出勤前の事でゆっくり出来ませんでしたが…。

(C)SEGA
桃子さん主催の、秋のファッションショーを覗いて来ました。
…うん。
相変わらず盛況ですね。
フレさんがエントリーしていたので、見物もしたかったのですが…。
時間も時間。
やむなく、手近にいたフレさんにWISでこっそり暇を告げて、会場を抜け出しました。
…こうしたイベントに限ったことではありませんが。
何かと言われている昨今において、自分自身のスタイルをブレさせることなく楽しんでいる人達がいるのを見ると、何処か安心を覚えます。
『エンジョイ』という括りが、どういう意味合いを持つかはさておいて。
自発的に楽しんでいる人がいる。
それを指して表す言葉として、これほど相応しいものは無いのかもしれませんね。
■考えすぎ?
先日より、キャラクリエイトに手をつけている鈴蘭です。
昨日はコレで納得…としたものの。
改めて見ると…『ホントに歳相応のバランスか…(´・ω・`)?』と疑問が頭をもたげ。
えりすさんのブログを読み直し、バランスを再度考えなおしていたりします。
これじゃ、肩が出過ぎてるよね…(´・ω・`)ウヌヌ
…そんな迷いの尽きない鈴蘭ですが。
こうしてキャラクターを作っていて疑問に思った事があります。
キャラクタークリエイト。
…これはキャラクターを生み出す行為に違いありませんが。
では一方で、キャラクターの死とは何を指して言うのでしょうか?
物事には、始まりがあれば終わりがありますが。
作ったキャラクターの始まりを意識出来ても、終わりを明確に意識することはあまり無いように思います。
ゲームサービスの停止が、キャラクターの死となるのでしょうか?
或いは、ゲームを引退する時がキャラクターの死となるのでしょうか?
…確かに、キャラクターとしての活動がゲーム内で不可能となる以上、これらは『終わり』には違いありません。
しかし、これがキャラクターの死と同義であるのか…その点には疑問を感じます。
上手い例えといえるか分かりませんが。
これは『幕を引く』ようなものではないでしょうか?
舞台上の演者が役を終えて、一人の人間に戻るだけのことで。
それだけで、舞台で演じられた物語の時間が無くなってしまう訳ではありませんし。
一人の人間としての時間が無くなる訳でもありません。
何れ人の記憶に在る限り、キャラクターの死…というものでは無いようにも思うのです。
逆に。
そのキャラクターが人の記憶から消えること。
自分自身を含め、そのキャラクターが人から認識されなくなること。
それこそが、キャラクターの死ではないかとも思うのです。
…例えそれが、ゲーム内にキャラクターが存在していたとしても…です。
自己を強く持つのは大切です。
しかし…自己こそが強ければ、キャラクターは生きるものなのでしょうか?
個性…ユニークであることは大事です。
…ですが、忘れないでおきたいのは。
自身がユニークであるのは、ユニークである他の存在があってこそだとということ。
キャラクターとして生きるということが、人の中に在ってこそだということ。
他人の中に生きている自分を意識する。
自分の中に生きている他人を意識する。
その意識が無くなった時。
その意識を必要と感じなくなった時。
ほんとうの『終わり』が訪れるようにも思う鈴蘭です。
■コメントのお返事
…また後程。
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