独り言 その九百八十一

 大きいだけの鈴蘭です。

 人の少ない朝の時間はアレですが…。
 夜になって人が増えてくると、ラスベガスの空にアークスが戻ってきます。

 メンテナンス明けから、アルティメットクエスト一色になるかと思っていましたが…。
 コレクトに新たに追加された武器や、噂の☆12ユニットが事前の期待ほどではなかった…という見方がされてもいるようで。
 アルティメットが来るというので、枠の都合で取得を諦めていたベガス武器を、再び集め出している人もいるようです。

 かくいう私も、手持ちにやり残しているシートがあり。
 夜のマルチで、少しばかり飛んできました。



  すかいはーい(´・ω・`)!!


 
 …朝のライディングクエストのマルチ参加状況から、『これは、フリー探索で進める方がまだしも希望があるか…(´・ω・`)』などと思っていましたが。
 しかし、夜のマルチで『フォーム収集中』とフリーコメントを掲げている人を見て、『不安なのは、みな同じか…』と思い直すことができました。



 案外と多いのかもしれませんね。
 …声に出来ない、というだけで。



■考えすぎ?

 子曰、君子和而不同、小人同而不和 【論語:子路篇】

 有徳の君子は、調和はするが付和雷同しない。小人は付和雷同をするが調和をしない。

 これは、『和して同せず』という言葉で日本でも知られています。

 ここで言われる『和』とは、相手を心から深く理解して調和する様子を指しています。
 そして『同』とは、相手の言葉や態度の表面だけを見て、主体なく流されるままに同意する様子を指しています。

 孔子は、自分の見識や判断を放棄して、他人に付和雷同するような在り方をひどく嫌悪して軽蔑していたのだそうです。



 幕末、明治維新で活躍した大久保利通、小松帯刀や西郷隆盛といった人物を見出し、名君との呼び声も高い薩摩藩主『島津斉彬(しまづ なりあきら)』も、似たような考えであったようで…。

 『十人が十人とも好む人材は、有事にあっては役に立たない』

 …などといった言葉を残しています。



 そんな島津斉彬が、西欧列強との対決を見据えて薩摩藩の改革に乗り出し。
 来るべき時代を担う人材を求め、身分を問わず広く意見を募集したところ…。
 自身の上司の不正を、何度も執拗に訴え出る男がいたそうです。

 同じ事を、取り上げられるまで何度も何度も…。

 この事で興味を持った島津斉彬は、訴え出た男に会い、話を聞いた上で『お前の考えの通り上司を罰して不正を正したとしても、その先の考えが無いではないか。お前自身のことばかりで、周囲が見えていない者の意見など聞くことは出来ない』と、バッサリと切って捨ててしまいました。
 …ところが。
 それにも関わらず、島津斉彬は男をお庭番として取り立て、自分の側近くに置き、様々なことを学ばせました。

 短慮とも頑迷とも言えるこの男こそ、有事において役に立つ人材だと見込んだのでしょうね。



 男は、名前を西郷吉之助と言い…後に西郷隆盛となる人だったりします。



 西郷隆盛は、島津斉彬に見出されるまで地方の小役人をしていました。
 若い頃の西郷隆盛は、偏屈で自説を枉げず、周囲との折り合いもつけられない人であったようで、喧嘩も絶えなかったと言われます。

 西郷隆盛といえば、明治維新の英傑に数えられる人物ですが…。
 初めから大人物であった訳ではありませんでした。

 大人物になる素質はあったのです。
 しかし…その素質は、周囲はおろか当の本人でさえも短所と見てしまう…そんな頑固さでした。

 頑固であること、それそのものは決して悪いこととは言えません。
 それは自分の考えに自信を持つからこそであり。
 自分の何かに自信を持てるというのは、ただ学んでもできることではない、難しいことなのですから。

 頑固であることを、ただ短所として潰してしまっては。
 自分の何かに対して、こだわろうとする心の在り方までをも潰してしまいかねません。
 頑固であることを頑固であるままに、そのもう一歩先へ。

 自分に譲れないものが分かるのであれば。
 自分に譲れるものも分かるはずです。

 自分にとっての『和』とは何でしょうか?
 自分にとっての『同』とは何でしょうか?

 …それを考える事に、アークスの今があるようにも思った。
 そんな鈴蘭です。
 
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コメント

  • 2016/10/21 (Fri)
    20:32
    No title

    西郷さんがそんな人だったとは・・・ちょっと意外です。
    実に興味深い話でした~!

    黒羊 #- | URL | 編集

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