大きいだけの鈴蘭です。
〒 〒
_(・ω・_)[布団]
…さむっ。 基本、目が覚めたら布団からすぐに抜け出す私ですが…。
今夜の寒さは格別。
いつものように布団を跳ね除けてしまったことを、ちょっと後悔してしまいました。
最初、私の気のせいかとも思ったのですが…そうでもないようで。
強い寒気が日本上空に流れ込んだ影響で、全国的に寒くなっているのだとか。
更に明日は、西日本でも日本海側で初雪となるかもしれない…と。
いやはや、平年に比べて10℃近くも低いとは…;
…こうした天気が祟ったのか。
アークスのフレさんの中には、インフルエンザに罹り、病院に緊急搬送された方も出てしまいました。
かなり危ない状況だったそうですが、幸い一命はとりとめたという話です。
もう師走です。
忙しさに我を忘れ、我が身を顧みることなく動いてしまいがちにもなる時期。
ただの風邪と思って、身体の重要なサインを見過ごさないよう、注意したいものですね…。
〒 〒
_(・ω・_)[布団]
…お互いにの。■今日のニークス
先日、アズレンについて話している中で…。
太平洋戦争中に建造された、船のアレコレについての話になり。
『日本は戦艦の数が少なかったですからね』
…という言葉が出たのを聞き…。
(´・ω・`)
(つ x と)
…ああ、ですねぇ。(´・ω・`)
(つ x と)
…。(´・ω・`)
(つ x と)
(…はて、そんなに少なかったんかな?) 当時、アメリカ軍に比べ日本軍の艦艇数が少なかったことは知っています。
しかし、どの程度少なかったものなのか…その詳しいところまで知らなかったことに、今更ながらに気が付いた鈴蘭です。
思えば、太平洋戦争に関しては『資源の無い日本が、物量に勝るアメリカに圧倒された』という、大雑把な認識しか持ち合わせていないんですよね…;
『○○海戦』、『○○の戦い』といった、個々の戦いの推移を見はしても。
これまで、戦争全体の状況…戦局というものを、見ていなかったのです。
(´・ω・`)
(つ x と)
ミッドウェー海戦で負けたのが転換点。 …では、何故『転換点』となったのか。
私の中では、その部分が曖昧です。
戦争末期、ポツダム宣言の受託容認の姿勢を見せた海軍に対し、陸軍が『我々陸軍は、まだ海軍のように決戦をして負けていない!』と強硬に戦争継続を主張したと言われています。
『大本営発表』に見られるように、情報を正しく扱わなかった事による状況判断の誤り…ではありますが。
一方で、当時の陸軍は主戦場が大陸にあると捉え、主力を中国などに置いていました。
南方での島嶼防衛に失敗して制海権を失っても、大陸にいる主力に大きな損害が出ていない以上、戦争継続は可能…そう考えていたのでしょう。
もっとも…その『大きな損害』を被る事が無かった為に、戦訓を得ることが出来ず。
明治以来の旧態依然とした戦法を踏襲したために、島嶼防衛に失敗した…という分析もあるとか。
実際、日米の陸上戦力がぶつかった戦いにおいて、アメリカ側の損害の方が大きかったのは、『硫黄島の戦い』くらいなものだそうで…。
このときの指揮官である栗林忠道は、日本軍が従来の島嶼防衛戦で定石としてきた『水際防御』を捨て、敵兵が上陸したところを陣地防御で持久しつつ、ゲリラ戦術で消耗させるという戦法を選択しています。
閑話休題。 その判断は、今に生きる私には奇異にも見え。
(´・ω・`)
(つ x と)
…荒唐無稽? …などという言葉も浮かんできます。
しかし、そんな私の言葉は『日本が戦争に負けた』という歴史的事実を根拠にした、逆説的なものです。
むしろ、『何故』という部分に目を向けないままでいる、そうした私の姿こそが荒唐無稽と言うべきでしょうね。
…なので。
お話に相槌を打ちながら、『後で調べてみよう』と思い。
こうして、独り言にメモ代わりに残すことになった次第です。
戦争全体を見るのであれば、陸海軍全ての兵力を比較すべきでしょうが…。
今回は、『アズールレーン』から出た話なので、海軍の…まずは戦艦に絞っていこうと思います。
(´・ω・`)
(つ x と)
ええっと…日本の戦艦は…っと。金剛型戦艦
一番艦進水:1912年5月18日
同型艦:金剛、比叡、榛名、霧島
大戦に参加した日本軍戦艦でも最古残でありながら30ktを誇った高速戦艦。
扶桑型戦艦
一番艦進水:1914年3月28日
同型艦:扶桑、山城
日本初の純国産超弩級戦艦。
伊勢型戦艦
一番艦進水:1916年11月12日
同型艦:伊勢、日向
大戦中の空母不足を補うため航空戦艦に改装された戦艦。
長門型戦艦
一番艦進水:1919年11月9日
同型艦:長門、陸奥
大戦中、最も国民に親しまれた戦艦。
大和型戦艦
一番艦進水:1940年8月8日
同型艦:大和、武蔵、信濃(空母に改装)、111号艦(建造中止)
世界最大の排水量と主砲口径を誇る日本最後の巨大戦艦。
(´・ω・`)
(つ x と)
実際に建造したのが計11隻ね。 私などにしてみると、超弩級戦艦『大和』の印象が強くあり。
当時の日本には質も量もかなりのレベルにあったのでは…と、漠然としたイメージを持っていましたが…。
思えば、『戦艦』といわれて思い浮かぶ名前が、そうも無く。
こうして並べてみると…知っている名前で全てであったことに、驚いてしまいました;
(´・ω・`)
(つ x と)
…で、アメリカの戦艦は…。ワイオミング級戦艦
