独り言 その三百二十一

 大きいだけの鈴蘭です。

 本日2月27日から、負荷問題からテストを停止していた『ittels』が、βテストを再開しました。
 追加募集枠で駆け込み登録をしていたので、何とか今日から利用できる鈴蘭です(´・ω・`)

 あまり、こうしたサービスは利用しない中の人。
 何と言っても、人に話せるだけの教養や趣味の持ち合わせがありませんし(´・ω・`)
 取り敢えずは鈴蘭の登録をして。
 PSO2のフレさんで、登録している人のフォローをして…。

 さて…どうしよう(´・ω・`)?

 そこで気になったのがコミュニティの存在。
 共通の趣味を持った人が、コミュニティに所属して繋がるSNS。
 幾つかのコミュニティを覗いてみましたが、なかなかに盛況のようです。
 (…といっても他の状況を知らないので、比較してどうか…は、判りませんが)

 そうして人がやっているのを見て、自分も試しに作ってみようと適当に設定。
 折角だし…と、THSのチームコミュニティを作成してみたんですが。

 コミュニティの画像は、チームロゴから拝借。
 名前は…『【Ship3】Trinity HeartS 出張所』
 …検索するとなると、船のナンバーが名前に入ってる方が良いでしょうし。
 奇をてらってもしょうがないので、ここは無難に…。

 ホントは『イオ横丁』も考えたんですけどね(´・ω・`)
 先ずはチームでお試しです。

 次に何のコミュニティなのかを、ジャンルから適当に複数選んで設定が出来ます。
 メンバーの関心事などを思い出しながら、選択していき…。
 全ての設定が完了。
 見事『ittells』にチームのコミュニティが完成しました。

 …まぁ、チームコミュニティを作ったところでどうなるのか、という疑問はありますが。
 また一つ、可能性の広がりを見せたことを、ここは素直に喜びたいと思います。

 そんな感慨を覚えつつ。
 空っぽのコミュニティを何となく見回して。
 ふと目に留まった、コミュニティの属するカテゴリの表示欄。

 『カテゴリ:犬』

 (´・ω・`)Oh...
 (´・ω・`)めっちゃストレート…。
 (´・ω・`)イロイロ設定した筈だけど…。
 (´・ω・`)何故に、敢えてソレになったの…?

 なんか面白いから、暫くこれで置いておこうかな…w
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独り言 その三百二十

 大きいだけの鈴蘭です。

 (´・ω・`)今日のメンテ、バーストしましたねぇ…。
 (´・ω・`)前倒し2時間から、3時間延長のチェンジオーバーというか…。
 (´・ω・`)ログインスタンプ貰って、EXパス貰って…それで終了。
 (´;ω;`)ほとんど何もしてないよ…。



 …あ、いや、チャットはしたけどな(´・ω・`)?



■考えすぎ?
 戦国時代、立身出世を果たした人物として有名なのは、豊臣秀吉でしょうか。
 農民から身を起こし、天下統一を果たすまでになった人物です。
 ただ、この秀吉が頭角を現すまで、立身出世の代名詞となる方は、別に存在しました。

 それは美濃(現在の岐阜)の国主、斎藤道三です。
 この人は油売りから一国一城の主にまで上り詰め、当時は立身出世の代名詞となっていたそうです。

 そんな成り上がり者の道三には、家柄を示す家紋がありません。
 そこで道三は、自身の旗印(家紋)に「水」を用いたそうです。
 これは、道三の戦術理念を表していると言われているとか。
 
 臨機応変に形を変え、柔軟に状況に対応する。
 その様を、道三は水に例えたそうです。

 …人は自分自身に相応しい形を、知らず求めていると思います。
 水のように柔軟に…と、望んだところで。
 得てして、自身の価値観で凍ってしまっている事が多いのではないでしょうか。

 氷のように凍った自身を、水のように器(状況)に沿わせるのは容易ではありません。
 凍るにはそれだけの時間、それだけの理由が必要とされたのです。
 溶けるにも、相応の時間と理由が必要になると思います。

