今年の冬は遅いなぁ…。
…などと思っていたのですが。
今日になって、季節が本来の時期を思い出したのか…突然の冷え込みを見せました。
昨日までは秋物で十分だったというのに…今日の風の冷たさは、とてもではありませんがコート無しでは耐えられません。
あまりの変わりようにビックリしてしまいました;
しかし…。
ようやく冬らしい冬となりましたね。
冬の夜は、なんと言えば良いでしょうか。
こう…水底に居るかのような、澄んだ…それでいて濃く、深い闇が広がっているように感じられるというか…。
…いえ、駄目ですね。
私の感じているものを表現する言葉が出てきません;
ものを知らないというのは、こういうとき困ります。
端的に言えば『冬の色をした夜』なのですが。
それでは人に伝わらないでしょう。
かと言って、言葉を重ねれば近付くかといえば…そうでもないですしね;
むぅ。
いい夜なのですが、もどかしい…。
■今日のニークス
「ゲーム依存」初の全国調査 長時間ほど仕事や健康に悪影響
— NHK生活・防災 (@nhk_seikatsu) November 27, 2019
ゲームへの依存に関する全国規模の調査が初めて行われ、ゲームに費やす時間が長いほど仕事や健康に悪影響を及ぼしている実態が明らかになりました。https://t.co/8tYtjzShfw
依存…かぁ。
学業、仕事、健康に悪影響を及ぼすというゲーム依存。
WTOで問題視され、対応が急がれているということで…。
国や企業による対策が、少しずつ形になって出てきました。
遊びであれ仕事であれ。
度を過ぎれば、それが何であれ毒となるのは変わらないでしょうに。
人が人らしく生きるために必要なものが何であるのか。
それを決めるのは誰なのでしょう?
ゲームを問題視する判断基準が、現代人が社会的に生きるために必要か否か、であれば分かるのですけどね。
社会機構を円滑に機能させるのに必要なものに、効率的に資源を集中させる。
それが国の存在意義の一つであり。
その為に物事の要不要を選別するのは当然のことですから。
ただ…。
人が生きる上で、こと文化に関わる物事について、何を何処までするのが良いのかを国や企業が決める…というのは、どうなのでしょう?
それが現代人の文化的な生き方なのでしょうか?
クールジャパンだ、プロゲーマーだと持て囃し、その果実を手にすることだけを考えて。
実際に果実がどのようにして育つのかまでには考えが及ばない。
根を切ってしまえば、果実など望みようがないというのに。
この手の取り組みが、幹に斧を入れながら枝に豊かな実りを期待するかのような…私には、そんな愚かさを含んでいるように思えるのです。
健康被害への配慮、というのは大事と思います。
それらに対する取り組みを否定するつもりはありません。
しかし、その取り組みが人の熱意の向ける先…新しいものとの出会い、喜び、興奮…そうしたものを奪うことになりはしないかが心配です。
何れ、それを持つことまでも間違いにしてしまわないでしょうか…。