一番艦進水:1911年5月25日
同型艦:ワイオミング、アーカンソー
開戦前に練習艦となりながら、真珠湾での戦艦喪失を埋めるために前線に戻った最古残艦。
ニューヨーク級戦艦
一番艦進水:1912年10月30日
同型艦:ニューヨーク、テキサス
第一次世界大戦にも参戦したアメリカ初の超弩級戦艦。
ネバダ級戦艦
一番艦進水:1912年5月18日
同型艦:ネバダ、オクラホマ
真珠湾攻撃で撃沈されながら戦線に復帰した戦艦。
ペンシルベニア級戦艦
一番艦進水:1915年3月16日
同型艦:ペンシルベニア、アリゾナ
ネバダ級の拡大発展版。真珠湾攻撃で炎上する2番艦アリゾナの映像で有名。
ニューメキシコ級戦艦
一番艦進水:1917年 4月13日
同型艦:ニューメキシコ、ミシシッピ、アイダホ
クリッパー型艦首を持つペンシルベニア級の改良型戦艦。
テネシー級戦艦
一番艦進水:1919年 4月30日
同型艦:テネシー、カリフォルニア
コロラド級戦艦3隻と合わせてビッグ5と呼ばれた戦艦。
コロラド級戦艦
一番艦進水:1921年3月22日
同型艦:コロラド、メリーランド 、ウェストバージニア、ワシントン(建造中止)
日本海軍の戦艦長門に対抗して40.6cm連装砲塔を装備した戦艦。
ノースカロライナ級戦艦
一番艦進水:1940年6月13日
同型艦:ノースカロライナ、ワシントン
ロンドン海軍軍縮条約下で建造された16インチ砲搭載の戦艦。
サウスダコタ級戦艦
一番艦進水:1941年6月7日
同型艦:サウスダコタ、インディアナ、マサチューセッツ、アラバマ
火力、防御力、速度を高いレベルでまとめた優秀戦艦。
アイオワ級戦艦
一番艦進水:1942年8月27日
同型艦:アイオワ、ニュージャージー、ミズーリ、ウィスコンシン、イリノイ(建造中止)、ケンタッキー(建造中止)
最大速力33ノットを発揮する大戦中のアメリカ最新鋭戦艦。
(´・ω・`)
(つ x と)
…計26隻…。 …アメリカの戦艦と言っても、馴染みが無かったのですが…。
いっぱい作ってたんですねぇ;
ちなみに、太平洋戦争開戦後、日米両国が建造した戦闘艦の数がこちらです。
日本の艦船生産数
正規空母 9隻
護衛空母 9隻
戦艦 2隻
巡洋艦 6隻
駆逐艦 70隻
潜水艦 132隻
アメリカの艦船生産数
正規空母 22隻
護衛空母 93隻
戦艦 10隻
巡洋艦 39隻
駆逐艦 378隻
潜水艦 213隻
『アズールレーン』で言うところの、軽空母…護衛空母の数が段違いですね;
10倍差って、なんですか…;
しかし、船の大きさも関係するので、隻数だけでは単純な比較は難しいのかもしれません。
そこで…大戦中の日米の艦船保有数と、その総トン数の比較がこちら。
日米保有艦艇推移
日付
日本 アメリカ
隻数 トン数 隻数 トン数
41/12/8
237 1001000 345 1439000
41/12/10
236 1000000 341 1313000
42/5/31
235 1100000 368 1471000
42/6/7
230 1004000 366 1449000
42/7/31
232 1030000 393 1595000
43/2/8
212 1007000 457 1810000
44/1/31
208 996000 661 2850000
44/6/21
182 902000 734 3188000
44/9/31
165 879000 791 3522000
こうしてみると…日本は海戦ごとの損失の回復で手一杯で、海軍の規模を拡大することが出来ていなかったのが分かります。
その傾向が顕著に現れたのが、1942年6月7日の数字。
次の7月31日では数字こそ増えていますが…5月31日の水準にまで達しておらず。
それ以降は減る一方となっています。
そして…これこそ、なのです。
1942年6月5日から7日にかけて…ミッドウェー海戦があったのですよ。
対するアメリカは、損害が出ても、それを上回るスピードで船を作り、海軍の規模を拡大させています。
ミッドウェー海戦の前後を見ると、日本と違って海軍の規模が拡大し続けているのがわかりますね。
ひとつの海戦を境にして、日米の明暗がはっきりとした。
…それが、数字から見て取れるのです。
しかし…表の最上段と最下段を見ると分かりますが、終戦時のアメリカ海軍の艦船数は開戦前の2倍にまでになっています。
この建造スピードは、常識はずれと言ってもいいほど凄まじいものです。
…といっても、その建造スピードがどの程度のものか…ピンとこないかもしれません。
試しに、建造数を太平洋戦争の日数で割ると…。
開戦直後から2週に1隻のペースでガトー級が竣工し。
42年夏からは11日に2隻のペースでフレッチャー級が竣工し。
42年末からは50日に1隻のペースでエセックス級が竣工し。
43年夏からは7日に1隻のペースでカサブランカ級が竣工し。
43年末からは8日に1隻のペースでアレン・M・サムナー級が竣工し…。
当時のアメリカは、空母だけでも1週間に1隻ずつ増やしていた計算になります。
(´・ω・`)
(つ■と)
…よくもまぁ…。 工業大国であるという認識はありましたが…。
実際にそこまでやってしまう、というのが感心するやら、呆れるやら…;
今日の出典:【軍事】第二次世界大戦時の各国主力戦艦まとめ■コメントのお返事
…また後ほど。