 器に氷を置いて、何れ溶けるのを待つ。
 それは一つの方法ではあるでしょうが。
 …それだけでは、臨機応変とは言えません。

 収まるべき器に隙間なく。
 必要とされた時に遅滞なく。
 そうでなければ、氷が溶ける頃には、収まる筈だった器は姿を変えてしまっているかもしれません。

 …氷は一つの大きな塊では、溶けるにも時間がかかります。
 体積が少ないほど、表面積が広いほど溶けるのは早くなります。

 思うのです。
 凍るには凍るだけの、価値と理由があるのでしょう。
 そうした自身の価値観は、裏を返せば確立した自己そのものです。

 ですが…凍った価値観を打ち砕くことで初めて得られる、相応しい形があるというのなら。
 敢えて、痛みを伴う選択もするべきかと思います。

 自身だけの正しさにこだわっていては。
 溶ける事も器を求める事も出来ず。
 ただ在るだけの存在になってしまうような…そんな気がする鈴蘭です。



 斎藤道三は織田信長の正室、お濃の父親でもあります。
 2人はお互いの既成概念に囚われない先取的な在り方を、高く評価していたとも言われています。
 その時代、異端とも称された在り方を選択した二人。
 果たして2人は、お互いをどのように見ていたのでしょうかね…(´・ω・`)



■コメントのお返事
 …また後程。

独り言 その三百十九

■2014/02/26 03:30 加筆

 大きいだけの鈴蘭です。

 明日は定期メンテナンス。
 …ただ、最近定番の開始時間の前倒しがあります(´・ω・`)2時間ェ…

 こうして見ると、サーバーメンテナンス→定期メンテナンスの流れが、最近定着してきた感がありますね;
 お陰で朝がメインの鈴蘭は、明日はプリンさんからEXパスが頂けなくなりました。
 着払いでも結構なので、受け取り倉庫に送ってくれませんかね…(´;ω;`)

 最近はラグが目立っていましたし、環境改善の為にはしょうがありませんが。
 心中は複雑です…w



■考えすぎ?
 時として、人と向き合っていると、錯覚することがあります。
 目の前にした人は、一つの本のようなものなのではないか…と。

 目にする装丁から、中を窺い知るのは困難です。
 その本は手に取れるものではなく。
 縦から見ても、横から見ても本の厚みは判りませんし。
 流し読もうとページをめくろうにも、自分一人では出来ません。

 装丁は立派だけれども、パンフレットのように薄い本かもしれません。
 手垢に塗れた表紙から、事典のように厚みを見せる本かもしれません。

 …目の前にしながらも、その姿の予測のつかない…なんとも不思議な本です。

 なにしろ。
 目の前にした人という本が今、何を自分に見せているのか。
 装丁なのか。
 内容なのか。
 それすら判らないのですから。

 目にしたものを見極めようとすると。
 視界いっぱいに紙面の広がりを見せる人もいれば。
 小さい切り抜きのような紙面を見せる人もいます。

 そこには。
 目を奪われるような、美しい絵が描かれているかもしれません。
 興味深いお話が書かれているかもしれません。
 …本当に人それぞれだと思います。

 そして、そうした紙面を目の前にして思うのです。
 目に出来る紙面に広がりを見せる人は、果たして他人に厚みを…本の先を見せる人なのか。
 紙面の広がりを拒む人は、果たして本として内容が乏しい人なのだろうか…と。

 無数に在る本の中で。
 広がりと厚みを兼ね備えた本は、稀有だろうと思います。

 …だからこそ、出会った時の喜びが大きいのでしょうが。
 それだけが本の価値という訳でもありません。
 或いは、それぞれに違うことこそが、価値そのものなのではないでしょうか?

 読み進む事の出来る本との出会い。
 見た目や厚みにこだわらず、大事に出来る本との出会い。
 装丁を見た時に、そうした予感を覚えるのが、一つの楽しみのように思います。



 ううむ…(・ω・;)
 ダメだ…今日は一際まとまらなかった…。
 加筆しても…まとまりが;
 言いたいことがあるのに、なんか遠回りが過ぎるよ…;;



■コメントのお返事
 …また後程。

独り言 その三百十八

 大きいだけの鈴蘭です。

 今週は全国的に暖かいと聞きました。
 三寒四温と言いますが。
 気付けば2月も残り僅か…春の訪れも近いですね。

 …もっとも。
 桃の節句を過ぎてもバレンタイン一色のアークスシップに、そうした風情は感じられませんが…(´・ω・`)
 日本国内で、国内向けに展開してるサービスなら、それに因んだイベント展開でも良いと思うのですが;
 世相や時流を反映しての事なのでしょうかね…。

 …折々の移り変わりが、スイッチを切り替えるかのように変わるのに。
 今更ながら、なんとも寂しいものを感じてしまいます。



■考えすぎ?
 ネットに繋がれば、誰もが同質量の情報を得ることが出来る現代社会。
 個人の有する知識というものに、一体どれだけの価値があるのか…曖昧のようにも思ってしまいます。

 個人が得た知識が積み重なって、ネット上の知識は作られていますが。
 それを引き出す術に長けることは、果たして『博識』に通じるのでしょうか?

