独り言 その壱千参百弐拾九

 大きいだけの鈴蘭です。

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 …春ですねぇ…。



 ここ数日は、まさに春の陽気と言うに相応しい、暖かい日が続いています。
 このアークスシップだけではなく、現実においても、春の訪れを知らせる便りがあり…。








 …オオイヌノフグリ
 『犬の陰嚢』というヒドイ和名ですが、綺麗な青い花をつける春の花です。
 元々は、果実の形が犬の陰嚢に似ていることで名付けられた『イヌノフグリ』という別の花があり…。
 その花に似た一回り大きな花をつけることから、『オオイヌノフグリ』の名がついたそうです。
 …とばっちりですね;
 瑠璃唐草、天人唐草、星の瞳の別名があり、そちらのほうが花のイメージに合っているかも。

 花言葉は神聖、信頼、清らか、忠実。

 …上記のTwitterに『駐車場の隅』とあるように。
 探せば何処でも見られるような、ありふれた雑草の花です。



 …それが何であれ。
 特別な何かでなければ、知ることができないものなどなく。
 ありふれた何かに見い出せることに意味があり。
 ひいては、それが幸せとなり…喜びともなるもの。

 『こうでなければ』

 形にばかりこだわり、そうして間違い探しを続けるばかりの私では。
 こうしたものに気付くことなど出来ないのかもしれません。



■今日のニークス

 …やはり、春になるとこの詩が頭に浮かびます。



   春 歸 杖 盡  探
   在 来 藜 日
   枝 試 踏 尋  春
   頭 把 破 春
   已 梅 幾 不
   十 梢 重 見
   分 見 雲 春


 
 【意訳】
 一日中春を探してみたが見つからず仕舞い。
 杖をついて、山奥まで行ってはみたが何も得られず。
 疲れ果て家に帰り、ふと目にした梅の枝を手にすると。
 いつの間にか綻んだ蕾が、春の訪れを見せてくれた。



 暖かくなったから。
 桜が咲いたから。
 だから、春が来たのだと感じる私。

 暖かくないから。
 桜が咲いていないから。
 だから、まだ春ではないと思う私。 

 暖かさも、桜の花も。
 それは確かに、春の訪れを知らせるものには違いありませんが。
 別に、それらが春そのものという訳ではありません。
 それらが無くとも春は来ます。
 暖かさや、桜の花や。
 それらの中に春を見つけるから、私の中に春がくるのです。
 
 春を望み、春を感じる心が無ければ、何を前にしても季節が移ろうことはなく。
 何を前にしようとも、春を望み、春を感じる心があれば季節は移ろうのです。



 『こうでなければ』



 …そうして形にこだわる私は。
 桜を見上げ、足元の春に気付かずにいるのです。 
 
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独り言 その壱千参百弐拾八

 大きいだけの鈴蘭です。

 今日は火曜日。
 鈴蘭的にスプラトゥーンの日でした。

 いつものようにお誘いいただき…お誘いいただいたのですけど…。
 コールを入れて頂いても、私が見過ごしていることが多々あり。
 毎回『もしもーし?』と呼び出される始末。
 流石に相手に悪いと思い、前回『次までに改善します;』と言っていた鈴蘭ですが。

 ものの見事に、また同じ事を繰り返してしまいました…;

 普段の私は、携帯を電話やメールに使っていないので、通知関係を完全に切っており。
 実は…週に一回のこの時くらいしか、誰かから連絡くることなどありません。
 誰かからの連絡が来るというのは、全くのイレギュラー。
 習慣に無いことなのです。

 そのためか…このときくらい、と通知を入れるつもりで…つい忘れてしまうんですよね…;

 今日は、早めにSwitchの電源を入れて事前の準備をして。
 いつもの時間には、まだ少し早いし…コーヒーでも淹れようか、と席を立ち。
 コーヒー片手に戻ってみれば…。



 通知を知らせるサインが…。



 ぎゃあー…。



 せっかく時間作ってくれたのに、待たせてしまうとは…。
 思わず机に突っ伏してしまいました;

 通知…ちゃんと気付けるようにしなきゃです…。



■今日のニークス

 今日はスプラトゥーンに関しての自身の反省点を書き出して行こうかと。

 人に教えてもらいながらの勉強は、お手本を目の前にしているだけに、自分が理解していなくとも分かっているつもりになって、分からないことを見過ごしてしまいがち。
 せっかくの機会も、私の勘違いで無駄になってしまいかねません。

 一度、覚えていることを自分の言葉で整理して。
 そうする中で、自分の見過ごしを改めて確認できたら、と思います。

 完全に鈴蘭自身のためのものなので、読んで頂いても分からないかもしれませんが…;
 


●今回の反省【使用武器:ヒッセン】




 ・主武器の特性を意識して使ったか?
  →意識していたとは言い難い。
   バケツの強みである障害物越しの攻撃、高低差を利用した突き上げ…それらを工夫できる位置取りをしていなかった。
   遮蔽も何もない平地で撃ち合うことがほとんどだった。

 ・ボムを積極的に使用していたか?
  →前回までに比べて、使用頻度は上がった。
   しかし、それも戦闘においては自分から仕掛ける場合に限ってのことで、出会い頭の戦闘となると主武器に頼ってしまっている。
   足場の確保にも有効であるはずなのに、その意識が保てなかった。
   また、進軍時の塗りに活用する意識は相変わらず低かった。

 ・SPは使えていたか?
  →塗り意識が低くなりがちで、1戦闘あたりのSPの発動回数が1、2回程度になっていた。
   今回は抱え落ちも数回あったが、自身のSPゲージの溜まり具合に意識が向いていなかった。

 ・射程意識はあったか?
  →主武器で敵を捉えられていたが、バケツの戦い方としては下策だった。
   キルタイムの遅いバケツで距離を詰めて主武器で撃ち合っても勝てない…それが意識できていなかった。
   ボムによる牽制、敵の側面を取る大きな動き…主武器の不利を補うそれらの工夫が、前回からあまり改善していなかった。

 ・有利状況の見極めは出来ていたか?
  →エンガワ河川敷ステージにおいての戦闘では要所での出待ちを行い、敵の不意を突くことが出来た。
   しかし、地形の理解不足、敵の位置の把握の甘さから、複数の方向から同時に攻撃されてしまう場所に飛び出してやられるケースが多くあった。

 ・全体の戦況を見ていたか?
  →見ていなかった。
   ごくごく初歩的な、『人数的な有利不利』は見えていたが、『双方のSPゲージの状態』まで意識しておらず『スーパージャンプからのスーパーチャクチ』に引っ掛かったりしてしまった。
   また、全体マップを見る時や自身の周辺を見回す時、自身の周辺だけでなく、遠くの味方の位置を確認するといった『遠くまで見る』意識に欠けていた。

 ・ホコなどのオブジェクトへの意識はあったか?
  →前回までに比べて、意識はできるようになった。
   しかし、行動に移る判断が遅く、タイムロスからチャンスを逃すケースが少なくとも4回はあった。
   また、オブジェクトを持った後、乗った後の行動が定まっておらず、オブジェクトを維持することができていなかった。

 ・チャージャーへの対策は出来ていたか?
  →出来ていなかった。
   射線を避けて移動するのは良いが、意識的にタイミングを見てのことではなかった。
   相手がドラッグショットを使える人であれば、射線を外すフェイントに引っかかっていてもおかしくない状態だった。

 ・前回の反省点を活かせていたか?
  →活かせていなかった。
   前回、立ち会いにおいて敵の射線から逃れる動きが小さく、意味を成していない…というアドバイスを頂き、それを反省点として、今回は思い切って動こうと考えていたのですが…。
   戦闘が始まると、結局いつもと変わりがなかったようにも。
   遮蔽を利用して逃げるなどもしましたが、動きが小さいことに変わりありませんでした。



 …んー。
 大体こんなところでしょうか…?

 今回、フジツボとエンガワのヤグラがメインになったのですが。
 エンガワは、動画の解説などで幾つかのポイントを押さえていたこともあって、『何処で何をするか』の方針が見えており。
 方針が定まっている分、落ち着けるだけの余裕があったように思います。
 その余裕が、自身の動きに良い形で影響したかもしれません。
 逆に、ポイントを押さえていなかったフジツボにおいては、『何処で何をするか』の方針がなく。
 常に自分の目の届く範囲の敵を追い、敵に追われ…右往左往というに相応しい状態でした。
 余裕も何もあったものではなく…それが自身の動きに悪い形で影響したかもしれません。

 土地鑑のない場所を地図もなしに歩き回る。
 現実のことであれば、此処が何処かを確かめながら、回りをキョロキョロしながらゆっくり歩くと思うのですよ。
 とても他のことに意識なんか向くものじゃありません。

 私は、その状態で戦闘までしようとしているのです。
 そりゃ無理も出るでしょう、という話ですね;



 今回、『マップを大きく使って動く』というアドバイスをいただきました。

 私は、一対多の状況に突っ込んで(或いは取り残され)倒される…というケースが圧倒的に多いのですが。
 こうしたゲームでは、多対一の有利状況を作り敵を倒す、というのがセオリーなのだとか。
 (戦術の基礎ですね。私でも知っていることですが…それを此処に結びつけて考えていませんでした;)
 思えば私は、無理な状況を無理に打開しようとして、無理を重ねて負けています。

 勝てない戦いを無理にしない。
 勝てる戦いを見逃さない。

 そのためにもマップ全体を大きく動き、味方と協力する。



 次は、敵ではなく…戦っている味方を見て動くように意識してみましょうか…。



 今週は、年度末の対応のため、木、金がお休み。
 31日の土曜の晩は出勤となります。
 少し変則ですが…その休みにでも、出来たこと、出来なかったことを、もう一度実地で確かめてもみようかな、と。
 改めて、マップの下見を丁寧にやるのもいいでしょうかねぇ…。

独り言 その壱千参百弐拾七

 大きいだけの鈴蘭です。

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 春も盛りといった風情ですね。



 アズールレーンを遊ぶようになって。
 その事によって、PSO2の魅力…というべきでしょうか。
 こうした風景の中にある、アバターの存在の意味を知った鈴蘭です。

 例えば、挨拶一つ取ってもそう。

 チャットツールの中には、入室者を知らせるコールサインが表示されるものもありますが…。
 ゲームが本分であるアズールレーンには、そうした機能はなく。
 チャットルームに入っただけでは誰も入室者に気が付きません。
 何かしら発言をして、初めて周りの人に認識されるのです。

 …PSO2に慣れた私にとって、これが意外と不便にも感じるのですね。

 入室して、暫く様子(ログ)を見て。
 話の流れが途切れたところを見計らって、挨拶を挟む。
 …いえ、挟めれば良いのですが…。
 なかなか上手くはいきません。
 
 勝手知ったる時間帯…未明や早朝、昼前であれば、ログを見なくとも誰がいるのかを知っています。
 この人たちならば、話の間に挨拶を挟んだところで邪魔にはならないだろう。
 …そんな確証めいたものがあるので、気兼ねなしに挨拶をするのですが。

 しかし…。

 ゴールデンタイム付近では、どのような人がいるのかも分からず。
 不用意に挨拶を挟んで、話の流れを切ってしまうのは憚られます。
 むしろ、こうした時。
 話が弾んでいるところに何食わぬ顔で混ざり、流れを切らないようにする方が良いのかもしれません。
 実際、そうして話に混ざることを当たり前としている方もいらっしゃいます。
 最初は、それを見たとき『これってどうなんだろう?』とも思ったのですが…。
 私のこれは、小さな形に拘って、大きな形に傷をつけるようなもので。
 間違いではないけれども、間違いかもしれないこと…なのでしょうね。



 なかなか、難しい…。
 いえ、私が気にしすぎなのでしょうか;



 この点、PSO2のようにアバターが存在して、人と人との距離が目に見える形であれば…『察する』事ができます。

 声の届く距離まで人が来れば、声を出さずとも、それとなく意識して。
 それが知らない相手であっても、同じ場所にいる人間として迎え入れる。

 言葉にせずとも伝えられる、受け取れる。

 そうした気遣いのできる点が、コミュニケーションにおけるPSO2の長所だと思います。
 


― ◆ ―




 昨日の独り言のリンゴの例え話は、分かりにくいものになってしまいましたが。
 あの話で言いたかったのは。
 私は相手の事を考えてはいても、相手が私に何を求めているのかを…。

 …いえ。

 というか、そもそも…。
 私が相手から何かを求められるような存在ではない…と思い込んで、相手のサインの尽くを見過ごしてしまっているのではないか…という事が言いたかったのですが。



 アズールレーンの場合、言葉で全てを補う必要があります。
 対してPSO2の場合、アバターの存在によって助けられている部分があります。
 私は、それを長所と言いました。
 でも…考えようによっては、それは短所でもあります。

 なにしろ…。

 言葉の足りない私は、相手に察してもらってようやく鈴蘭として認めてもらっています。
 …が、その事を理解しているつもりで…私は言葉以上のことを理解していません。
 私がどう思っているか、は思考の中にあっても。
 相手が私をどう思っているか、は思考の中になく。
 相手に好もしく映る鈴蘭は、たまたま…私の思考と相手の気遣いが噛み合っただけで。
 それは私の相手に対する思いやりとは、また違うものであるように思えます。

 アバターの無い鈴蘭は、相手にとって居るのか居ないのか…きっと曖昧な存在であろうと思うのですね。



 私に人は理解できない。
 私を理解しようという人もいない。
 そんな私だからこそ、言葉が少なくても察してもらえる。

 サインは受け取れないけど、サインは受け取って欲しい。
 なんとも甘えた考えですが…。
 それが肥大化して…独り言の内容も薄くなってしまったのかな…と。



 言葉を大事に。
 そんな事を言いながら…。
 なんとも。



 子供の頃の学校行事で、臨海学校に行ったときのこと。
 キャンプファイヤーでフォークダンスを踊る…というベタなイベントが有りました。
 そのとき…。
 相手が私に『どうしたの?』と聞いてきたので。
 ただ一言『眠い』と返したところ。
 前後を含めた参加者から総スカンを喰らい、危うくキャンプファイヤーの燃料として焚べられそうになったことが。
 子供の頃から変わっていないのです、きっと。

独り言 その壱千参百弐拾六

 大きいだけの鈴蘭です。

 PCの購入に関してですが。
 この週末に、少しばかりサイトを回って見たり、お話を伺ってみたりしたのですけど…。
 AMD社(Advanced Micro Devices, Inc.)の開発したRyzenという新型CPUが注目されているみたいですね。
 低価格でありながら高性能。
 Intel社のCPUと同程度の性能でも、価格が3割ほど安いというのは、私のような人間には魅力的に映ります。

 しかし、ゲーム用としては若干不向き…なんて評価もあり。
 果たして何を選んだものか…と、アレコレ考えていた鈴蘭でしたが…。
 それを見て、察してくださり。



 『悩む必要なんかないですよ?』



 そうして『すももモデル』というものの存在を教えて頂けました。

 プロゲーマーが実際に使っているものと同じ構成のゲーミングPC…ですか。
 こんなものが売られてたんですね。

 どの業界にも、『◯◯氏推奨』みたいな商品が掃いて捨てるほど存在しているのは知っています。
 eスポーツの団体が発足し、プロ選手が増えてきたことが私のような人間にも伝わってくる昨今。
 競技を支えるパソコン機器にも、そうした商品があって然るべきでしたが…。
 その可能性を全く考えてませんでした;



 一口にパソコンと言っても、ゲーム用とビジネス用ではセッティングが異なります。
 素人では細かいところまで行き届かない事もあり…『ゲームが動けばいい』というものは簡単でも、快適に遊ぶには足りなかったりすることは珍しくありません。
 これを解消するのは意外と手間だったりして…悩みどころでもあります。

 ゲームを快適に遊ぶための要点が、最初から押さえられている。
 
 …これは、結構大きな魅力と思う鈴蘭です。






 ゴッドイーターの最新作がSteamでも配信されるとのこと。

 今すぐ…という訳にはいきませんが…。
 このPCの購入に向けて、真剣に考えてもみましょうかね…。



■考えすぎ?

