PSO2にしろ、スプラトゥーンにしろ、何にしろ。
実際に上手い人と一緒に遊ぶ機会というのは、そうそうありません。
特に私など…その接点を得ること自体が少ないのですから、そうした時間を持てるのは、間違いなく幸運なことです。
得難い時間を自分に成長の糧にすべく、アレコレと試行錯誤をしている鈴蘭です。
…しかし。
成長に活かすにも、通るべき筋道があろうかと思います。
例えば…上手い人の動画を見て、その動きを真似ることで上手くなる…ということはあると思います。
壁に突き当たり、どうすればいいのか分からずにいたところで、ヒントを貰ってキッカケを作る。
私も解説動画などを見るようになり、その有用性は実感しています。
ただ…。
何故、その動きをする必要があるのか…その『何故』を理解していなければ、どれだけ上手に動きを真似たところで…いつまで経っても、自分の動きにはならないのではないでしょうか?
いえ、天性のセンスを持っている人なら、なんとでもなるのでしょうけどね;
そんなものを持ち合わせていない私が、横着して近道をしようとしても、怪我するだけ。
かつて…エジプト王のトレミーが『幾何学が面倒なんだが…もっと簡単に教えてくれ』と、教師を務めていたユークリッドに注文したところ…。
ユークリッドは『幾何学に王道なし』と答えたのだとか。
…そう。
『学ぶ』ということに近道などない、と…。
練習練習… #Splatoon2 #スプラトゥーン2 #NintendoSwitch pic.twitter.com/2TbLQv7jQ8
— 鈴蘭@PSO2_ship03 (@KingFisher75x) 2018年2月27日
そんな先人の教えに従い、基礎の反復を繰り返す毎日の鈴蘭です。
下手なりに練習した甲斐があったのか…。
最近ようやく、同じBレベル帯の人との対戦でのキルレシオ(撃墜対被撃墜比率)が1を上回るようになってきました。
※キルレシオ補足
自分が一回倒されるまでに、一回相手を倒せば1:1。
自分が一回倒されるまでに、二回相手を倒せば2:1。
以前は、ろくに狙いをつけられず…一発も当てられないまま倒されるというケースも多かったのですが。
今は、相対するまでの工夫の不足で倒されるケースの方が目立つようになりました。
…さて、此処が次の課題となります。
全体の戦況を見る意識が薄く、目の前で展開している状況に対応しようとして、視界の外からの攻撃に倒される。
以前に比べて人数の有利不利を確認するようにはなりましたが…。
まだまだ注意力が足りません。
いえ、注意力『も』ですね。
今の私には、何より経験と知識が足りません。
無論、経験はこれからも積み続けます。
相応に、知識も蓄えて行こうと思います。
不器用な私のことですから、きっとトンデモナイ回り道をしながらになることでしょうが…;
途中で投げ出すようなことをせず…少しずつでも、と。
…え?
上手い人がいるなら聞けば早いんじゃないか、と?
それは、安易に頼るべきではないでしょうね。
その人に憧れ、その人に近づくのは『私』でなければなりません。
その人の形を模しただけの『その人のような何か』では意味が無いのです。
疑問や悩みが無いではありません。
それらが口をついて出そうにもなります。
しかし、そうする前に。
私は、私自身で何をしたのか…それを考えます。
…まぁ、これが過ぎて…私は遊んでる時に無口になってしまうのですが…;
『私』は、失敗してばかりで情けないとは思います。
でも、だからといって『私』であることは辞められませんし…辞めるべきではありません。
…ここで勘違いされがちなのですが。
私にとって、失敗することと負けることはイコールではありません。
負けるのが嫌だから、という理由で『私』は『私』を否定するようなことはしません。
考えること。
失敗すること。
改めること。
それらが遊びの本質で。
私にとっての勝ち負けは…遊びの終わった先にある、オマケでしかありません。
負けて悔しいと思わないわけではありませんが。
それは『あの時、ああしていれば違う結果になったかも』というもので。
負けたこと、そのものではなく…。
私が、改めるべきを改めなかったこと。
私が、挑戦すべきを挑戦しなかったこと。
そうしたことを振り返って、遊びきれていなかった私を悔しいと思うのです。
…この辺り、思えば…昨日の記事にも通じるところがあるようにも。
アスリートのそれと遊びとを同列に考えることを、不謹慎と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが…。
楽しむ、ということに区別など無いと思うのですね。
当人の意志とは関係なく、周囲が『そうあるべき』と望むのであれば、そうでなければならない…というのなら。
人の個性など無意味なものになってしまいます。
その人だからこその楽しみがあるのです。
他の誰かに代わって貰ったところで得られない、その人自身が遊ぶからこその楽しみが。
その為にも…。
勝った負けたではなく。
思い残しを作るような遊びをしない。
…それを一つの理想と思う鈴蘭です。
まぁ…。
実際のところ…色々足りていないので、言葉ばかりなのですけどね…私は;
でも、だからこそなのでしょう。
私の先を行く人たちを見て…素直に感心してしまうのです。
同じ遊びをしながら、ああも楽しめるものなのか…と。
そうした人たちとの時間は、私にとって楽しいものなのですよ。
本当に。
その楽しい時間のためにも。
また、練習をすることにしましょう。
■コメントのお返事
…また後ほど。