 …チームのWikiで「日課」として、朝のTAの事が書き込まれています。
 この日課…。
 無論ですが、初めからあったものではありません。
 クロトのオーダー報酬が引き上げられた際、「やってみない?」とミウさんから誘われたのがキッカケです。
 とはいえ、皆TAの初心者。
 何をどうしていいのか、さっぱり分かりません。

 まずは手探りでゆっくり行こう…と、オーダー開放とギミックの確認を兼ねてNを受注。
 マップの隅々まで歩いて回り、マップの形やスイッチ、敵の位置を確認していきました。
 最初のオーダー消化には、3時間以上掛かったのではないかと思います;

 それから毎日のようにWikiを調べ、動画を見て、足りない部分を歩いて確認して。
 日に日に所要時間も短縮されて。
 いつの間にやら、蓄えた知識を人に教え伝える事が出来るまでになりました。

 技術に関しては経験と才能です。
 それらは、少なくとも鈴蘭の中にはありません。
 鈴蘭の有する知識は、最速を求めるものではなく。
 技術に自信のない人でも、不自由なく遊ぶための知識です。
 下手は下手なりに…という事ですね;

 Wikiに書かれた知識の多くは、最適解のそれですが。
 万人にとっての最善の解答を示しているのかは判りません。

 それを判断する力。
 自身の中にある、記憶と結び付いた経験としての知識。
 それを多く持つ人が『博識』なのかも…などと思った鈴蘭です。

 ネットの知識を引き出すだけでなく。
 それから経験として何を学ぶのか。
 …そこに大事なものがあると思うのです。

独り言 その三百十七

 大きいだけの鈴蘭です。

 THSのコンテンツに関しては、交流用の共有掲示板とチームサイトを設置していますが。
 チームメンバーの情報発信には、敷居が高いかもしれない…と思い、先日チームWikiを設置してみました。

 元々、この手の設定話に凝る人がいらっしゃるので…。
 イロイロ書き込んでいってくれるかと、期待もしています。

 …ただ一方で、このWikiだけが先行するのは望ましくないとも思っています。
 これは言わば内輪ネタです。
 これありきの交流では、排他的になってしまいます。

 ネットの利便性が生んだ弊害なのかも知れません。
 『知っていて当たり前』『知らないなら検索して?』…それはシャープではありますが。
 寂しい形であるようにも思います。

 その辺りに気を付けながら。
 楽しみの一つとして、皆に使って頂けたら幸いです。



■考えすぎ?
 先日、フレさんと話している中で。
 場の在り方について触れる機会がありました。

 鈴蘭は、イオ横丁に期待しているものがあり、その実現のために積極的に関わっている訳ですが。
 果たしてこの意識と行動は、イオ横丁の為になっているのか…そんな疑問を感じました。

 イオ横丁は、一人で出来るものではありません。
 イオ横丁は、ひとりでに出来るものでしょう。

 鈴蘭が『運営』をして、形を作ったとして。
 見た目は近しいものが出来たとしても、それは鈴蘭の求めるモノには程遠いでしょうから。

 誰かの都合で出来る場所にしない。
 …それを目指し、鈴蘭の都合で出来る場所になってしまっては、意味がありません。
 皆が、同じ視点に立って利用できる場所。
 それを実現するには、今のやり方は間違っているのではないか。

 『運営』といって、場を預かるようでは考えが足りず。
 鈴蘭自身が枠となって、皆を括ってしまいます。

 程度の差…とも、取れるかもしれませんが。
 しかし、それが当たり前のようにまかり通ってしまうようでは。
 何れ、知らず誰かの意志を、踏みにじる事にもなるように思います。

 個性は一人一人にあります。
 それらが分け隔てなく、等しく並び立つ形が理想です。

 鈴蘭の意志と行動は。
 結果として、並び立つ個性に優劣を付けて扱っているのではないか…。
 改めて振り返って、自身に問い掛けている鈴蘭です。



 なるようになる様を。
 横丁の片隅から見守る、最近の地蔵です(´・ω・`)

独り言 その三百十六

 大きいだけの鈴蘭です。

 今日は一日、フレさんとのチャットで過ごしました。
 予告DF(´・ω`・)?
 予告バレンタイン(´・ω`・)?
 …そんなものは、時間が来ればまた出来ます(`・ω・´)

