独り言 その九百六十八

 大きいだけの鈴蘭です。

 月見には、いい頃合いになったものです。

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 月見というと『中秋の名月』という言葉が思い浮かびますが…。

 今年の中秋の名月は9月15日でした。
 『今年の』と言うのは、中秋の名月は毎年決まった日にある訳ではない為です。

 これは、旧暦における夏と秋の中間(7月と9月の間…8月15日)に月を見る…という風習が元になっているのが原因なんですね。

 太陰暦と太陽暦では一ヶ月の長さが違います。
 そのズレのために、現在の太陽暦の中では『中秋』というものは毎年毎年、日付が変わってしまうのです。

 太陰暦の1年は太陽暦に比べて11日短く。
 3年毎に閏月を設けて、1年を13ヶ月にして調整します。
 来年は閏月の有る年なので、来年の中秋の名月は、太陽暦で10月4日にまで大きくズレてしまうのだとか。

  …ややこしいのぅ(´・ω・`)

 更には、『名月』とされていますが…。
 その言葉は、最も月が映える『満月』を指す訳でもなかったりします。
 現に、今年の中秋の名月は満月の2日前のことで。
 少し欠けた月が名月だったのです。



 …でも、逆にそれが良いのかもしれません。

 完成された、変わらない姿であるよりも。
 移ろい行く動きの中に『美』を見出してきた私達なのですからね。



 故に…。



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  …これもまた、一つの美なのだよ(´・ω・`)チクセウ



■考え過ぎ?

 以前に少し触れたように思いますが…。

 戦国武将、黒田長政。
 戦国時代有数の智将とされる、黒田官兵衛の後継者であった彼は、幼い頃に父親に冷遇されていたとも言われ、父親への反発からか父親とは正反対の猪突猛進の勇将として成長しました。

 しかし、その勇敢さは蛮勇というに相応しく。
 敵を深追いするあまり川に馬ごと落ちて溺死しかけた…という逸話まであり、父官兵衛は『匹夫の勇』と、これを厳しく戒めたとも言われます。

 そんな長政は、父から家督を継いだものの、家臣からは『出来の悪い二代目』と見なされ、軽んじられていました。
 家臣の協力なくしては、領国の運営など出来る筈もありません。

 …このままでは、継いだ家を潰してしまいかねない。

 長政はどうすればいいのか悩んだ末、一つのアイディアを実行に移します。
 ある夜、家臣を一つの部屋に集め、こう宣言したのです。



 『今夜は何を言っても、決して意趣(恨み)を残してはいけない、またここでの話を他言してもいけない、勿論今ここで腹を立ててもいけない。そして、絶対に思っている事を言い控えないように』



 長政自身、この言葉を守り、この場では何を言われても怒らないと誓います。

 現に、長政は酒を飲むと暴れる質だったそうで…酔って家臣に暴力を振るうことがあったそうですが。
 普段は主君を相手に憚っていた家臣たちは、この場で直言したんですね。

 『酒を飲んで暴れてもらっては困る。羽目をはずしすぎだ』…と。

 元々、短気なところがあった長政のこと。
 この言葉を聞いて、思わずカッとなって表情が変わったそうです。

 すると家臣たちは、『誓いの言葉を口にしながら、怒るとは何事か』と、長政に詰め寄ったのだとか。
 これには、長政も思わず出てしまった怒りを鎮め、『いや、私の心中に怒りはない』と、表情を和らげ、家臣の直言を受け入れたのだそうです。



 …諫言、直言は耳に痛いものです。
 それが正しいものであっても、いえ…正しいと分かっているからこそ、なかなか人は受け入れられません。

 分かっていても出来ないこと。
 誰もが、それを知るからこそ、先の誓いを口にして。
 『せめて、ここでだけでも』…と、臨むのでしょう。

 この集まりは『腹立てずの異見会』と呼ばれていました。
 ココでの経験は、長政にとって貴重なものだったのでしょう。
 彼は、『自分の死後も異見会を継続して欲しい』と、遺言で残しています。

 この古人の知恵にあやかり、鈴蘭もチームの中で『異見会』を開こうかと思います。
 我ながら、少々遅きに過ぎる…と思わなくもありませんが。
 今からでも、望むことも出来るのではないか…と。

 この週末は三連休が頂けるようですし。
 日曜の晩にでも、お付き合い頂けたら幸いです。
 
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