 先日来の独り言の内容について…フレさんからお話を伺う機会があり。
 私の有様に…
 
  『形に拘り過ぎてるんじゃない?』

 …と、言われました。



 例えばの話。



 赤く熟れた、張りのある丸みを持つ瑞々しい姿。
 それは、深い甘みの中と爽やかな酸味の調和が、そのまま形となっているかのようで。
 食べれば、きっと幸せを感じることが出来るに違いない。
 見ているだけで、そう思わせてくれる。

 …そんな、リンゴを手にしているとします。



 それを…。



 画面の向こうにいる、リンゴを食べたことのない人に『どんな味か』を言葉だけで説明しなければいけないとしたら…。
 どのように説明するのが良いでしょうか?

 感覚を言葉にするのは至難のことです。
 お互いに同じ感覚を経験として共有しているのであれば、言葉に置き換えて表現することも出来るでしょう。
 しかし、全く未知の感覚を言葉で伝えるとなると…。
 仮に『あの果物に似た味』と言ったところで、それがリンゴの味として相手に正確に認識されるものでしょうか?

 ネットで調べれば、リンゴについて詳しく解説した文章を見つけることが出来ます。

 リンゴは人類が食した最古の果物で、起源は約8000年前とされています。日本では明治時代から栽培が始まりました。
 栄養価が高く、食べやすいため、世界中で好まれています。欧米では「一日一個のリンゴは医者を遠ざける」といわれてきました。


 リンゴというものを説明するには、これで十分でしょう。
 しかし、これだけでは味など分かるはずもありません。

 …私の場合。

 相手の『どんな味?』という問いかけに。
 リンゴを手にしながら、その味を知らない私は『リンゴの起源は…』と答えて理解を得ようとしています。
 形に拘り、大事な中身について全く理解していない。
 我ながら、なんとも…滑稽なことです。



 そんな私を見て、フレさんは…。

 遊ぶのが嫌ならそもそも誘わないし、付き合いが続くはずもない。
 それだというのに、これまでの時間の積み重ねを無視してどうするというのか。
 形がどうこうではなく、もっとシンプルに考えたほうが良い…と。

 …そんなアドバイスをくれました。



 その言葉に。



 手にしたリンゴの味を知らない…としていることを、ひどく申し訳なく思った鈴蘭です。



 このリンゴはリンゴとして最初から在ったわけではありません。
 リンゴとして熟すために必要な…時間や手間が相応にあったのです。

 それは、私だけのものではなく。
 おそらく私一人では、このリンゴが熟すことはなかったでしょう。
 相手と同じ時間、同じ経験をしてリンゴは熟したのです。

 私は知っているはずなのです。
 私は言葉にできるはずなのです。

 その味を。



 言葉は違っても、言わんとすることは同じ。
 相手を見て。
 相手の言葉を大事にして。
 …今更なことですが…私は、まったくなっていない、ということの再確認です。

独り言 その壱千参百弐拾五

 大きいだけの鈴蘭です

 年度末が近いとあって、ウチの職場も大忙し。
 シフトの変更が入り、今月末までは変則的な休日になる予定です。
 …まぁ、私などを使ってもらえるだけ有り難いこと。

 贅沢を言わず、励むこととしましょう…;



 …という、嘆きは短く。






 アズールレーンでは、待望…と言ってもいいでしょう…の幸運艦『雪風』の実装が発表されました。

 太平洋戦争中、常に最前線に身を置きながらも大きな損害を受けず、ついに終戦まで生き延びた奇跡の駆逐艦。
 大和が沖縄特攻を命じられた際にも護衛として随伴。
 米軍の猛攻を掻い潜って沖縄を目指したものの、大和が撃沈されてしまい作戦は失敗。
 参加した戦闘艦10隻のうち、6隻が沈没するという壊滅的な損害を受けてしまいましたが…その中にあって、雪風は最後まで戦場に留まって、大和の乗組員を救助した後に撤退。
 無事に本土への帰還を果たしています。

 にわかの私でも名前を知っている、有名な艦です。

 海軍の兵士からは『呉の雪風』と称されており、大戦当時から不沈艦、幸運艦として有名だったそうです。
 しかし、その一方で…。
 雪風を『幸運艦』とする評価に、懐疑的な声も聞かれます。

 近現代史評論、戦史研究家の半藤一利は雪風を栄光の駆逐艦とする評価に否定的で、水雷戦を想定して製造されながら、船団護衛や船団代わりの輸送などの予想外の役割に死力を尽くして働かなければならなかった雪風は、近代戦の持つ過酷さに対する証人であり、悲劇の消耗品だったと記している。
      【Wikipedia:『雪風』より】



 最前線に身を置き続けた雪風ですが。
 その実、戦力が乏しくなった海軍の都合に振り回され続け、夕立などのように華々しい戦果を挙げるような、駆逐艦本来の仕事というものはしていません。

 駆逐艦として生まれながら。
 駆逐艦として恵まれず。
 駆逐艦として栄誉は得られなかったものの。
 幸運艦として後世に名を残した駆逐艦。

 何が幸運で、何が不運であるのか。



 その評価に…人の生き方が重なって見えるように感じる鈴蘭です。



 上に挙げたアズールレーンの運営のTwitterに、『自分の努力を信じて疑わず…』という一節がありますが。
 それは雪風に関する評価に由来した設定です。

 天一号作戦で雪風と共に出撃した駆逐艦冬月の水測士の土橋久男元少尉が阿川の評価を裏付ける証言を残している。土橋元少尉は雪風と同じ戦隊で応急処置の訓練を行った事を回顧し、「訓練ではいつも雪風が群を抜いて早く正確に応急処置ができていた。日頃の訓練の成果が好運艦、強運艦を生んだのであって、単に偶然が好運艦を生んだのではないと感じた」と述べた。
      【Wikipedia:『雪風』より】



 不遇であっても、真摯であればこそ。
 不遇であっても、直向きであればこそ。

 幸運などにではなく…そうした姿が、人の心を強く惹きつけるのかもしれません。



 出来ることなら、私もそう在りたいものです。



■今日のニークス

 木鶏(もっけい)
 闘鶏における、強さの理想形とされる姿を指す故事です。
 

紀悄子(きしょうし)に鶏を預けた王は、10日ほど経過した時点で仕上がり具合について下問する。すると紀悄子は、 『まだ空威張りして闘争心があるからいけません』 と答える。

更に10日ほど経過して再度王が下問すると 『まだいけません。他の闘鶏の声や姿を見ただけでいきり立ってしまいます』  と答える。

更に10日経過したが、 『目を怒らせて己の強さを誇示しているから話になりません』 と答える。

さらに10日経過して王が下問すると 『もう良いでしょう。他の闘鶏が鳴いても、全く相手にしません。まるで木鶏のように泰然自若としています。その徳の前に、かなう闘鶏はいないでしょう』 と答えた。
              【Wikipedia:『木鶏』より】



 このお話は例え話であり…実際には、此処に出てくる王が預けた闘鶏とは人間を暗喩したものとされます。
 他人に惑わされて軽挙妄動、付和雷同するようでは駄目で。
 自分というものを軽々しく動かさず、何事を前にしても泰然と構えられるようになってこそ、その姿に人は感じ入るようになる。
 これは、そんな教えを示しています。

 そんな木鶏が理想というのなら。
 片や私は風見鶏といったところ。

 何かを見る度。
 何かを聞く度。

 私は容易に揺らぎます。

 あっちへクルリ。
 こっちへクルリ。

 最近、記事に故事を引く時に『はて…これは前に書いただろうか?』と思い、過去の自分を振り返ることがあるのですが。
 いつもあっちこっちへ意識を向けているので、一周回って同じことを繰り返してしまってはいないか、自信が持てないのですね。
 我ながら、自分の言ったことの責任も持てないのか、と…なんとも情けないことと思いつつ…。
 そうして、過去の自分が、未来の自分に向けて書いたものを見て。

 これを書いた過去の自分が思い描いた、未来の自分が私で良いのだろうか?

 …そう思ってしまうのです。



 考えるほどに、深く、広く、重く…そうなるものである筈なのに。
 以前は文が短くとも、自分の言葉を書いていたというのに。
 果たして今の私は…?
 最近は文こそ長いものの、自分の言葉というものが少なくなってしまい…。
 以前に比べて、なんとも薄っぺらいものになってしまっています。
 
 私は、なにか大事なことを忘れてしまっていないか?
 私は、なにか大事なことを勘違いして理解していないか?

 …などと、こうして考えている間も。
 風見鶏な私は、クルリクルリと回り続けています。
 こんなことだから、目の前の人の姿も捉えられないのでしょうね。

 木鶏とまでは言いません。
 せめて…。

 そんな事を考え、何をどうするか…今更ながらに思い悩む鈴蘭です。



 …最近、『(´・ω・`)』を控えてるのは、この辺にあるのです。
 頼りすぎて、飾りすぎてしまった…と。

独り言 その壱千参百弐拾四

 大きいだけの鈴蘭です。

今日の会話


 先日からお邪魔しているDiscordでのチャット。
 中国から参加されている方ともお話をするのですが…。
 この方、日本語は出来ないものの『せっかくだし、日本語の勉強のためにチャットに参加しよう』と飛び込んで来られたようで。
 チャットでは簡単な英語を使って発言。
 私たち日本人側は、それに日本語で返して会話するという…一見すると、ちょっと変わった形になっています。

 この方曰く、普段はオンライン上で小説を投稿・公開できる『小説家になろう』で日本語を訳しながら読んでいるとかで。
 なんとなくではありますが、日本語を読むことはできる…ということらしいのです。
 しかし、日本語で発言しようと思っても文法が分からない。
 かと言って翻訳ツールで翻訳すると、外国人の自分で怪しいと分かるような日本語が出てくる。
 なので、発言は英語、聞き取りは日本語…という形に。

 なんとなく読めるけど、発言はちょっと…というのは私の英語も同じ。
 それだけに…。
 その状態で、『せっかくだし』と思い立って行動に移した、この方を凄いと感心した鈴蘭です。

 私には、こうした積極性がありませんからね…;
 





 日本のアニメや漫画が海外の若者に与えている影響は、小さくありません。
 こうした物を通して日本を知ってもらおう…という取り組みは、数年前から国を挙げて行われていますが…。
 実際に日本のチャットルームにまでやってきた外国人を目の前にすると、文化の力というものの大きさを感じます。

 国も、人種も、言語も、思想も、何もかもを超えて繋がる力。
 言葉は理解できなくとも面白い、楽しいと感じられる。
 人の間を繋ぐのに、これ以上のものも無いでしょう。



 …ただ…これも、使う人次第なんですよね…。



 アズールレーンの第二次世界大戦に擬えたストーリーは、日本を敵とする内容となっています。
 とはいえ、それは『日本=悪』とするようなものではなく、ナショナリズムを刺激するようなものではないと思います。
 しかし、アズールレーンの開発元は中国の企業です。
 そのことから、そうした内容は『けしからん』とする人がいるようなのですね。

 国の歴史や文化を大事にする気持ちは分からなくはないのですが…。
 正直なところ『なんだかなぁ…』と思ってしまう鈴蘭です。

 古い世代の私たちが持ち得なかったもので、新しい関係を築こうとしているのが、今の若者たちなのではないでしょうか。

 彼らにとっての世界とは、きっと私の考えるものよりずっと狭く…そして、私が感じているものよりずっと広いのでしょう。
 そんな世界を、もっともっと楽しんで欲しい。
 私は、彼らを羨ましくは思いますが…妬ましいとは思えません。

 『けしからん』

 そう言って、私の物差しを当てて測ろうなどとは…。
 烏滸がましいのです。



■今日のニークス

 PCの新造の皮算用をしている鈴蘭です。
 本当にしばらくぶりの事なので、もう何が何やら…。
 取り敢えずは、PUBGが動作するスペックを目安に、どの程度のものが必要になるのか…その辺の情報を集めてみましょう。
 
 まずは、ショップの推奨モデルを流し見。
 ドスパラで売ってるモデルは約30万円ですか…。
 まぁ、本格的にFPSをやろうという人なら、これくらいが入門機になるんでしょうかねぇ…;

 んー…私にはちょっと高すぎる機体ですね、これは。

 まぁ、使ってるパーツ類については確認できました。
 これを目安に、自作するなら…と考えてみましょう。

 少しばかりサイトを巡ってみると、PUBG向けの自作のススメ、みたいなものが結構あるのに驚きます。
 それだけ人気ということなのでしょうが…。
 いやはや、こうして見回してみると…自分の浮世離れした感覚を再認識しますね;



 …しばし黙読。


 
 PUBGは、CPUの処理能力とメモリが必要なゲーム…と聞きました。
 特にメモリの消費が激しく、16GBは積んでいないと厳しいという話も。
 逆にグラフィックボードに関しては、描画処理にそこまでの能力を必要とする演出を用いていないので、妥協できる…とかなんとか。
 …でもこれ、人によってマチマチですね…。
 ゲーム自体に推奨環境が明示されていないので、『これが正解』みたいなものが無いのが原因でしょうか。

 ただ、それだからこそ…答えを探す楽しみがあるようにも思えますね、これは。

 もうちょっとアレコレ楽しみつつ、調べてもみましょうかな…。

独り言 その壱千参百弐拾参

 大きいだけの鈴蘭です。

 今日は春分の日。
 毎年、春分の日の前後は大雨になりますが…。
 今日の大阪は一日中、冷たい雨が降りしきっていました。
 先週には20℃を超えた気温も、ここ数日は半分にも届かず、寒い日が続いています。
 
 …そのせいか…風邪を引いてしまったようですね;

 仕事から帰ってPCを立ち上げたものの、何をする気にもなれず。
 ブログの更新もそこそこに、早々に布団に潜り込んで…タブレットからアズールレーンのチャットを眺めて過ごしていました;



 …流れるチャットをボンヤリと眺め…。



 そういえば、アークスの時もそうでしたが…。



 基本夜勤の私は、多くの人と活動時間が合いません。
 平日の朝など、人の少ない時間が私にとってのコアタイムです。

 せっかくチャットの出来るアズールレーンなのに、人の少ない時間にインしてもなぁ…と思われるでしょうか?