 欲しいと望むのは、プログラムに支配された電子データなどではなく。
 真に得難い、理解者足る友人なのですから。

 ゲームそのものが、友人と繋がる一つのツール…。
 そんな風にも思う今日この頃です(´・ω・`)



■考えすぎ?
 「飛鳥尽きて良弓蔵められ、狡兎死して走狗烹らる」
 史記にある言葉です。
 かつて越王を助け、呉王を破ったある重臣が、敵が亡び脅威がなくなった今、次は自分の身が危ういと思い、同僚に手紙を送り「君も越にいては危険だから去ったほうがよい」とすすめたときに言ったそうです。

 鳥がいなくなれば良い弓も捨てられ、兎が死ねば猟犬も煮て食われる。
 優秀な道具も、使う当てが無くなれば不要となって顧みられなくなる…という事です。

 これは一つの警句です。
 私は個人的に、イオ横丁においてこうした事態が起きないように注意をしています。

 昨日の数字の話では、上手く纏められませんでしたが…。
 道具として要不要を判断するだけでは、モノの価値というものは出てこないと思います。

 この仮想現実は『遊び』の為の世界です。
 与えられた道具に、物足りないものを感じるのであれば。
 それを不要と決めて打ち捨てる前に。
 道具を道具として使う、別の方法を見出だすのが。
 或いは、道具を道具以外で活用する方法を見出だすのが。
 それが本当の『遊び』ではないでしょうか?

 …人にも同様のことが言えるかと思います。
 これは、横丁に限らず、コミュニティで共通して散見される問題です。

 求められ、都合良く枠を埋めるだけの関係。
 ただ埋める為に呼ぶ…呼ばれるのでは。
 要不要は、枠によって決められるだけになり。

 やがては、お互いが顧みられなくなるなるでしょう。

 …ある意味、この関係はシンプルと言えるかもしれませんが。
 少なくとも私が、横丁やチーム、フレさんに求める関係ではありません。

 私が求めるものは、より豊かな人との繋がりなのです。

 …とはいえ。
 何をもって『豊か』とするのか。
 その解釈の多さに、自身の在り方に迷いもある鈴蘭です。



■業務連絡
 THSメンバー向けのコンテンツとして、WIKIを設置しました。
 寄せ書き的に使って貰えればと思います。

 ある程度個人ページが埋まった方から、チームサイトのMemberページにあるカットイン画像にリンクを張っていきますので。
 ※トップページは、鈴蘭のカットイン画像にリンクが張ってあります。

独り言 その三百十五

 大きいだけの鈴蘭です。

 今日はメンテ時間が変更となり、午前のイン時間が完全に潰れてしまいました。
 睡眠時間に充てよう…とも思いましたが、体内時計に忠実に出来てる体のため、それも叶わず。
 ブログやら、チームサイトやらの面倒をみて過ごしました。

 …こういうのは、やり場のない思いを抱えてしまって…どうにもやるせない感じがするよ…(´・ω・`)



■考えすぎ?
 1、2、3、4、5、6、7、8、9…
 現在、我々が日常的に使う数字は「アラビア数字」と呼ばれるものですが。
 元はインド発祥だそうで…インド数字というのが本来なのですが、伝来した経緯から「アラビア数字」の名称が定着したそうです。
 産業革命でヨーロッパに広く浸透しましたが、漢字文化圏では浸透が遅く19世紀になってからだったとか。

 Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ、Ⅴ、Ⅵ、Ⅶ、Ⅷ、Ⅸ…
 PSO2では、特殊効果のレベル表記に使われているこれは、『ローマ数字』と呼ばれるものです。
 古代ギリシア文明において用いられ、かつては羊を数えるために使われたのだとか。

 両者は、共にモノを数え上げる道具として作られ、使い方が工夫されてきました。
 しかし、かつて人々から求められた役割は同じでも、今現在、両者の在り方には差が出来ています。

 現代において。
 算数で、ローマ数字を用いて計算をする人は、そうはいません。
 これはローマ数字の表記のブレが原因とも言われるそうで。
 例えば同じ4を表す数字でも、縦棒4本による『||||』という表記と、『Ⅳ』という2つの表記があるように。
 人によって数字の書き方が違ったそうです。

