大きいだけの鈴蘭です。
昨日の『ぷよぷよ』といい…。
懐かしいですね。
『ブギーポップ』が出た頃は、電撃文庫もまだ小さく。
本格的に小説を読み始める前の子供に向けて、出版各社がレーベルを立ち上げていたとは言え…角川スニーカー文庫、富士見ファンタジア文庫、徳間ノベルス、ハヤカワ文庫…選べたのは、それくらいだったでしょうか。
今では当たり前となった『ライトノベル』なんて言葉も、まだ無かったように思います。
当時は『グループSNE』が展開する剣と魔法のファンタジー…いわゆる『ソードワールド』の人気が根強く。
ファンタジーというと、『異世界』『中世』『冒険』…そんな定型がありました。
その中に現れた『ブギーポップ』。
手に取った私は、『はて、これは何になるのだろう?』と疑問に思ったのを覚えています。
…思えば、これがライトノベル…それに続く伝奇モノの『はしり』だったのですね。
少し前。
アズールレーンのチャットで、『好きなライトノベルを挙げてけ』みたいな話題になり。
最近のものを全く知らない私は、記憶の中から適当に思い付いたタイトルを挙げてみたのですが…。
話題を振った大学生の方が、突然『うおぉぉおぉ!!』と叫びだしたのですよ。
聞けば『黎明期の聖典じゃないっすか。リアルで読んでたとか感動っす!!』とのこと。
三年一昔と言いますし。
古典と言われるかも…とは思ってましたが、聖典ときましたか;
聖典…ねぇ。
私などからすると、今の現役世代の子達を羨ましくも思います。
私達が子供の頃に憧れていたモノが、もう目の前にある。
かつては望んでも得られなかった楽しさが、簡単に手に出来る。
これからを思うと、なんて恵まれているのだろうか、と。
…でも、それも見方の違い。
何をするにも先達がいる…そうした今を窮屈に思う子供たちからすれば、かつてライトノベルが海のものとも山のものともつかない、胡散臭いものと見られていた時代は、『フロンティア』そのものなのかもしれません。
ただ…。
そうして皆が憧れる『フロンティア』などというものは、いつの時代にもあり、いつの時代にも無いものなのかもしれない…などと思う鈴蘭です。
何故と言って。
其処は、此処とは違う場所に憧れているだけでは、絶対に行けない場所なのですから。
『机、紙、鉛筆。それと私のすべての間違いを受け止めてくれる、大きなくずかご。』
これは、アインシュタインの言葉です。
彼が『フロンティア』に至るのに必要としたものは、紙と鉛筆。
私たちが手にするものと、何ら変わりはありません。
…しかし。
頭の中にあるものを書き出して形にしたいという熱意。
紙と鉛筆を使う意志の力。
それが人より大きかった、という…。
望み、実際に行動した人だからこそ立てる『フロンティア』。
ただ憧れるだけでは…たとえ『フロンティア』に立とうとも、そこには『何もない』と感じるだけでしょうね。
■今日のニークス
今日は火曜日。
『スプラトゥーン2』を遊ぶ日です。
いや、そうじゃなきゃいけない訳ではないのですけど…。
そうでなければならない理由もなく、続いていることの幸せ。
それを喜ぶべきかな、と思っている鈴蘭です。
貴重で、楽しいひと時。
それは、私にとって修練の場でもあります。
以前ほど、対戦していて緊張することはなくなりました。
コントローラーを握りしめる手は、相変わらず冷たくなっていますが…。
それでも、以前に比べれば随分と温かみを保っているのを感じます。
なんだかんだで、少しずつ私もゲームに慣れてきた…ということなのでしょう。
…しかし。
慣れてきたとはいえ、対戦相手との駆け引きを楽しむ…というには程遠く。
勝ち負けを論じることなど、まだまだ先のこと。
私が学ぶべきことは、それこそ山のようにあるのです。
それをよく分かっておられるのでしょう。
漫画などで、弟子入りしたばかりの少年が師匠から『好きなようにかかってこい』と言われて、戸惑うシーンがありますが…。
それさながらに『かかってきてください』と。
練習と言って、これ以上の練習はそうありません。
さっそく有難く…。
などと出来れば、良かったのでしょうが…。
実は、この時の私の戸惑いも、漫画さながらだったりしました。
…というのも。
やはり、こう…よりによって、この人に敵意…というと強いですか。
害意を向ける、というのが…。
レティクルを合わせる瞬間、自分が怯んでいるのが分かりましたから;
それじゃ意味ないじゃないか…と思い直してからは、マシになったものの。
この掛かりの遅さ、切り替えの遅さは…こうしたゲームにおける、私の動きの悪さにも繋がっているようにも。
何をするにも迷いが多く、どっちつかずな行動をしてしまっている事が多いと思うのです。
中途半端に逃げるから逃げ切れず。
中途半端に踏み込むから攻めきれず。
そうして、何度も失敗を繰り返しています。
…こうも失敗し、迷うということは。
きっと、私が相手をちゃんと見ていないから…。
相手の考えはきっとこう…そう思い、信じるだけのものを私が持っていないからなのでしょう。
『人生に失敗がないと、人生を失敗する。』
歌人である
斎藤茂吉の長男、斎藤茂太氏の言葉です。
人生と言うには大げさに過ぎますが。
このゲームにおいて、私は随分と失敗を繰り返しています。
些細なものから、致命的なものまで…無知の為に犯してきた失敗です。
失敗など、しないに越したことはないかも知れません。
でもそれらは、私にとっては得難い…大切なものです。
なぜなら、これがあるからこそ『ではどうするか』を考えることも出来るのですから。
今は、何もかもが途中です。
ですが、何れ…。
こうした失敗を振り返り、『いいゲームだった』と言えるようになりたいですね。