 いえ…これはこれで、面白いこともあるものでして。
 アズールレーンでは、各サーバーごとに99のチャットルームが存在(以前10と紹介したように思いますが…あれは私の誤りでした;)し、それぞれに固定の住人が居て、コミュニティーを形成している…というのは以前にも触れましたが。
 それぞれのコミュニティーの中心的な存在である『大御所』的な方たちには、ヘビーユーザーが多く…平日の午前であろうと、関係なくインしている人も少なくありません。
 平日の午前というと、そうした方たちが人の少ない地元を離れて、人の多そうなチャットルームに混ざることも珍しくないのです。

 確かに、夜に比べて人は少ないかもしれません。
 ですが…そこに楽しみが無いという訳ではありません。

 こうした祝日に、普段は午前にインすることのない人が、チャットルームを見て…『豪華な顔ぶれだなぁ…』と漏らしたのを聞き。

 何事も、多い少ないだけでは分からないね。

 …などと思った鈴蘭です。



■今日のニークス

「警戒性徐脈」(けいかいせいじょみゃく, Alarm Bradycardia)
 危機的な状況において起こる自律神経系の瞬間的なスイッチングのことで、交感神経によって急上昇した心拍数と血圧が、副交感神経によって急激に低下する生理反応のことです。
 反応の結果として脳への血流量が減少すると、動かなくなったり意識を失ったりします。



 動物学の分野で使われる用語です。
 猫が驚いたときに動きを止めてしまう…という場面を見たことがある方もおられるかと思いますが。
 まさにそれが『警戒性徐脈』によるものなのだそうです。

 一説には、生命を守る防御反応の一種であり、『戦う』、『逃げる』といった行動と同じもの…ともされているのだとか。



 先日のスプラトゥーンで、練習で立ち合って貰った際に『もしかして、相手に撃たれると弱い?』と言われたのですが…。

 相手に撃たれたとき、色々と形にならない考えが脳内を忙しなく駆け巡っているように思います。
 それらが形になろうとなるまいと、反射的に行動できるようになるのが経験なのでしょう。
 …でも、それは今の私には無いもの。
 事前にあれこれ考えることが出来るだけの余裕があれば、掛かりは遅くなろうとも正しい選択もできるのですが。
 ここぞという咄嗟の場面における私は、『戦う』でもなく『逃げる』でもなく…ただ『立ち竦む』だけ。
 経験のない私の身体がすべきことを把握しておらず、原始的な防衛行動を取ってしまう…のかもしれません。

 まぁ…場数の数が違いますしね;

 アークスとしての鈴蘭は、それなりにもなりました。
 しかし、そうなるまでに…ポータブル版から数えれば、都合9年ほどが掛かっています。
 それに対して、スプラトゥーン2は1年も経っていません。

 それなりになるまでに、人の何倍も掛かる鈴蘭なのです。
 半年、1年で結果が出るものではないでしょう。
 現状に焦りが無いではありませんが…。
 焦ったところで、急に強くなれるものでもないのです。
 私のゲーム。
 私のペースで楽しんでいければと思います。



 いっそ、時間を掛ける間に大事なことを忘れてしまわないように、個人的な備忘録でもつけましょうか…この独り言の別枠に。
 動画などでは、もはや当たり前のこととスルーされていることでも、初心者にとっては大事…ということは少なくなく。
 私のような本当の初心者から見ると、ネット上に多くある初心者向け講座が初心者向けじゃなかったりして、難儀しましたからね;




 …でも、そうやって私がノンビリしている間に、世の中はどんどん進んでいってるんですよね…;



 先日のスプラトゥーンでのプレイ中、FPS云々の話が出た時のこと。
 『PUBG(PLAYERUNKNOWN’S BATTLEGROUNDS)』というゲームの名前が出てきました。

 最大100人のプレイヤーが島内にある装備などを駆使して最後の1人になるまで戦い抜くバトルロワイアルゲームであり、ストーリーなどは存在しない[7]。熾烈な激闘に勝ち抜き、見事第1位を勝ち取ったとき、日本語版では「勝った! 勝った! 夕飯はドン勝だ!!」と画面に表示される(英語版では"WINNER WINNER CHICKEN DINNER!"との表示)[8]。また、2人タッグや(最大)4人スクワッドでのチーム戦モードも用意されている。





 前に、『こんなゲームがあるんですが』というお話は伺っていましたが。
 その時は『そんなゲームもあるんですねぇ…』と、ほぼスルーしていた鈴蘭です。
 当時の私にとってFPS自体に馴染みがなく、興味も関心もなかったのですね。
 しかし…スプラトゥーン2を遊ぶようになって、なんとなくですが…FPSの楽しさを分かったようにも思います。
 『ゲームとして面白いので、オススメ』と言われ。
 やってみても良いかなぁ…と思い始めています。

 というのも、実は…ちょっと迷っている事がありまして。

 ボーダーブレイクに関心があり、PS4の購入を考えている鈴蘭ですが。
 他にめぼしいタイトルを思いつかない私が買ったところで、本体の文鎮化は避けられないのではないか…という心配をしており、どうにも踏ん切りがつきません。
 それなら、いっそPCに手を加えるか新造して、Steamを導入するほうが良いのではないか…とも考えているのですね。

 Steamの導入に不安がないでもないのですが。
 以前ほど無関心という訳でも無くなっています。



 もう随分長いこと、PCのパーツに関する情報を更新していません。
 本格的にどうするかの判断は別にして、もし買うとしたら…で、少し情報を集めてもみましょうかね…。



■コメントお返事
 …また後ほど。

独り言 その壱千参百弐拾弐

 大きいだけの鈴蘭です。

 今日は昨日からの雨が残り、随分と冷え込んだ朝となりました。
 ここ数日の陽気に、すっかり油断していた鈴蘭は春物で出勤しており…。
 突然の寒の戻りを恨めしく思いながら帰宅することになってしまいました。

 寒風吹きすさぶホームに滑り込んできた電車に乗り込み。
 暖かい車内でホッと一息ついて、悴む手でスマホを開き。
 アズールレーンを立ち上げて、いつものチャットルームでご挨拶。

 流れる雑談を追い掛け…。
 ふと、気になる言葉が目に止まりました。

  『今日からファミマでコラボだよ!』




 最近人気のアズールレーンは、対象の栄養ドリンク各種を購入するとキャラクターがデザインされたキーホルダーを特典として配布する、大正製薬とファミリーマートとのコラボ企画を発表していました。

 …そうでした、今日からでしたっけ。

 言われるまで忘れていたくらいです。
 そこまでの関心は無かったのですが…。
 聞いてしまったことで、『話のネタに買ってみようかな』と思ってしまいました。
 こうなっては気になって仕方ありません。
 帰り道、いつもは立ち寄らないファミリーマートに行き、店内を物色すると…。
 ああ、ありましたありました。
 キャンペーンが始まったばかりの為か、キーホルダーも全種類あります。

 …ふむ。

 キーホルダーは全6種。
 1つ当り2本のリポビタンDを買って…12本。
 実は、近所の薬局で定期的に栄養ドリンクを箱買いしていて、今週分のストックは先日買ったばかり。
 …でも、まぁ、いいでしょう。
 買い物籠に12本のリポビタンDを入れて、キーホルダーを6つ取り。
 レジのお姉さんに精算をお願いすると…。

  お姉さん『フッ(´・ω・`)』

 …まぁ、うん、分からないでもない…。
 ええ大人が何を、って感じですからね;
 余裕の表情(?)のお姉さんは、手早くバーコードを読み取り、リポビタンDを袋に詰め。
 特典のキーホルダーを手にして…。

  お姉さん『特典は別の袋にお分けしますー?』

 気遣いありがとう…でも、それが私には痛いよ…。



 …などという遣り取りの果てに手に入れたキーホルダーです。
 帰宅して早速、チャットルームで戦果を報告。
 他にもキーホルダーを貰いに行った人が報告を挙げており、中には『売り切れていた』、『近所にファミマがない』という人も。
 『私も買ったよー』という人と合わせ、悲喜こもごもの賑わいを見せていました。

 …こうした輪ができるなら、買った甲斐もあろうというもの。
 『買ってよかった』などと、一人で勝手に浸っていると…。

 『戦果を写真でアップするんや!』

 …最近、出入りしているチャットルームのメンバーが活用しているという『Discord(ディスコード)』というチャットツールの集まりにもお邪魔している鈴蘭です。

 ゲーム内ではテキストに限られるチャットですが…Discordでは写真のアップなどが自由に出来るのですね。
 その上、処理が軽く、情報共有などに便利ということで、最近ではゲームのプレイヤーを中心に人気のチャットツールなのだそうです。

 そんなDiscordに作られた集まりは、参加者の方が集めた情報が載っていたり、大陸版をプレイしている中国の方が書き込んでいたりと…私のような情報に疎い人間には有り難い存在。
 そして、さっきの発言をしたのは、その集まりの主催者さん。
 …振られた以上は応えるべきでしょう。



 …しょうがないなぁ…;



DSC_0020.jpg

 …ちゃんと買ったよ!



■今日のニークス

 今日は火曜日。
 私的にはスプラトゥーン2の日です。

 先日、この時間の中で…。
 これまで触れてこなかった武器…『バケツ』を何気なく使ったときのこと。
 『その武器は、正面で打ち合っても勝てません。絶対有利な状況を見極められなければ、ろくに戦えませんよ?』
 …みたいなことを言われ。

 むしろ、それが今の私の練習には良いかも、と…



 バケツを使い始めた鈴蘭です。



 私は、潜伏して周りを見るということへの意識が薄く。
 相手の様子を窺って、リスクの少ない瞬間を見計らって攻撃する…ということを、ほとんどしません。
 基本、物陰を利用するなどの工夫をせず、正面突撃しかしないのです。
 …そこで。
 工夫しなければ勝ちようがない武器を持てば、嫌でも勝つための工夫を考える癖がつくのでは…と思ったのですね。

 …これも下手な考え、というやつかもしれません。
 ただ…今の私は、何かしらの手掛かりになりそうなものがあれば、それが何であれ取り入れられないものか考えるのです。
 これで経験の不足を補えるのであれば…と。
 溺れるものはなんとやら、です。

 先日の独り言で『FPSの講座なんかも参考に…』みたいな発言も、同じ脈絡で。
 私としては、『どちらも銃を使った戦いをするのだし、考え方に共通項があるかも』と考えたのですが…『全く別物と考えたほうが良いです』と言われて断念。
 機会があればFPSはFPSとして遊んでみることとして。
 スプラトゥーンの中で、スプラトゥーンを上手くなる方法を考えることにしました。

 それが下手な考えであれ、やってみる。
 試してみて、それの可否を問うて、修正する。
 そうした…失敗を成功の基にする、折角の機会の火曜日でもあるのでしょうから。

 …もっとも。

 この日の練習の中で、私の問題点を再確認し。
 ある意味…まだまだこうした『考え』を持つには早いのだと感じました。



 以前にも書きましたが…。

 相手に詰める時。
 相手に撃つ時。

 『このタイミングで良いのか』
 『こちらでよかったのか』
 『向こうは見なくてもいいのか』

 …行動の始点で、私は常に迷っています。
 それは、相手にとってみれば付け入るスキに他なりません。
 これが無くならない限り、私は常に一歩出遅れることになるでしょう。

 私に必要なものは、高度な技術云々、複雑な考え云々ではなく。

 平常心。

 どのような状況でも平静を保てるように、場数をこなし、慣れること。
 ただただ、これに尽きるのです。


 …もうちょっと書きたいところなのですが…。
 雨で身体を冷やしてしまったらしく、少し風邪気味に。
 今日のところは、これにて失礼をば…;

 

独り言 その壱千参百弐拾壱

 大きいだけの鈴蘭です。

 先週末は、無事に日本橋ストリートフェスタが開催されました。
 春分の日の前後は雨の日が多く、毎回、開催が危ぶまれているのですが…。
 前日の雨も未明には上がり。
 歩行者天国化した堺筋は、多くの人で賑わいました。





 …こういうのを見ると、今年の人気のタイトルなんかも分かる…んでしょうね。
 もともと広く浅くだったのが、狭く浅くなってしまった私には、何が何やらサッパリなのですが…。
 …こう、なんというのでしょう。
 こうした催しにズレた感想なのかもしれませんが…楽しんでやっている人たちを見て、微笑ましく感じますね。

 自分の好きなモノのために生きている。

 …その素晴らしさを形にして見ているようです。



■今日のニークス

 週末。

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                    (C)SEGA

 スプラトゥーン1、2でプレイヤーのレベルがカンストしているという、えりすさんがお話をしに部屋まで来てくださいました。
 前にTwitterでお話を伺うことを約束していたのですが、私のイン時間が減ったことで、なかなか時間が合わず…。
 結局、一週間越しの約束になってしまいました;

  えりす『プンスカプン(´・ω・`)』

 …いや、申し訳ない;



 えりすさんも、私と同じく全くの白紙の状態からスプラトゥーンを始めたそうで。
 かつて、なかなか上達しないことを悩む時期もあったと言います。
 しかし、状況を変えるためにチームに所属し、戦い方というものを理解して経験を積み。
 結果として、今の強さにまで辿り着いたのだとか。

