねて遊び呆けていました。

 彼が絵を描き始めたのは、35歳を過ぎてから。
 生活費も稼げない兄を心配した弟から、『子供の頃から絵がうまいのだから、絵師でもやってみてはどうか』と勧められ。
 当時、庶民の間で手軽な工芸品として人気だった団扇…その絵付けの仕事を始めたのだそうです。

 子供の頃に習い事として絵を習い、常々『絵こそが我が本分』と弟に語ってもいたようですが…。
 それは、子供が自分の特技を誇るようなもので。
 葛飾北斎の『世界一の画工』になることに生涯を賭け、情熱を傾けた…そんな姿勢とは違って見えます。

 彼自身も思うところがあったようで…絵師としての名声を得ながらも、晩年、遺言書の中で『相究タル家業モ之レ無ク(私はこれといった定職にもついていない)』と零し、子供に家を継がせず、他家に養子に出しています。

 彼が後世に残した傑作の数々は、40半ばから59歳で亡くなるまでの十数年間で制作されたと言われており。
 それらの多くは、今では国の重要文化財であったり、国宝に指定されているのですが…。

 そんな作品を生み出しながらも、自身を『絵師』とは見做せなかったのが尾形光琳という人です。



 これは、私の個人的な考えですが…。
 尾形光琳は、最後の最後まで、自分の中にあるものに疑問を持ち続けていたのかな…とも思えます。

 自分は『絵師』ではない。
 『絵師』のように絵が描けるわけではない。
 どうすれば『絵師』のように描けるのだろう?

 自身を『絵師』と言えなかった、この尾形光琳という人は。
 この答えを得られれば、『絵師』になれる…そんなふうに思っていたのではないかな、と。

 …でも…と、私は思うのです。

 それは、おそらく入り口です。
 そして、それには出口などありません。

 そうと知りながらも、ひたすら出口を探し続けられる人が『絵師』とも呼ばれる。
 …そういうものではないでしょうか?



 『絵師』ではない…とした、尾形光琳こそ『絵師』であった。



 全ては、自分の中の疑問に気付いた時に始まる。
 其処に遅すぎる…ということはないと思う鈴蘭です。



 PSO2の職も(´・ω・`)
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