今日見た寺の張り紙すごい良かった pic.twitter.com/6vZAZ7nBzM
— 芋 (@xxxlililxxx) 2017年11月26日
(つ■と)
…ああ、ホントに…その通りや…。
早いもので…もう11月も終わろうかとしています。
そろそろ、トナカイさんも橇を準備しなければいけない時期になりましたが…。
世の中の人たちは気の早いもので。
既に街のあちこちに、クリスマスツリーが飾られているのを目にします。
キリスト教においては、クリスマスの前に『待降節(たいこうせつ)』という、クリスマスに向けた準備期間があり。
『主日(しゅじつ)』と呼ばれる『11月30日に一番近い日曜日』を始まりとするそうです。
明確な決まりがあるものではないので、あくまで目安程度のものだそうですが…。
曜日を基準とするために、当然その年によって日付が変わります。
あくまでも、『一番近い日曜日』なので…前倒しされたり、先送りされたり…といった具合に。
(つ■と)
んで、今年の主日は12月3日みたいやね。
…つまり、今あるツリーは気が早い…
Upside down Christmas tree at @ClaridgesHotel from @KarlLagerfeld unveiled https://t.co/L2BvuxK0Pg pic.twitter.com/oGW39R5Pqg
— Caterertweets (@Caterertweets) 2017年11月22日
(つ■と)
…って、なんじゃこりゃ。
『Upside down Christmas tree』…逆さツリーですか。
説明を見ると…天井から逆に吊ることでツリーの設置に必要な床面積を減らし、省スペース化が期待できる…とかなんとか。
(つ■と)
…Funikuraみたい。
Funikura…フニクラ。
スペインのバルセロナにおいて建設されている教会『サグラダ・ファミリア』はご存知でしょうか?
着工から130年以上が経過してもなお、完成していない…人類史上空前の規模を誇る大聖堂です。
設計者は天才建築家として名高いアントニオ・ガウディ。
彼の設計手法は独特で…。
『美しい形は構造的に安定している。自然の中から構造を学ばなければならない』として。
数学や物理の方程式に頼ることなく、錘(おもり)とロープを使った実験を繰り返すことで、構造力学的にも洗練された合理的な形を導き出しました。
その実験を…逆さ吊り模型、フニクラ(Funikura)と呼びます。
天井からロープで錘を吊るし。
そのロープを増やす中で、自然と出来上がる形こそが、錘を支える最も合理的な形になるのだ…と。
…そして。
錘を重力として。
天井を大地とすれば。
天地を逆転させたそれは、構造的に最も安定した建築物となるのです。
サグラダ・ファミリアは、そうして形が決められたのですね。
自然を形作るものには、何らかの意味があり、道理があります。
それを無意味、無価値とするのは、人間の理解が及んでいないだけ…。
美しいものは、人の作意などとは無関係に、成るべくしてその形に成る。
…と、いったところなのでしょうか。
(つ■と)
自然の中の合理性…かぁ。
その辺りは、頭の足りない鈴蘭も認めるところなのですが…。
しかし、話を戻してですね?
ツリーって、逆にしてもいいものなんでしょうかね?;
こう…象徴的な意味合いで。
もともとクリスマスツリーは、聖書にある『アダムとイブ』の伝説になぞらえている…という説があるそうです。
本来は、禁断の知恵の実をつけた樹木になぞらえ、林檎の木を飾るべきところなのだそうですが…。
冬の季節には林檎の木は葉を落としてしまい、飾るには不適切です。
そこで、ラテン語で『永遠の生命』の意味を持つモミの木を代わりに飾るようになったとか。
ツリーの飾りにも意味があります。
木の頂点に付けられる星は『ベツレヘムの星』…キリストが生まれたベツレヘムまで賢者を導いたとされる、『希望の星』の象徴です。
天使の像は、キリストの生誕を祝う天使の姿。
杖の形をしたキャンディは、羊飼いの杖を模していて…助け合いの象徴とされています。
…無意味に飾り立てているわけではないのですね。
(つ■と)
フニクラみたく逆にして大丈夫…?
こうしたものは、合理性云々ではなく、意味が大事となるものですし…。
『永遠の生命』を象徴する木を逆位置に飾るって、不吉なようにも思うんですが…;
この絵面じゃ…ほら、あれです。
『クリスマスなんか爆発してしまえ(´・ω・`)!!』という人たちが作った『アンチクリスマスツリー』みたいな感じになっているような…。
これはこれで、いいんでしょうかねぇ…?;
11月といえば、このブログの始まった月であり、PSO2のチームを立ち上げた月でもあるのですが…。
今回は、これといって何かをしませんでした。
節目といっても…それは、それを数える人にとって意味のあるもので。
そして、その節目とは…。
食事をするための食器を買い求めたとして。
その器を手にした日を記念とする人はいても。
その器が出来た日を記念とする人は、そうはいないでしょう。
それぞれに、それぞれの意味があるもので。
それぞれが、それぞれに意味を求めるべきことなのかな…と。
その結果、何某かの形を得るのであれば…それこそが。
…そんな事を考えた鈴蘭です。
(つ■と)
…っても、個人ブログの記念くらいはなぁ…。
(つ■と)
…書いてる私が何かせにゃ、何も無しになるしな…。
(つ■と)
…。
(つ■と)
…絵でも描く?
…誰が喜ぶんや…それで(´・ω・`)