 そうした経緯からか、私が悩んでいる様子に思うところがあったのでしょう。
 簡単に私の近況を聞いたえりすさんから…

  『キルの質を考えてみては?』

 …というアドバイスをいただきました。



 例えば…双方のリスポーンポイントの中間地点の陣地を取り合って戦うとして。
 戦況が自軍の有利な状況で進んでいる中、陣地を守るよりも積極的に攻勢に出て、敵のリスポーンポイント付近まで前線を押し上げてしまおう…と、行動するのはどうなのか。
 一人で無双できるだけの相手と隔絶した腕があれば、何処で戦おうと問題にはなりません。
 ですが、私のようにキルレシオが1そこそこの人間が、それだけ前に出て得られるものはなにか。
 自分の行動の選択の意味…リスクとリターンの見極めができているのか。

 陣地の前で守りを固め、待ち構える。

 それは一見すると消極的に見えるかもしれませんが。
 しかし、そうすることで復活した敵がリスポーンポイントから戦線に復帰するのに必要な時間を長くし、相手に時間を浪費させることにもなるのです。
 敵のリスポーンポイントの目の前で戦う場合、復活した敵はすぐに戦線に復帰してくることになり。
 同じ時間を稼ぐには、より多くの敵を倒さなければなりません。

 …それを思うと…下手な鈴蘭にとって、前に出て敵を倒すというのはリスクの高い選択でしかないのです。

 前に出て相手を倒すと簡単に言うが…敵を倒すばかりが手ではなく。
 時には倒す以外の方法で、敵に負担を強いる方法もある。
 状況に応じて守り、引いて待ち構えることのメリットを考えられないか。



 これは、相手陣地側に飛び出すという私に対して、考え方を変えて『待つ』ことの意味を探してみてはどうか…という提案です。



 以前に教えて頂いた事と同じではあるのですが…。
 改めて思い返してみると…『時間』というものを意識する感覚は薄かったですね。
 常に目に見える距離を気にしていましたから。

 陣地を守ることは考えていても。
 私にとってのそれは、常に空間的なもので。
 彼我の距離については気に掛けても。
 彼我の時間的な距離の意味するところは、考えていませんでした。

 遠い位置にいる相手の攻撃は届かない。

 …戦闘中の私の思考は、そこで止まってしまっているのです。



― ◆ ―








 上級者の戦いは示唆に富んでいます。
 しかし、それを正確に汲み取るには、私にはまだまだ足りないものばかり。
 多くの大事なものを取り零していることでしょう。

 私は…情けないことに、私一人の問題で済むのであれば…と、私自身のことでは妥協をしてしまいがち。
 大事なものを取り零していたとしても、それを見て見ぬ振りをすることでしょう。
 そんな私を見ている誰か、というのは私にとって貴重な存在です。
 その誰かを見ることで、私の今を知ることができる。

 …それは鏡のようなものです。

 何かを迷っている時、アドバイスをくれる方は少なくありません。
 そうした時…こちらを気遣い、心配して言葉を選んでくれる方がいらっしゃいます。
 その気持ちは有り難いものですが…正しい姿を知るには、そうしたものは寧ろ害ともなりかねないのです。
 鏡は、歪みがあっては正しい姿を映せません。
 こちらを気遣うというのなら、むしろ率直に『これはダメ』と言ってくれるほうが良いのです。

 …でも、難しいのですよね、これが。

 『率直にお願いします』とお願いして、『わかりました』と言ってくれ。
 私の姿に、『だからお前はダメなんだ』と意見してくれ。
 その言葉を裏表なく素直に信用できるような…そんな人とは、早々出会えませんから。



 鈴蘭にとっての鏡が、そこに在ること。
 それは、間違いなく幸運なことなのですよ。

独り言 その壱千参百弐拾

 大きいだけの鈴蘭です。




 面白いですね。
 もし、松尾芭蕉がスマホを持っていたら、という想像は。
 FacebookやTwitterを駆使して思うままに…そんな姿を思うと、微笑ましくなってきます。

  『いや、松尾芭蕉はそんなもの使わないんじゃない?』

 …そう思われる方もおられるかも知しれませんね。
 松尾芭蕉という人は、後世において『俳聖』とも評される人物で、生涯を俳句のために捧げ尽くしました。
 教科書にも彼の作品が載せられていますし、その業績を称える記述があるのを見た人もおられるかと思います。
 聖人として敬われるのを見ると、凡人には到底理解し難い、難しい事ばかりを考えて実践していた人のようにも感じてしまいますが…。
 松尾芭蕉は、普段使われる何気ない出来事を、言葉を飾らず、心のままに自由に表すことに俳句の美しさがある…そう考え。
 得てして文化人が忌避しがちな『俗』を、如何にして俳句に取り込むかをテーマにしていました。

 俳句を芸術にせんとする志は高く。
 でも、作る俳句はシンプルに…と。

 松尾芭蕉が生きた時代、庶民の間では俳諧が大流行していました。
 誰もが手軽に楽しめる娯楽、余興。
 それらは時に低俗、破廉恥ともされるような内容であったのだそうで。
 そこに文学的な芸術性はありませんでした。
 松尾芭蕉は、そんな俳諧を芸術の域にまで高め、俳句として完成させようとしたのです。

 …しかし。

 どれだけ文学的に優れた技巧を凝らした、高尚で素晴らしい俳句であっても。
 それを理解できる人が居ないのであれば、それに何の意味があるというのでしょう?
 人の間で生きている言葉で作られるものなのです。
 多くの人から大事にされ、愛される…そうして初めて、俳句は俳句として生きることになるのではないでしょうか?

 俳諧を芸術の域にまで高めつつ。
 決して、日常の感覚からは離れない。
 
 それが、松尾芭蕉の追い求めたテーマ…俳句です。

 松尾芭蕉は素人の催す句会などに足を運び、素人だからこその型に囚われない、自由な発想で作られる俳句を楽しんでいたのだとか。
 …それを思えば。
 松尾芭蕉が、世界中の人と繋がる事のできるスマホを持ったなら…。
 きっと、数多くの俳句を詠み、数多くの人の俳句を読んで楽しむだろうな…と。
 そんな事を考えた鈴蘭です。

 

ー ◆ ー




 先日来より…。
 アズールレーンにおいて、流れているチャットを眺め、時おり相槌などを入れていたものの。
 話らしい話…というものは、相変わらず出来ていません。
 自分というものの底が浅いばかりに、相手に何かを感じさせるような事も無く。
 ただただ無知や馬鹿を晒して、呆れられてばかりのようにも思え…。
 これなら、やっぱり…などという弱気が、いつもついて回っている鈴蘭です。

 だというのに…。

 一昨日の朝のことでしたか。
 チャットで挨拶をしたところ…。

  『SUZURANさんって、いつも居ますねw』
  『いつ寝てるのかと不思議だった』
  『確か夜勤でしたよね?』
  『ここのヌシみたい』

 …と、複数の方に返されたのです。
 その夜にも、挨拶の際に違う方たちに同じような反応をされ。
 人から、私が私として認識されていたことに驚きました。

 人より秀でた何かがある訳でもない私のこと。
 これと言って何かをした覚えもありません。

 そんな私が人の記憶に残っていた事に…。
 そして、人から迎えられた事に…。
 喜ぶよりも何よりも、『何故?』と疑問に思ったのです。



 …また、一方で。



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                     (C)SEGA

 最近の週末は、アークスシップに乗り込んでも、専らマイルームでぼんやりと過ごしている鈴蘭です。
 離席しているわけではなく、画面の前で別の作業をしていたりで…クエストには行けないものの、チャットぐらいは出来るという状態。
 ロビーで突っ立って居るのも落ち着かないので、マイルームの定位置に腰を据え、チームメイトのチャットが流れていくのを眺めています。

 …そんな私の元に、話をしに訪ねておいでになる方もおられるのですが…。

 ある時、訪ねてこられた方に『ここって、いつ来ても誰かしら居るよね』と言われ。
 その方が『これも人徳だね』と言葉を続けられたのですね。
 
 …人徳ってなんでしょう…?

 いえ、言葉の意味は知っています。
 しかし、そうしたものは何かを成した人、何かを成そうとしている人が持つもので。
 私のような怠惰な人間が持ちえないものであるはずです。
 私の人徳と言われても…皆目見当がつきません。
 その点を疑問に思い、聞いてみると…。

 曰く『話していると安心する』…と。
 
 …私からすれば、ただただ相手を困らせているだけのように思っていたのですが。
 私との時間を、相手がそんな風に感じている事に…。
 喜ぶよりも何よりも、『何故?』と疑問に思ったのです。



 私が囚われてしまっているのでしょうか。
 こうあらねばならない、そうでなければならない…と、有りもしない型に嵌めようと躍起になって。
 人に伝えるべき本来のものを見失っているのでしょうか。

 本当に…言葉は不思議なものです。

 同じ言葉に、一方では有ると言い。
 同じ言葉に、一方では無いと言う。

 何故なのでしょうね。
 
 私には何もない筈なのですが…。
 人は私の何を見ているのでしょう?

 言葉でのみ存在する、仮想の私たち。
 
 私などからすれば…。
 こうして言葉遊びをしているだけの私に騙されないでください。
 飾られた言葉の上辺だけを見て判断しないでください。
 私を反面教師とするのが貴方の為です。
 私に何かを見ているというのなら、それは貴方の優しさです。
 …そう言いたいのですけどね。

独り言 その壱千参百壱拾九

 大きいだけの鈴蘭です。

ストフェス14th


 あぁ、もうそんな時期でしたか。

 …などというのは、今更でしょう。
 もう3月も半ばを過ぎています。
 ここ数日、朝晩であっても暖かさを感じるようになり。
 日中ともなれば、上着を煩わしく思う陽気。
 まさに、今、春…なのです。

 しかし。

 例年、ストリートフェスタの前は天気が崩れがちで、肌寒く感じる日も多く。
 薄着のレイヤーさん達を思うと、気の毒にも感じていたものですが…。
 今年は特に暖かく感じるようにも。
 この分なら、人出も凄いことになるでしょうね…。

 最近のストフェスは人波に揉まれに行くような有様で、見物に行くことも止めてしまった鈴蘭ですが。
 せっかくのお祭り。
 皆が楽しめるといいのに…と、願わずにはおれません。
 別に祭りに行かないからといって、祭りに無関心な訳ではありませんから。

 祭りの雰囲気を遠くに、人のさざめきに耳を傾ける。
 それが、私なりの楽しみ方なのです。



■今日のニークス

 武器の更新を…と、考えているアークス業を脇に置き。
 今日も今日とて。




 とにかく、個人が対人で行う戦闘…というものの経験が圧倒的に不足している…。
 いえ、経験が絶無と言ってもいい鈴蘭のこと。
 それが何であろうとも、私にとっては足しになると考え…目にしたものを取り込もうと、あれこれ試行錯誤している毎日です。



 戦闘と言えば、アークスでの経験がありますが…。
 アークスの鈴蘭は、とにかく敵に張り付き殴る…というスタイル。
 敵の激しい攻撃に晒されても、怯むことなく前進する。

 とにかく前へ前へ。

 その気持ちこそが必要…と。
 そう考えて戦ってきました。



 …しかし。



 それはスプラトゥーンで通用するものではありません。
 いえ、必要なものには違いないのでしょうが…。
 それだけではなく…状況に合わせて、それを制御する理性が無ければなりません。
 相手はCPUではなく生身の人間。
 倒してやろうと接近する私を、黙って待っている訳はないのです。

 私に望むことがあるように。
 相手にも望むことがある。

 腕があれば、自分のしたいことを相手に押し付け、勝つことも出来るでしょう。
 しかし、腕のない私が無理を通そうとしたところで、上手くいく筈もありません。
 相手が何を望み、何をしようとしているのか。
 負けを重ねる中で、それをより正確に理解する必要がある…と知りました。 

 しかし…。

 もともと、そうした手管を持ち合わせていない私のこと。
 何もかもを、ゼロから作らねばなりません。
 こればかりは一朝一夕に成るものではありませんし。
 焦ったところで得るものが増えるわけではないのは、分かっているつもりですが…。
 気が急いてしまうのは、どうしようもありませんね…;



 それでなくとも、最近は空回り気味だというのに…。
 これ以上は流石に避けたいところですが。
 
 …でも、私のことですしねぇ…;;



 …ふと思ったのですけど。
 スプラトゥーンの戦い方を研究して、それに慣れるのもいいのですが…。
 ここで半歩ほど引いてみて。
 もっともっと初歩的な戦闘のイロハについて学ぶのもいいのかも…?

 今ひとつ…自分の行動に効果があるものなのかが、分かっていないのですよね;

 その辺を確かめるために、FPSの基礎なんかを教えてるサイトとかも見てみようかなぁ…などと。
 そんな事を考え始めてもいる鈴蘭です。

 いや…これこそ下手な考えというものでしょうか;

独り言 その壱千参百壱拾八

 大きいだけの鈴蘭です。




 量子宇宙論の第一人者、スティーブン・ホーキング博士が亡くなったとのこと。
 おそらく、人類で最も宇宙に詳しかった人。
 科学者のみならず、その死を惜しむ人は、きっと世界中にいることでしょう。

 現在の宇宙に関する研究に、現代宇宙論というものがあります。

現代の宇宙論は大まかに言って宇宙に存在する最も大きな天体(銀河、銀河団、超銀河団)を扱い、また宇宙の最も初期に形成された独特の天体(クエーサー)や、ほぼ一様だった最初期の宇宙自身を研究対象とする。

素粒子物理学の実験結果に強く影響されること、研究内容が天体物理学や一般相対性理論、プラズマ物理学から現象学や超弦理論(M理論)、量子力学などに及ぶといった点で、物理学の中では異質の学問分野である。


 ホーキング博士は、この研究を形作る理論を組み立てた人…



 …らしいです。



 いや、専門知識を持たない一般人に『宇宙とはなんぞや』を解説する著作『ホーキング、宇宙を語る』などもあるのですが。
 身近にあるものを発明した人であれば、私でもその有り難さを実感できるのですけど…。
 『今、私達のいる宇宙はこうなっているんですよ』と言われても、その凄さが馬鹿な私などに分かりようもなく;

 …なので、私にも分かる言葉で故人を偲ぼうかと思った鈴蘭です。



 I try to lead as normal a life as possible, and not regret the things it prevents me from doing.
 人生は、できることに集中することであり、できないことを悔やむことではない



 筋萎縮性側索硬化症を患い、50年に及ぶ闘病生活の中で研究を続けた『車椅子の物理学者』。
 上記のモーメントにもありますが…ホーキング博士は『スタートレック』の熱烈なファンで、本人の希望もあって『スタートレック』に本人役で出演しており、劇中でニュートン、アインシュタイン、ホーキング博士の三人でポーカーに興じています。
 そんなホーキング博士は、スター・トレックの撮影スタジオを見学した際。
 エンタープライズ号の機関部のセットに触れながら、『私はこれを実現させるために研究しているんだ』と語ったのだとか。

 言葉通りに自身に出来ることに集中し、宇宙の真理へと迫った現代の偉人です。
 この言葉が、どれだけの重みを持つものか…。

 心より、御冥福をお祈りします。



■今日のニークス

 いつぞやも、この独り言で取り上げたことがありましたが…。

 私は電話の類いが嫌いです。

 それは、私が人との接触を嫌う以上に…簡単に相手に繋がってしまう便利さの為です。
 いつでもどこでも。
 それは、相手と話をする上で便利に違いありません。
 しかし、こちらの都合で勝手に相手に繋げてしまうのは…ひどく不躾なことではないのでしょうか?

 私がされる分には、さほど気にしないのですが…。
 私がするとなると、どうしても気になってしまいます。

 スカイプなどの連絡手段を持つようになっても、それは同様で。
 簡単に相手に繋がってしまうという事が、相手に迷惑にならないものか…それを心配してしまうのです。

 もし寝ていたら?
 もし立て込んでいたら?
 もし…。

 私のために相手の時間を邪魔してしまっては、申し訳が立ちませんから。



 ただこれも…。



 この独り言で、ご指摘いただいたように思いますが。
 されるのは良いけど、するのは嫌…というのは、ただの我儘でしかありません。
 私の、そうした態度こそが相手を遠ざけてしまっている…と言えるでしょう。

 私は嫌だと思ってるけど、あなたがするのは良いと思う。

 …それを相手はどう感じるのか、という話です。
 結局、私は相手に踏み込むことへの恐れを、体のいい理由を見つけて誤魔化しているに過ぎず。
 私の電話嫌いは…中身のない、形だけのものでしかないのです。

 以前、連絡用に…と、頂いたスカイプの連絡先も。
 先方から連絡が入るのを受けるばかりで、こちらから連絡した事は殆どありません。
 いつ、どのように、どんなことを。
 それを思うと、自分から使うということに抵抗があったのですね。

 ですが、やっと…。
 いえ。
 今更、でしょうか。

 相手への思いやり…気遣いは忘れてはいけない。
 それは大事なことに違いありません。
 しかし、それを相手への言い訳にするのは卑怯というもの。
 そうして、理由をつけては相手を遠ざける…私の在り様を省みて。
 私に、その意識がなかったとは言え…。
 …いえ、むしろ。
 そうして無自覚であったからこそ、相手を傷つけていたのではないか。
 大仰…とも思われるかもしれませんが。
 こうして考える内に、そんな私に付き合い続けていてくれた相手のことに気付き。
 改めて申し訳なく思い…ただただ感謝したくなった。
 …なんとも自分勝手な鈴蘭です。



 出来るはずのことをしないまま。
 出来なかったことを後悔し続ける。

 …それは違うと、ホーキング博士は言っています。

 なので…。

 『話をしてもいいですか?』…と。

独り言 その壱千参百壱拾七

 大きいだけの鈴蘭です。



 昨日の『ぷよぷよ』といい…。
 懐かしいですね。

 『ブギーポップ』が出た頃は、電撃文庫もまだ小さく。
 本格的に小説を読み始める前の子供に向けて、出版各社がレーベルを立ち上げていたとは言え…角川スニーカー文庫、富士見ファンタジア文庫、徳間ノベルス、ハヤカワ文庫…選べたのは、それくらいだったでしょうか。
 今では当たり前となった『ライトノベル』なんて言葉も、まだ無かったように思います。
 
 当時は『グループSNE』が展開する剣と魔法のファンタジー…いわゆる『ソードワールド』の人気が根強く。
 ファンタジーというと、『異世界』『中世』『冒険』…そんな定型がありました。
 その中に現れた『ブギーポップ』。
 手に取った私は、『はて、これは何になるのだろう?』と疑問に思ったのを覚えています。
 …思えば、これがライトノベル…それに続く伝奇モノの『はしり』だったのですね。

 少し前。

 アズールレーンのチャットで、『好きなライトノベルを挙げてけ』みたいな話題になり。
 最近のものを全く知らない私は、記憶の中から適当に思い付いたタイトルを挙げてみたのですが…。
 話題を振った大学生の方が、突然『うおぉぉおぉ!!』と叫びだしたのですよ。
 聞けば『黎明期の聖典じゃないっすか。リアルで読んでたとか感動っす!!』とのこと。
 三年一昔と言いますし。
 古典と言われるかも…とは思ってましたが、聖典ときましたか;

 聖典…ねぇ。

 私などからすると、今の現役世代の子達を羨ましくも思います。
 私達が子供の頃に憧れていたモノが、もう目の前にある。
 かつては望んでも得られなかった楽しさが、簡単に手に出来る。
 これからを思うと、なんて恵まれているのだろうか、と。

 …でも、それも見方の違い。

 何をするにも先達がいる…そうした今を窮屈に思う子供たちからすれば、かつてライトノベルが海のものとも山のものともつかない、胡散臭いものと見られていた時代は、『フロンティア』そのものなのかもしれません。
 ただ…。
 そうして皆が憧れる『フロンティア』などというものは、いつの時代にもあり、いつの時代にも無いものなのかもしれない…などと思う鈴蘭です。

 何故と言って。

 其処は、此処とは違う場所に憧れているだけでは、絶対に行けない場所なのですから。



  『机、紙、鉛筆。それと私のすべての間違いを受け止めてくれる、大きなくずかご。』

 これは、アインシュタインの言葉です。
 彼が『フロンティア』に至るのに必要としたものは、紙と鉛筆。
 私たちが手にするものと、何ら変わりはありません。
 …しかし。
 頭の中にあるものを書き出して形にしたいという熱意。
 紙と鉛筆を使う意志の力。
 それが人より大きかった、という…。 



 望み、実際に行動した人だからこそ立てる『フロンティア』。
 ただ憧れるだけでは…たとえ『フロンティア』に立とうとも、そこには『何もない』と感じるだけでしょうね。



■今日のニークス

 今日は火曜日。
 『スプラトゥーン2』を遊ぶ日です。

 いや、そうじゃなきゃいけない訳ではないのですけど…。
 そうでなければならない理由もなく、続いていることの幸せ。
 それを喜ぶべきかな、と思っている鈴蘭です。



 貴重で、楽しいひと時。
 それは、私にとって修練の場でもあります。




 以前ほど、対戦していて緊張することはなくなりました。
 コントローラーを握りしめる手は、相変わらず冷たくなっていますが…。
 それでも、以前に比べれば随分と温かみを保っているのを感じます。

 なんだかんだで、少しずつ私もゲームに慣れてきた…ということなのでしょう。

 …しかし。
 慣れてきたとはいえ、対戦相手との駆け引きを楽しむ…というには程遠く。
 勝ち負けを論じることなど、まだまだ先のこと。
 私が学ぶべきことは、それこそ山のようにあるのです。

 それをよく分かっておられるのでしょう。

 漫画などで、弟子入りしたばかりの少年が師匠から『好きなようにかかってこい』と言われて、戸惑うシーンがありますが…。
 それさながらに『かかってきてください』と。

 練習と言って、これ以上の練習はそうありません。
 さっそく有難く…。
 などと出来れば、良かったのでしょうが…。
 実は、この時の私の戸惑いも、漫画さながらだったりしました。 
 
 …というのも。

 やはり、こう…よりによって、この人に敵意…というと強いですか。
 害意を向ける、というのが…。
 レティクルを合わせる瞬間、自分が怯んでいるのが分かりましたから;

 それじゃ意味ないじゃないか…と思い直してからは、マシになったものの。
 この掛かりの遅さ、切り替えの遅さは…こうしたゲームにおける、私の動きの悪さにも繋がっているようにも。
 何をするにも迷いが多く、どっちつかずな行動をしてしまっている事が多いと思うのです。

 中途半端に逃げるから逃げ切れず。
 中途半端に踏み込むから攻めきれず。

 そうして、何度も失敗を繰り返しています。
 …こうも失敗し、迷うということは。
 きっと、私が相手をちゃんと見ていないから…。 
 相手の考えはきっとこう…そう思い、信じるだけのものを私が持っていないからなのでしょう。
 


  『人生に失敗がないと、人生を失敗する。』

 歌人である斎藤茂吉の長男、斎藤茂太氏の言葉です。
 人生と言うには大げさに過ぎますが。
 このゲームにおいて、私は随分と失敗を繰り返しています。
 些細なものから、致命的なものまで…無知の為に犯してきた失敗です。
 失敗など、しないに越したことはないかも知れません。
 でもそれらは、私にとっては得難い…大切なものです。

 なぜなら、これがあるからこそ『ではどうするか』を考えることも出来るのですから。



 今は、何もかもが途中です。
 ですが、何れ…。
 こうした失敗を振り返り、『いいゲームだった』と言えるようになりたいですね。

独り言 その壱千参百壱拾六

 大きいだけの鈴蘭です。




 …おー、ぷよぷよが…。
 MSXの初代『魔導物語』を知る私からすると…時代の流れを感じさせるニュースですねぇ…。
 今は亡き『ソフトベンダーTAKERU』…なんて知ってるアークスが、果たしてどれだけいることやら;

 …などと、思わず回想してる場合じゃないですね。

 今回、eスポーツの種目として、正式に『ぷよぷよ』が認定されたと。
 今日び、スマホでも手軽にできる『ぷよぷよ』。
 その裾野が広いだけに、必然的にプロ競技への関心も高くなる…んでしょうか。
 事情に疎いので、これによってどんな事になるものなのか、私には想像がつきません。

 ただ…。

 私でも『せっかくだし遊んでみようかな』と思ってしまいますし、宣伝効果は十分あるように思います。
 他のゲームは、よく知らなかったり、難しそうだったりで、冷やかしでも手が出そうにありませんが。
 『ぷよぷよ』ならば…と。
 同じように考える人が、他にもきっといることでしょう。

 それで何がどうなる…というわけでもないかもしれません。
 でも…。
 ゲームの振興を考えた場合。
 大会の成功云々などは二の次で。
 何よりもまず、興味を持ってもらう…ということに成功した。
 それで良いのかなぁ、と。

 そんな事を思った鈴蘭です。



■今日のニークス




 アズールレーンのキャラクターには、好感度のステータスが設定されており。
 贔屓にすることで好感度が上昇。
 一定以上になると、結婚指輪を渡して嫁にすることができます。

 …正直、艦これに触れていない私は、これまでこうしたシステムに対して『結婚て…;』という…呆れがあったのですね。
 アズールレーンにもあると聞いて、最初は『要らんかなぁ…;』と、引いて考えていたのですが。
 しかし、こうして実際に遊んでみると…。

 なるほど。

 お気に入りのキャラクターを、こうして可愛がる気持ちも分かるような気がします。
 特に、このアズールレーンではゲーム内でチャットが使え。
 発言者を示すアイコンに、お気に入りのキャラクターを設定したりもできるので…。
 その場で自分の『好き』を示して、ダイレクトに共感を得られる…そんな充足感があると思います。
 SNSが発達した昨今、敢えてゲーム内での発信に拘ることはないとも思われるかもしれませんが。
 やはり、ゲームの内と外では違うと思うのですね。
 感じ方が。

 …ネットワークゲームの醍醐味は、時間を共にする人の存在。
 そんなことを再認識した鈴蘭です。



 しかし、至らぬ鈴蘭のこと。
 そのネットワークゲームの醍醐味に右往左往の毎日。

 アズールレーンのチャットは気軽に全体への発言ができるせいか…他愛のないものも少なくありません。
 下ネタを連呼する。
 キャラをイジる。
 サブカルのネタの応酬。
 そうしたものが多いのは確かで。
 そうした発言を軽蔑し、敬遠している人もいるようです。
 ただ、そうしたものほど…物を知らず、頭の働きの鈍い私には難しいものであったりして…。
 受け取り方がズレているかもしれませんが、そうしたチャットを眺めて楽しんでいたりも。 

 実は褐色集会の裏でもアズールレーンにログインしてチャットをしていたのですが。
 その時は、話題が随分と偏ってまして…。

 『第二次世界大戦は何故起きたのか』

 『ナチスドイツの存在意義』

 『表現の自由とは』

 『海洋汚染と水産物の保護』

 …数時間に渡って、そんな話の流れでした。
 人が変われば、話す内容も変わるものですが…。
 なにげに、週末の未明の…私のいる時間は、そうした話題を好む人が集まる傾向にあるようですね;
 褐色集会に参加している人の中にも、アズールレーンを遊んでいる人は少なくないのですが、『今こんな話してるよ』と振ってみると…。
 『そんな話してるとこ、見たこと無い…ホントにアズレン?』みたいな反応が返ってきました。
 やっぱり珍しいんでしょうか…。

 他の方にとっては、どうか分かりませんが。
 少なくとも…私には、この珍しいことが有り難いことであったりします。
 頭の回転が悪い、反応が鈍い、物を知らない。
 …そうした私には、答えが予め決まっている話題にはついていけません。

 『これを私は、こう思う。これを貴方は、そう思う。では…?』

 物を知らなくとも、自分の考えていることを並べていける…一見すると堅くも感じる話題のほうが、むしろ気楽に参加できるように思うものですから。
 私などは…無知であればこそ…なのでしょうか。
 そうした時、未知に触れる楽しみを、結構喜んでいるのですけどね。
 


 …その楽しみが高じて…。





 こうして、思いがけないものに行き当たったりもするわけで。



 つくづく…面白いものだと思います。

 現実の世界であれば、まず出会うこともなかってあろう人たちと、気兼ねなく言葉を交わすことの出来る仮想の世界。
 そこで起こる、全ての出来事が。

独り言 その壱千参百壱拾五

 大きいだけの鈴蘭です。

 今週末には第二土曜日があり。
 恒例の『褐色集会』に参加してきた鈴蘭です。

 前回、前々回と開始時間と目玉の緊急が重なった事もあり、静かなスタートという印象でしたが…。




 今回は、それとは打って変わって随分と賑やかなスタートとなりました。
 参加者に何故と聞けば…『(今回の緊急は)行かなきゃいけないものでものでもないから』とのこと。

 …ふむ。

 一人二人の事ではなく、こうして多くの人が…となると。
 少なくとも、ここに好んで足を運ぶような人にとっては、今に不足を感じており。
 代わりに『褐色集会』で、その不足を補いたいと考えた…というところでしょうか。



 私は会場の外縁に陣取り、会場を訪れる方一人一人に挨拶をします。
 『こんばんは、○○さん』と。
 わざわざ名前を呼ぶのか、と思われるかもしれません。
 まぁ…確かに、私自身も大仰と思わなくもないのですが…。
 しかし、こうしたイベントにおいては、参加者としてではなく…ただの観客として人の輪の外に取り残されている人、というのは少なくないように思います。
 折角、何かを求めておいでになったのです。
 『あなたも参加者として、輪の中へどうぞ』
 そうした意図をもって、敢えて名前を呼んで挨拶をしている鈴蘭です。



 ただ…。
 これは少し話が逸れますが。



 正直なところ、人との距離のとり方が不器用な私のこと。
 『人と遊ぶ』とはどういうものなのかを、よく分かっていません。
 …例えば、アズールレーンにおいて。
 オープンチャットで、集会と同じように『こんばんは、○○さん』と挨拶するのは、他の人と不当に区別しているようにも感じられ…。
 こうした場の挨拶は、むしろ簡素なものの方が良い…と学びました。

 これは、旧知の方に話しかけるのも同様で。
 違うゲームでの繋がりなど、他の人には見えません。
 私が、それを持ち込んで他の人と区別…いえ…私が、相手を勝手に枠に嵌めてしまっては、その人が楽しめなくなってもしまうことでしょう。
 折角の真新しい土地。
 そこに、まだ見ぬ花を新たに求めようという人に、私が横から茶々を入れるのは酷く無粋なことなのですから。

 しかし…。

 思えばこれも、立場を変えてみれば…。
 私が枠に嵌めないことで、相手を『枠に嵌めない』という枠に追いやっているのやもしれず。
 果たして、これで良いものなのか…私には、よく分かっていません。

 これではいけないのかな…。
 いや、これでいいのかな…。 

 そうして迷ってばかりの私ですが。
 絶えず考えることにこそ、大事があるのかも知れず。
 これでいい、と答えが出てしまえば、あっけなく壊れてしまうものなのかもしれません。



 人は一人で生まれ、一人で死んでいくもの。
 何を持ってこられるわけでもなく、何を持っていけるわけでもない。

 …死生をそうしたものだと考え、人を遠ざけてきた私でしたが…。





 ネットというものに触れて、色々と考えるようになりました。
 とても私の身に付くものではありませんが…。

 これはこれで良いもの、と。

 そう思えるのですよ。
 本当に。



■今日のニークス

 週末。

 私は、金曜日と土曜日の朝はもう長いこと…フレさんとの約束を入れています。
 約束と言っても、そこに明確な時間の決まりはなく、『この時間くらいに』という程度のものです。
 これは、アークスシップで過ごした年月が積み重なった分だけ、それぞれの現実での時間との折り合いの付け方が変わってしまったため。
 こうした変化は…そこかしこに見られます。
 思えば、もう何年になるでしょう?
 学校を卒業して社会に出た人もいます。
 子供が生まれ、育児に追われている人もいます。
 時間が曖昧であるのは、そうした変化を受け入れたからこそ。
 多少の遅れでも『この時間くらいに』の範囲の内なのです。
 
 それでも、たまに遅れておいでになったフレさんは『すみません』と、謝罪の言葉を口になさいます。
 対して私は『お気になさらず』と返しますが…。
 これは、礼儀の上で必要ともされる受け答え。
 どれだけ親しかろうが、引くべき線です。
 それを大事にしようという、フレさんの在り方には好感を覚えます。

 …ただ。

 そこに、どんな線を引いているのか。
 それが気になった鈴蘭です。

 線を明確な形にしなければ、礼儀としては成り立ちません。
 しかし、それは…謝罪する側と謝罪を受ける側で違って見えているのかも知れません。
 形にする上で、どんな気持ちで線を引いたものなのか。
 案外、それは曖昧なのかもしれないのです。

 皆さんの場合はどうでしょう?
 謝罪を受け入れ、『お気になさらず』と線を引くとき…どんな気持ちでいるのでしょう?

 私の場合…。



 強いて言えば『ありがとう』でしょうか。



 映画に行くなり食事に行くなり遊びに行くなり…何かしらの約束があるとして。
 予定の時間に遅れることは、誰かしらへの迷惑になります。
 そうした迷惑は…私も無論、嫌うものではあるのですが…。
 一方で、私個人の事に限って言えば、そうした迷惑は迷惑とは思っていなかったりします。

 約束をした時点で、私は約束をした相手の為に時間を使うと決めたのです。
 遅れることで、予定がずれる、狂う…と、怒る人はいます。
 それも当然のこととは思います。
 ですが…私にとっては『相手を待つ』のも、その約束の内のこと。



 場を整えて。
 お茶を準備して。
 一人席に着いて。
 いつ来てもいいようにしたところで、一息。
 落ち着いたところで、持ってきた本を取り出し読み進め…。

 …。

 ふと時計を見遣り…『もしかして都合が悪かったかな』と。
 約束の時間が終わったことを確認したところで、一息。
 一人席を立って。
 お茶を片付けて。
 場を整えて。

 『では、また明日』と、お暇する。



 極端な話…これでも私は十分です。
 …変、ですか?
 私にとっての約束とは…こうしたものでもあるのです。
 時間を無駄にしている?
 いえ…私には、そうとも思えません。

 約束した相手が、その場にいなくとも。
 そこに相手の気遣いがあると思えば、待つことは別に無駄ではないでしょう。
 私にとっては、単純に『待つこと』が『価値を減じること』に繋がるわけではありません。
 むしろ、約束をしたことで、こうして時間を楽しむ機会が与えられたのです。
 ただ一人で過ごすより、よほど有意義ではないか…とも思えます。

 この辺りは、私の…時間や相手に対する捉え方の問題で…。
 言葉にするのが難しく、分かっては貰えないかも知れません。
 説明しようと考えれば考えるほど、違うものになるようにも感じますから。



 相手の『すみません』の謝罪の言葉に。
 私が『お気になさらず』と返す。
 それは『遅れたことを気に病まないでもいい』という以上に。
 諸々を含めた『ありがとう』という…そんな気持ちがある。 

 改めて書く機会があれば、書いてもみたいものですが…。
 取り敢えず、今はそれだけを。



 私が遅れたり、忘れたりしたときは…気が気ではないのですけどね;

独り言 その壱千参百壱拾四

 大きいだけの鈴蘭です。

 昨日の『皇国の守護者』ですが…。
 絶版が発表された途端、古本屋で売値が高騰。
 発表前に全5巻セット1,000円だったものが、発表後には10,000円ほどになったそうです。

 …なんというか…;

 無くなって初めて、自分がそれをどれだけ大事に思っていたかに気が付く…というところでしょうか。
 まぁ、私自身…日常の大事なものに無頓着なので耳の痛い話ではあります。
 ただ…うん…。
 そうして評価できるものなのに、絶版になったのは何故なのか。
 それを思うと…なんというか、悲しい気持ちにもなる鈴蘭です。

 好きなもの。
 大事なもの。

 それらが当たり前にある有り難さ。
 多くの人がそれを忘れてしまったからこそ、それは消えなければならなくなったのではないでしょうか。

 良いものを変わらず愛し続けていれば、もしかしたら…。

 …まぁ、これは本当に…最近の私には身につまされる感覚です。
 当たり前と思って、扱いが雑になってはいないだろうか…と。
 ただでさえ、気遣いの出来ていない私のこと。
 せめてもう少し、ちゃんとしなければ…と、思う毎日です。



 大事なものに無頓着な人間は、自分の大事なものを失うだけではなく。
 身の周りの心の中から、自分自身をも失わせることになるでしょう。

 自分が、大事なものをどう扱うのか。
 
 皆、見ているのです。
 人だけではなく、その手にしているものも…。



■今日のニークス




 最近、ちょくちょく動画を見るようになった、裏切りマンキーコングの西澤さんも入ってますね、このチーム…。

 西澤さんのスプラトゥーンの動画は参考にする部分もありますが…。
 上手い人が上手い人の視点で実況解説しており、私にような初心者がそのまま受け止めるにはハードルの高いものも少なくありません。
 『この武器は強い!』
 …そう言われても、誰が使っても強いという訳ではなく、それだけ使いこなせる腕があってこそ…という。
 自称『芸能界イチの下手クソ』という相方の風次さん(それでも私より上手いですが;)と二人で、フィールドの解説してる動画は為になったのですけどね。

 YouTubeでtaketoさんという方だったと思うのですが、初心者の対戦を観戦モード(そういうのかな?)で俯瞰しながら、『この状況ではこっちから打開するのが良いのですが…このレベル帯だと正面からの撃ち合いばかりですね…』といったポイントを解説していた動画は、普段は意識しようとも意識できていない全体の戦況を見ながらのものだったので、個人的に非常に良かったのですが…意外とそういう動画は少ないのですね。

 西澤さんの動画では、技術云々は自分には早いと感じて聞き流し…。
 主に、西澤さんの反射的な声に注目して見ている鈴蘭です。

 『あそこにチャージャー(スナイパー)いるね』
 『(敵が)来てる』

 …そうしたとき、何処の何を見ていたのか。
 それが経験からの予測であれば、今の私には分かりませんが…。
 中には、見るべきところを見ていれば、誰の目にも明らかなものもある訳で。
 そうした、見落とすべきではないものを、私が見落としてはいないか…それを確認しながら見ています。
 
 同じ場所に立っても、私が見ているのは見当違いの場所を見ている…というのは少なくないのですよ、コレが。
 そのために好機を逃してしまったことは、一度や二度ではありません。
 
 必ずしも、全ての戦いに勝つ必要はありませんが。
 負けるべきでは無い戦いに負けないことが大事…と教えられました。

 その為に、何をもって『負けるべきでは無い』としているのか。
 …それを動画の中から探しています。
 究極的には、画面全体を常に気を配ることになるでしょうが…。
 見るべきポイントというものも、あることでしょうから。



 …正直、動画の見方としてはどうなんだろうと思わなくもないのですけどね;
 こうした動画を見る時、『これを注意すべき』みたいな上手な見方ってあるんでしょうか?



 今週は三連休。
 基本練習と実戦はもちろんですが。
 また色々、動画を探して見てみましょうかな…。

独り言 その壱千参百壱拾参

 大きいだけの鈴蘭です。



 …あら。

 残念なニュースですね…;
 伊藤悠さんの漫画は個人的に気に入っており…かつ、佐藤大輔さんが著した『皇国の守護者』を漫画化したものは、ここ数年、あまり漫画を読まなくなった私が、『これは面白い』と思って買い続けていたシリーズなのですが…。

 原作の小説版『皇国の守護者』は全9巻。
 漫画は全5巻が出版されており、内容的には原作の2巻途中までが描かれています。
 密かに、続刊が出てくれないものかと期待していたのですが…。
 そうですか、絶版ですか…;

 しかし、なんでしょう。
 『決まったことは事実だけど、詳細はお答えできない』というのは、当たり前と言えば当たり前のことですが、ファンとしては複雑です。
 やっぱり、原作者が亡くなった事が影響してるんでしょうかね…?



 いや、本当に惜しい話です…これは; 



■今日のニークス

 今日は火曜日。
 最近は、この日は仕事明けに『スプラトゥーン2』の実地での練習をしている鈴蘭です。
 お誘い頂いての実戦。
 こうした機会がもっとあれば…とも思ってしまいますが。
 その望みは、今の私には早いでしょう。

 …実のところ。

 一緒に遊んでもらっている方との実力差が、天地ほども離れているため、釣り合いというものが取れていません。
 私にとって、そうした方とご一緒するのは良い刺激になりますが…。
 いくら良い刺激であっても、私がそれを消化出来なければ、逆効果にもなってしまいます。
 一緒に遊べる時間が減るのは寂しくもありますが、時間を区切り、私が自分で意味を考えるインターバルは必要です。
 特に…私は要領が悪いですしね;

 これは例になっているか…ちょっと疑問ですが。

 小さいお子さんの居るご家庭では、仔犬を飼うときの注意点として『構い過ぎない』ことが挙げられます。
 仔犬は構ってやると休むことなく限界を超えて遊んでしまうため、体調を崩したり…最悪の場合は死んでしまうこともあるのです。
 可愛いのはわかりますが、仔犬を大事に思うのであれば…敢えて構わない事も優しさなのですね。
 それが、仔犬のペースを守ることに繋がるのですから。

 私などは、仔犬に例えられるような可愛げのある存在ではありませんが…。
 私のキャパシティを超えて一度に詰め込んだところで、覚えきれるものではありません。
 迂遠なことではありますが…私のペースを守ることも大事であって。
 一見、進みの遅い方法にも見えても、コレが一番の近道なのだと思います。



 以前は、何をどうするのか…こうしたゲームにおける基本的なこともサッパリで。
 自分の行動の意味するところも、全く理解していませんでした。
 極端な話、私にしてみれば『水は低いところから高いところに向かって流れるものです』と言われれば、『ははぁ…そういうものなんですね』と、ありえないことであっても受け入れてしまう状態でしたから。
 何が良くて、何が悪いのか。
 それを判断する為の下地が無かったのです。

 …いえ、過去形で語るにはまだ早いでしょうか。

 最近、スプラトゥーンを一緒に遊んでいても、スカイプ上ではずっと無言の鈴蘭でした。
 元々の口下手…というのもありますが。
 ゲームの中でアレコレ考えて『はて、今のは…』と思って、キーボードに手を伸ばし…。
 『ああ、いや、そうか…』と思い直して、手を引っ込める…ということを繰り返していた為で。
 能のある人なら、軽口の一つも言って雰囲気でも作るのでしょうが…。
 今の私には、そこまでの気が回りません;
 …いえ。
 そこで申し訳なく思うことの方が、相手に失礼でしょうね。
 そんな事に気を遣う暇があったら本来の目的に集中しろ、という。

 何しろ、私にとっての今の時間は。
 遊ぶための時間であるとともに。
 学ぶための時間でもあるのですから。



 …しかし、学ぶ…ですか。
 こうしたとき、よく戦術、戦略などと言いますが。
 私もシュミレーションゲームを好んで遊んでいたこともあって、こうした言葉には多少の理解はあるつもりです。
 ただ、私の好んで遊んできたゲームでは『相手を圧倒する戦力を、いかに整えるか』という戦略の部分に重きを置いてきました。
 私という人間は、武将ステータスで言えば…内政に振り切った、戦闘力はゴミの文官タイプなのです。

 ここでスプラトゥーンに話を戻すと…。

 時間をかけて実際のマップを歩き回り、要所を見付けて『此処は押さえるべき』という方針は、私でもある程度は立てられます。
 防衛線を引くなら、このライン。
 あの高台を取れば、相手にプレッシャーをかけられそう。
 相手の進行ルートはここが定石だろうか…等々。

 問題は…。

 では、それらの要素をを結びつけて、『どのようにして戦法として実現させるか』を私が理解していないこと。
 私は『あの場所は戦略的に重要な要衝である。如何なる犠牲を払ってでも守るのだ!!』…と、どこぞのスターリングラードでの攻防を思わせる、勢いだけの無責任な指揮官そのもの。
 兵士にろくに武器も渡さず、『とにかく突撃!』と繰り返すだけの存在です。

 まぁ、比喩ではなく実際そうなのですよね、私は;

 事前に知恵をつけて準備しても、その場に立つと忘れてしまい…。
 結局、やろうとしたことをロクに出来ないまま、相手に突っかかって負けてしまう。
 そんなことが多いのです。

 ただ、最近ようやく場の雰囲気に慣れてきたようで…。
 舞い上がってしまうことなく、徐々にですが敵味方の動作が見えるようになってきました。
 お陰で、『あれを見ている』『あっちに行きそう』…自分の中の経験から、次の行動の予測が立つようになってきました。
 経験の絶対量が少ないので、外したりすることの方が多いのですが…。
 それでも、ようやく…なのです。
 他人の動きを見て、自分の動きと照らし合わせ…。
 その差から、今の私には理解できない疑問点を見つけられるようになったのは。

 これまでは、自分が分かっていないことも分かっていない、という状態で。
 実戦の主眼は、あくまでも自分自身の技量を上げる…自分が狙ったところに当てられるようにする…というもの。
 標的を相手に繰り返し練習していたものを、実戦でなぞるだけでした。

 そこから一歩前進…したようなしていないような…?

 前進した…という自信は持てない鈴蘭です。
 何分、マルチタスクが苦手な私の事。
 一歩進んでやることが増えると、途端に今まで出来ていたことの精度が下がってしまいます。
 案の定、今回の実戦では、他のことに気を取られてしまい…最近安定してきていたキル数が、大きく減ってしまう結果になりました。

 しかし、これからを思えば、幾つものことを同時並行に出来るようにならねばなりません。
 少しずつ、出来ることを増やす。
 それがようやく始まった…のだと思います。



 ここにきて、やっと疑問に思ったことを口にできるようになってきた訳ですが…。
 まぁ、あれです。
 『あれってどういう事なんでしょ?』と尋ね。
 『状況次第ですが…』と前置きの一言があったところで察します。
 私は、その場に立っている時に想定している戦況の分析量が、まだまだ少ないのだ、と。

 本当に、ようやく。

 自分が分かっていないことが分かるようになったようです;



 先は長そうですが…それだけに遣り甲斐もあろうというもの。
 こうしたことを気付かせてくれて…感謝の言葉もありません。

独り言 その壱千参百壱拾弐

 大きいだけの鈴蘭です。




 おー、シリーズ最高記録を突破ですか…。

 人気ありますねぇ…。
 週末夜にはアークスのフレさん達も、マイルームに集まって狩りをしているのを見かけます。
 フレさんに何故そんなことをするのかと聞いたところ…『モンハンはチャットが面倒で、コミュニケーションを取りたいときはPSO2を利用している』から、なのだそうです。

 …色々あるんですね;

 しかし、面白いものです。
 インターネットを介して、実際に子どもたちが友達の家に集まるようにして、ゲームを持ち寄って遊ぶ。
 時代が進んで、物が変わっても、人の行動は変わらないのだな…と。
 今の時代にテーブルトークRPGが流行しているというのも、きっと同じ脈絡なのでしょうね。

 ほんと…世の中は何がどうなるのか…私ごときには分からないものです。

 ゲームそのものよりも。
 むしろ、そうした人を見るのが楽しくもあり。
 PSO2やアズールレーンに私が惹かれるのも、多くの人の言葉を目にすることが出来るから…なのかもしれません。



■考えすぎ?

 『知己』という言葉をご存知でしょうか。

 日常会話で頻繁に使うような言葉ではありませんし、馴染みは薄いかもしれませんが…。
 少し畏まった文章などで目にすることもあるかと思います。

 辞書を引いてみると…。

 1 自分のことをよく理解してくれている人。親友。「この世に二人とない知己を得る」
 2 知り合い。知人。「知己を頼って上京する」
                 【出典:デジタル大辞泉(小学館)


 …このように書かれています。

 この1にある『自分のことをよく理解してくれている人』という部分には、謂れがあり…。
 本来『知己』という言葉は、かつて豫譲(よじょう)という人が口にした言葉が元となった故事であったりします。

 この豫譲は、古代中国…春秋戦国時代の人で。
 晋の国に生まれ、范氏、中行氏という人たちに仕えましたが冷遇され出奔、後に智伯という人に高く評価されて重く用いられることになりました。

 しかし…。

 晋の智伯は宿敵の趙襄子を滅ぼすべく、韓氏・魏氏を従え趙襄子の居城である晋陽を攻撃した。三氏の連合軍に包囲された趙襄子は二人の腹心を秘かに韓氏、魏氏の陣営に赴かせて韓氏と魏氏を連合から離反させて味方につけた。
 韓氏と魏氏の裏切りにあった智伯は敗死し、智氏はここで滅ぼされた(紀元前453年)。
 趙襄子は智伯に対して積年の遺恨を持っていたために、智伯の頭蓋骨に漆を塗り、酒盃として酒宴の席で披露した(厠用の器として曝したという説もある)。



 戦いに参加していた豫譲は、山奥に逃げ延びて難を逃れましたが、趙襄子の行いを知ると『士は己を知るものの為に死す』と述べ、復讐を誓ったのだそうです。

 この豫譲の言葉が『知己』の語源となりました。

 ただ、この言葉だけでは『知己』という故事は生まれはしなかったでしょう。
 …少し長くなりますが、その後の豫譲についてのお話があります。



 左官に扮して晋陽に潜伏していた豫譲は、趙襄子の館に厠番として潜入し暗殺の機会をうかがったが、挙動不審なのを怪しまれ捕らえられた。
 側近は処刑する事を薦めたが、趙襄子は「智伯が滅んだというのに一人仇を討とうとするのは立派である」と、豫譲の忠誠心を誉め称えて釈放した。

 釈放された豫譲だが復讐をあきらめず、顔や体に漆を塗ってらい病患者を装い、炭を飲んで喉を潰し声色を変えて、さらに改名して乞食に身をやつし、再び趙襄子を狙った。
 その変わり様に道ですれ違った妻子ですら豫譲とは気付かなかったという。
 たまたま旧友の家に物乞いに訪れた所、旧友は彼を見てその仕草ですぐに見破った。
 旧友は「君程の才能の持ち主であれば、趙襄子に召抱えられてもおかしくない。そうすれば目的も容易く達成できるのに何故遠回りなことをするのだ?」と問うた。
 それに対して豫譲は「それでは初めから二心を持って仕えることになり士としてそれは出来ない。確かに私のやり方では目的を果たすのは難しいだろう。だが私は自分自身の生き様を持って後世、士の道に背く者への戒めにするのだ。」と答えた。

 やがて、豫譲はある橋のたもとに待ち伏せて趙襄子の暗殺を狙ったものの、通りかかった趙襄子の馬が殺気に怯えた為に見破られ捕らえられてしまった。
 趙襄子は「そなたはその昔に范氏と中行氏に仕えたが、両氏とも智伯に滅ぼされた。だが、その智伯に仕え范氏と中行氏の仇は討とうとしなかった。何故、智伯の為だけにそこまでして仇を討とうとするのだ?」と問うた。
 豫譲は、「范氏と中行氏の扱いはあくまで人並であったので、私も人並の働きで報いた。智伯は私を国士として遇してくれたので、国士としてこれに報いるのみである。」と答えた。
 豫譲の執念と覚悟を恐れた趙襄子は、さすがに今度は許さなかった。
 「豫譲よ。そなたの覚悟は立派だ。今度ばかりは許すわけには行かぬ。覚悟してもらおう。」
 趙襄子の配下が豫譲を斬る為に取り囲むと豫譲は趙襄子に向かって静かに語りかけた。
 「君臣の関係は『名君は人の美を蔽い隠さずに、忠臣は名に死するの節義がある』(賢明で優れた君主は人の美点・善行を隠さない、主人に忠実な家臣は節義を貫いて死を遂げる義務がある。)と聞いています。以前、あなた様が私を寛大な気持ちでお許しになったことで、天下はあなた様を賞賛している。私も潔くあなた様からの処罰を受けましょう。…ですが、出来ることでしたら、あなた様の衣服を賜りたい。それを斬って智伯の無念を晴らしたいと思います。」
 趙襄子はこれを承諾し豫譲に衣服を与えた。豫譲はそれを気合いの叫びと共に三回切りつけ、「これでやっと智伯に顔向けが出来る。」と満足気に言い終わると、剣に伏せて自らの体を貫いて自決した。
 趙襄子も豫譲の死に涙を流して「豫譲こそ、またとない真の壮士である。」とその死を惜しんだという。
 この逸話は趙全体に広まり、豫譲は趙の人々に愛されたといわれる。
       【Wikipedia:『豫譲』より】




 かつて明治維新の折、志士が自分の命を捨てて働いてもよいと考えるとき、『死は鴻毛よりも軽し』と表現したそうです。
 これは『自分の命は鴻(おおとり)のとても軽い羽毛よりも軽いのだ』と言っているのですが…。

 豫譲の逸話は、司馬遷が著した『史記』において取り上げられており。
 司馬遷は豫譲の生き方に対して『入固より一死あり、或いは泰山よりも重く、或いは、鴻毛よりも軽きは、用の趨く所の異なればなり(人間の命は、場合によっては重大な意味があるし、事の赴くところによれば、とても軽いことがある)』と述懐したそうで…志士の言葉は、ここから来ているとされています。

 そう。

 命の重さを知るからこそ。
 事の重さを知るからこそ。

 それを弁えて、なお。

 実際に行動した豫譲の言葉であるから、『知己』は故事となったのです。

 逆に…命の重さを知らず、事の重さを知らないのでは。
 どれだけの言葉を重ねようとも。
 どれだけの行動をしようとも。
 それは、『軽い』のです。
 『成すべきことの前には命は軽い』という…その決意が『軽い』のですね。

 豫譲がそうした人であったのなら、今の世に『知己』という言葉は残っていなかったでしょう。



 豫譲を思い。
 私という人間を振り返った時…。

 私は、いかに足りないのか。
 私は、どれほど軽いのか。

 …それを強く感じるのです。

独り言

 大きいだけの鈴蘭です。

 改めて、ここしばらくの独り言を見返してみて…。

 最近のことをまとめるつもりで、結局、その時その時に思いついたことを適当に書いていたため、同じ事柄を扱いながら、全くまとまりのないものになってしまいました。
 言葉が軽く…内容も薄くなってきていると思っていたところで、こうしたものを書いてしまい。
 これではいけない。
 どうしようか…と考えて。

 自分なりに整理してみた結果…今回の形に。

 改めて、ここに書く必要があるものか、と言われると…よく分かりません。
 しかし、言葉にして書くことで、自分自身が見えていなかったものが見えてくることもあります。
 形の無いままで良いと思って、形のあるものまで見えなくなってしまっていた私。
 先日の『助長』の故事を見て…思い出したのです。

 私のしたかったことが何であったのかを。

 好きな人に馬鹿にされるのは、しょうがないと思います。
 私に足りないものが多いのは事実ですから。
 しかし…。
 好きな人に軽蔑されるのは、悔しいことと思います。
 それは、私がすべきことを怠った結果なのですから。



 鳥にとっての、良い止まり木。



 そうありたいと思い…。
 そして、それを理由に停滞した…努力を怠った私の顛末です。








 アークスを始めて、そろそろ丸6年。

 3年ひと昔…なんて言いますが。

 ふた昔が過ぎ去る時間は、驚くほどに速く。

 この6年は本当にあっという間でした。

 …いえ。

 私にとってはあっという間でしたが。

 皆さんにとっては、どうだったのでしょう…?



 もう数年前のことになりますか。

 『ヘタレ克服』と言いながら、ACカードを投げてくれた方と出会ったのは。

 そのおかしな物言いは、今も深く印象に残っています。

 口にはしませんでしたが…ACカードの内容と、その言動から何かの傷を抱えているのかも、と感じ。

 その時の私は、傷ついた小鳥を拾った心持ち…とでも言えばいいでしょうか。

 心配…同情。

 そこに、そうした気持ちがあったのは事実です。

 …しかし、実際のところ。

 時間をご一緒する中で、小鳥と思っていたその方は、立派な翼を持っていることを知り。

 この鳥に心配や同情などとんでもないことで。

 むしろ、救われているのは私のほう。

 この鳥は…その気になれば、きっと空高く舞い上がれるのだろうと確信しました。

 ただ…もしかすると、『何かの傷』を理由に飛ぶことを嫌がっているのかもしれません。

 しかし、鳥は空を飛ぶために生まれるもの。

 きっと遠からず、在るべき場所に帰ることになるはずです。

 ならば、それまでの時間を私なりに大事にしよう。

 …それが、私が最初に決めたことでした。



 それから程なくしてのこと。

 比翼の鳥…などといいますが。 

 そんな言葉に相応しい、価値観を共有できるパートナーを見付けたようで。 

 お互い、いい相方を見付けられて良かった…と。

 その出会いを、素直に喜んだものでした。



 それからというもの。

 鳥たちの、空の話を聞かせてくれる時間、空の景色を垣間見える時間は、私にとっての楽しみとなりました。

 私も一度は憧れた空のこと。

 もっと聞かせて欲しい、見せて欲しい…とも思います。

 何しろ私は、鳥たちの飛んでいる空のことを何も知りませんから。

 ですが…。

 空を飛ぶということは。

 鳥が鳥であるということは。

 私が考えている以上に大変なことなのかもしれず…。

 いっとき、鳥である辛さを忘れたいと思っているのに。
 
 ここで私が鳥であることを求めるのは、気の毒かもしれない…と思うようになりました。

 でも、私には鳥たちを助けられるような知恵はありませんし、安らぎを与えられるような包容力もありません。

 だったらせめて。

 羽根を伸ばす、なんて言葉があるように。

 鳥たちには、好きなことが出来る時間を送ってほしい…と望むようになったのです。



 …しかし、そう望んではみたものの。

 では、私は何をすれば良いのか。

 そもそも、そこに私など必要ないのではないか…と、途方に暮れたこともありました。

 でも…。

 悩むうちに思うようになったのです。

 私が異分子として居ることに意味があるのではないか、と。

 鳥たちには理解し難い、不条理なことを考える私であるからこそ。

 私を通して、見るべきものが鳥たちには見えているのかもしれない。

 ならば、鳥たちと一緒に居るために、私は鳥とは違う異分子でいよう。

 鳥そのものではなく…止まり木のようなものに。

 …それが、私が2つめに決めたことでした。



 それからは色々とありました。

 考え深い二羽の鳥でしたが…。

 トラブルによって、溝ができたこともありました。

 距離が離れてしまったこともありました。



 正直、大事にしようと決めた私自身が不甲斐なく。

 そうしたときに、私はただの傍観者でしかありませんでした。

 いえ…むしろ、私が鳥たちを傷つけてしまったかもしれません。

 或いは、私が鳥たちの悩みを深くしてしまったかもしれません。

 鳥たちにしてみれば、そんな私が鳥たちを大事にしているとは思えなかったことでしょう。

 それが、今も私の中に後悔として残っています。

 …いえ…。

 それは思い上がりというものでしょうね。

 何しろ私は、そもそも鳥のなんたるかを知らないのです。

 さも知っているかのように振る舞うのは、不実というものでしょう。

 知らないのであれば、鳥たちに聞けばいいことなのかもしれません。

 しかし…私は、下劣な存在です。

 それでは、きっと私の無思慮が鳥たちを傷つけてしまいます。

 過ぎた卑下と受け止められ、鼻につくと思われるかもしれませんが…。

 私というものの出発点にある事実であり。

 本当に…こればかりは容易に変えられないのです。

 そんな恐れを感じた私は、どうすべきかを考え。

 聞き出すのではなく。

 話してくれるのを待つ。

 距離を詰めるのではなく。

 距離を詰めてくれるのを待つ。

 …そんな方法を選んだのです。

 いえ…選んだ、というのは嘘ですね。

 なんの事はありません。

 それは結局『いつもの私』だっただけの事なのですから。

 そうして生まれた時間は、鳥たちにとってはどんなものだったのでしょうね。

 結局、こんなものは私の思い込みに過ぎず。

 鳥たちの求めているものとは、かけ離れたものだったかもしれません。

 私が距離を詰めないという姿勢は。

 立場を変えて、鳥たちから見れば…。

 それは拒絶にも見えたことでしょうから。 



 鳥を寄せ付けない止まり木。



 そんなものになるつもりは無かったのですが…。

 気が付いたときには…いつの間にか、私はそんなものになってしまっていました。

 時間を大事にしよう、羽根を伸ばしてもらおう…それだというのに、これでは本末転倒もいいところ。

 やはり私には分不相応の、向いていないことをしようとしてしまったか…と。

 そんな思いが頭に浮かび。

 鳥たちに暇を乞い、ここを去るべきかを迷うようになりました。

 …それでは本当の解決にならないのは承知しています。

 ただ…楽しみに来ている場所に、楽しみ以外のことで時間を使わせてしまうことにもなりかねないのです。

 ここで取り除いてしまうのも、一つの手ではないでしょうか?



 …などと考えていた、その矢先に私の勘違いがあり…。

 先日の、独り言の紆余曲折へと繋がったのです。








 私の何かを認めてくれる限り。
 私は、それに応えたいと思います。

 ただ…それは人の普通とは違うかもしれません。

 目の悪い私には、空高く飛ぶ鳥の姿を見ることは出来ません。
 ですが、たとえ姿は見えなくとも…空を飛んでいるであろう姿を想像すると、嬉しくなります。
 あの時に始まった時間は、何処かで今もきっと続いている…そう思えますから。
 私にとっては、相手を目の前にしなくとも時間を共にすることは出来るのです。
 『待つ』という時間も、私にとっては楽しみなのです。

 これは、ただの自己満足に過ぎない…と思われるでしょうか?

 そうかもしれません。
 でも…鳥を待つ止まり木の気持ちというものは、こうしたものではないか…などと思う鈴蘭ですから。



 止まり木としてもなっていない私が何を、という話ですが;
 でも、こうした形は…そもそもが可怪しいのでしょうか…?

 これが相手の望む形であるのか…いつも私は不安を感じています。

独り言 その壱千参百壱拾壱

 大きいだけの鈴蘭です。



 春の嵐…。



 いやぁ…。



 大変でした…。



 昨日の夜半に吹き荒れた暴風。
 嵐の夜が明けて目覚めた街は、その後始末に追われることとなりました。
 関西では、JRの各線で運転の見合わせが相次ぎ…。
 私の職場に通じる唯一の路線である『ゆめ咲線』も不通に。
 なんでも、風に飛ばされたビニールが架線に絡みつき、送電できない状況にあったそうで。
 退勤時間になって、ネットで情報を確認すれば…『復旧の見込みなし』の文字が…。

 川に囲まれた陸の孤島であるココは、橋を渡らねば帰れません。
 この橋が意外と少なく…電車が最短ルートで帰る手段だったのですが…。
 こうなっては、やむを得ません。
 歩いて渡れる橋を使っては、環状線の最寄り駅まで小一時間は掛かってしまいますし…。
 普段は使わない市バスに乗り、川向こうまで。

 そして、駅に着いてみれば…。

 そこはユニバーサルスタジオに向かおうという中国人観光客で一杯でした。
 いや、もう…なんでしょうね、この光景は…。
 喧騒の殆どは中国語と思しきもので、とても日本の光景とは思えません。
 一体どこの国の朝なんでしょうか、と。

 っと…。

 呆然と突っ立っていたところで、状況は変わりません。
 ともあれ、駅には着けたのですし、あとは電車を待てばいいだけ…。
 そう思って、人ごみを縫って改札に。

  駅員『ウェイト! ウェイト!』

 ところが、改札の前で必死の形相の駅員に押し止められました。
 ええっと…日本語でどうぞ?

  駅員『お客様はご乗車になれません!』
 
 トナカイは電車に乗れんか。
 …ではなく。
 どうやらホームに電車待ちの人が溢れているらしく、入場制限を行っている様子。
 電車が動いていない訳では無いようですが…。
 私が帰る方に向かう電車には乗せられない、と。
 混乱が落ち着けば、入場させてもらえると言われたものの…。
 周りの人ごみは尋常ではありません。
 これでは、いつになったら乗れるか分かりませんね;

 んー…。

 少し考え。
 人でごった返すJRの駅を出て、何故か対照的にひっそりとしている隣の阪神電車の駅へ。
 塒からは少し遠くになりますが、難波まではこれで行ける筈。
 ここが止まっていたら、お手上げです。
 以前…暇に任せて、ここから大阪城まで歩いたこともありましたっけね…。

 幸い、阪神電車は強風の影響がなかったようで…スムーズに目的地まで行くことが出来ました。

 いやいや…。
 まさか、こんな形で強制的に散歩をすることになるとは思っていませんでした;
 ただ…まぁ、風情のある場所を通ったわけでもありませんが。
 冬の終わり、春の始まり。
 人や街の、その様子を見ることが出来ました。

 これはこれで楽しいものでしたし…。
 たまのハプニングに感謝しましょうかな。



■今日のニークス




【3月1日 AFP】米アリゾナ州立大学(Arizona State University)などの天文学者チームは28日、宇宙がビッグバン(Big Bang)で誕生した直後に生まれた宇宙最古の星々「ファーストスター」に由来する電波を、史上初めて検出したと発表した。この観測結果に科学界は騒然となっている。

 ファーストスターの痕跡検出に向けた取り組みは10年前から続けられてきたが、実際に観測できるのはまだ何年も先になると予想されていた。観測結果は今後、別の実験によって裏づけられる必要があるが、一部からは既に、ノーベル賞を受賞した2015年の重力波検出以降で最大級の天文学的発見だとの声も上がっている。

 今回の発見は、宇宙の大部分を構成すると考えられている謎の透明物質「暗黒物質(ダークマター)」の謎を解明する手がかりとなることも期待されている。

 検出されたのは、今から136億年前、ビッグバンによる宇宙誕生からわずか1億8000万年後にすでに活動を始めていたファーストスターの痕跡で、オーストラリアの砂漠に設置されたダイニングテーブルほどの大きさの電波分光計により観測された。

 この電波には、誰もが驚き、歓喜するような興味深い情報が含まれていた。英科学誌ネイチャー(Nature)に掲載された論文によると、初期宇宙の温度がマイナス270度と、これまで推定されていたより2倍も低温だったとみられることが、観測データから判明したのだ。



 宇宙の歴史はビックバンから始まったとされています。
 これは、宇宙が膨張し続けている事実から、そのベクトルを逆算し…ある一点に全てが収束することから、とされていますが。
 では、ビッグバンが起きる前の宇宙はどんなものであったのか。
 何故ビックバンが起きたのか。
 それらについては、未だに分かっていません。 

 …というか…そもそも、人類は宇宙について殆ど何も知りません。
 人類が観測して把握している宇宙の構成物質は、全体の1割にも満たないとも言われます。
 残りの9割以上は、『暗黒物質(ダークマター)』や『暗黒エネルギー』と呼ばれる…質量を持って存在はしているが、人の目には見えない謎の物質…で占められています。
 宇宙の謎を解明するには、この『暗黒物質』を解明する必要があるのですが…。
 理論上あることは間違いないのですが、何しろ光学的な観測ができないので、解明しようにも手掛かりがないのです。

 『暗黒物質』

 名前の響きから、ファンタジーの中の存在であるようにも思えますが…。
 ファンタジー以上にファンタジーな、現実のお話です。 



 今回の『ファーストスター』発見は、その端緒を掴むもの…なのだそうです。
 何故そうなのかは、素人には分かりません;
 分かりません…けど、この『ファーストスター』の想像図見ると…。
 アークスが毎日のように世界の終わりから救っている、惑星オメガよりもファンタジーな姿をしているような…。

 自然の美しさというものは…いつも人間の想像力を超える、ということでしょうかね;



 かつて、未来のお話として『2010年宇宙の旅』というものがありました。
 今年は2018年。
 未来のお話が過去のものとなって8年が過ぎています。
 …しかし、宇宙は私のような庶民にとって、未だに遠い世界のお話のまま。
 仮想の世界での旅が身近になったことが、せめてもの救いでしょうか。

 『ファーストスター』…いかにもアークスが行きそうな星。

 いつか、私たちも行くことが出来る日が来る…のでしょうか…。
 『現実を超える』と謳うPSO2に期待したいところです。

独り言 その壱千参百壱拾

 大きいだけの鈴蘭です。




 …春の嵐…。
 そうですか…もう、春なんですねぇ…;

 先日、大雪の心配をしたばかりの筈ですが…。
 思えば、もう明日には3月になるんですね。

 桜の季節は、すぐそこです。

 寒さに背を丸め、下ばかり見ていた私なので…。
 春を前に、身繕いを始めた桜の蕾に気が付きませんでした。

 季節が変わろうとする、この時期だからこその美しさが、そこにあるというのに…。
 勿体無い事をしていますね、私は;



■今日のニークス

 アズールレーンでは、イベントが開催されています。
 アークスのそれと同じく、期間限定のドロップが設定されたマップが配信され、プレイヤーは各々でレア獲得を目指して掘りに励むのです。

 ただ、一つ…PSO2との違いを挙げるとすれば…。




 ランキングの存在でしょうか。

 これは、イベントマップの攻略によってプレイヤーが貰ったポイントを、ランキングとして視覚化したもので。
 誰がどれだけ攻略を進めているのかが、ほぼリアルタイムで分かります。

 しかし、ただ視覚化しただけで…これに名前が載ったからといって、ゲームシステム的に何らかの特典があるわけでもありません。
 せいぜい、『私はこれだけ回ったぞ!』とアピールするくらい。

 それは、ごくごく細やかな名誉…。

 …いえ、人に誇るようなものでもないので…各々の道標のようなもの、と思う鈴蘭です。
 自分はココまで出来るのだ…という、一つの目安。
 そう捉えた私は、普段はこうしたランキング化されるイベントに参加する事は無いのですが…。
 たまには、行けるところまで行ってみようか…と。
 頂きの見えない山を登り始めました。

 折角、いろいろ教わったところで…それが私の中で活きているものか、示す手段が乏しいのがアズールレーンというゲームです。
 …って、別に示すものでもないのかもですが;

 ただ、まぁ…。

 ここをご覧下さっている方であれば、よく分かることだと思いますが…。
 私という人間は、物事を整理し、その重要性を見定めて優先順位を付け、筋道を立てて組み直す…そうした論理的な思考ができません。
 まさに馬鹿が取り繕って無理に背伸びをしている、という感じです。

 そうした人間には、ゲームの攻略…などというものは出来かねます。
 普段から…人が当たり前にしているようなことにも、思い至りませんから。

 そんな私は、ゲームの世界においては居るのか居ないのか、傍目には分からないような存在でしょう。
 『いつも何をしてるんだ?』…そう思われているかもしれませんし。
 『本当に楽しんでるのか?』…そう思われているかもしれません。
 なので、ここで友誼を結んでくださった方に…ログインの履歴以外で『いえいえ…ご無沙汰していますが、なんとかやっています』という私信の一つも出せたら、と。



 今回、こうして山に登ることができて…満足できました。

 …まだ入り口じゃないかって?
 いえいえ…。
 更に先に進むのは、近所に散歩に行くような軽装で冬の山に登るようなもの。
 無理をしては元も子もなくなってしまいます。

 私にとって、挑戦とは遊びの本質です。
 自分の限界の半歩先を目指す…そうした挑戦に、遊びの楽しさがあると思います。
 しかし、一歩も二歩も先を望んで無茶をすることは、挑戦とは呼べず…遊びにはならないようにも。

 楽しみはあるとは思うのですけどね。
 越えられないと分かっていても、自分が何処まで出来るものなのか。
 全力を出しきってみたい、という欲求を満たす楽しさが。

 遊びを取るのか、楽しみを取るのか。
 その塩梅を、私なりに量っているところなのです。



 取り敢えず、土産話の一つも持って帰られそうな場所まで、行ってみましょうかね…。



 より上を目指す為に登るのではなく。
 歩いていたら、いつの間にか上だった…という。
 それが鈴蘭というものでしょうから。

 気の小さい私は数字を見てしまうと、そればかり気にしてしまいますからね;
 それでは、楽しいはずのものも楽しめなくなってしまいます。
 こうして入り口に立つことができたのですし…。
 あとは自分の楽しいと思うことを、出来る限りやっていきたいと思います。