 モノの数を人に明らかにするための道具であるはずの数字が。
 曖昧とあっては、誤解を生んでしまいます。
 正確であればこそ、数字は道具足りえるのですから。

 ただ…道具である数字それそのものに、モノの価値を決める力があるわけではなく。
 あくまでモノの価値を決めるのは、人であろうと思います。

 基準ありきでモノが存在する訳ではありません。

 数字は誰が見ても同じく、明らかなものですが。
 しかし、同じ数字を通して見ても、モノの価値は人によって違うかもしれません。

 その事に思い至らなければ。
 如何な優れた道具を用いて、モノを表したとしても。
 意味を成さないのではないでしょうか。



 曖昧だという事で廃れたローマ数字。
 モノの数を明らかにするという、道具としての役割には向かなかったかもしれませんが。
 しかし、そのデザイン性から時計の文字盤に使われるなどして、今も我々の身の回りに残っています。

 数字もまた、人が価値を決めるモノの一つに過ぎず。
 何処に価値を認めるのかは、人それぞれ。

 既存の価値に囚われるということは。
 自分の何かを、見落としているのではないか…そんな風に思った鈴蘭です。



■コメントのお返事
 …また後程。

独り言 その三百十四

 大きいだけの鈴蘭です。

 先月の事になりますが…。
 マイルーム常設型のイベントとして、家具のサイコロを用いた遊びを提案しました。
 これについて協力してくださる方が名乗りを上げて下さり、現在準備を進めています。
 このイベントの趣旨は「交友関係を辿って行くと、果たして何処まで行けるのか?」「部屋主の事をマイルームから知る・知ってもらう」「クエスト以外の常設の楽しみ」…などとなります。
 
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         (C)SEGA                  (C)SEGA



 部屋主は、自分の部屋に独自に考案した「お題」をGJカウンターに入れて設置して。
 「お題」の達成報告をGJでしてもらうことで、来てくれた人とのコミュニケーションを図る。
 一方通行のものではなく。
 双方向の形を…という事で考えています。
 
 興味のある方は、設置している方に打診して。
 サイコロのマス目を変えてもらって、自身のマイルームを結んでください。
 そうして参加者を増やしていったとして、果たして何処まで広がるものなのか…。
 それを一つの楽しみに出来たらと思います。



■考えすぎ?
 『人を使う』などと言いますが。
 一般的には、上位者が人の能力に応じて役割を与え、コミュニティの維持や発展を図るようなことを指すのでしょう。

 …では、此処ではどうなのでしょうか?
 社会的に保証された地位などありません。
 チーム内においては、システムが定める役職は存在しますが。
 これは別に、上下を定めるものではありません。

 此処での『上位者』というのは。
 そのチーム内における共通認識…という感じです。
 無論、人が集まって社会が形成される以上、チームという人が集まって出来た社会が保証する上位者…という見方は出来ますが(´・ω・`)

 その人は何故『上位者』の立場にあるのか。
 改めて考えてみると、その理由はひどく曖昧なものではないでしょうか?

 此処で『上位者』が『人を使う』という局面は、日常的なものはそう無いと思います。
 せいぜい言えば、マルチの編成ぐらいではないかと。

 しかし、これにしたところで。
 『上位者』が偉いから、人が従う訳ではありません。
 『上位者』が『人を使う』理由を持つように。
 『上位者』に従う人には『人に使われる』理由がある。

 …これは利害の関係です。
 『人に使われる』人は、その実。
 『人を使う』人を利用していて。
 『人を使う』人は、その実。
 『人に使われる』人に利用されているのかもしれません。

 しかし、これはある意味、対等と呼べる関係でもあります。

 人が何を求めているのか。
 その意味と自身の在り方。
 それらを考える事が出来る人が、『上位者』であり『人を使う』人なのかな…などと考えた鈴蘭です。



■業務連絡
 THSメンバーの皆さんにご提案。
 チームサイトの『Member』に掲載されているカットインにリンクを張って、個人のSSか画像を掲載してみようかと検討中です。
 要望があれば、個人のページなどを作って…とも考えています。
 ご意見をお聞かせくださいな。



■コメントのお返事
 …また後程。

独り言 その三百十三

 大きいだけの鈴蘭です。

 個人での活動。
 チームでの活動。
 場(イオ横丁)での活動。

 鈴蘭にとってこれらは、ほぼ等価であろうと思います。
 イオ横丁を形にすることが自分の個人的な目標であり、チーム運営における一つの要素となっていますから。

 ただ、この3つの価値は、人によってまちまちでしょう。
 殊、イオ横丁に求めるものは、人によって大きな違いがあると思います。
 私の場合は『場の運営』に関心がありますが…。
 『場の利用』を目的としている方も居るでしょう。

 しかし、『利用目的』と一口に言っても。
 そこにどういった意図があるのか。
 その内容によって、個人の行動も変わってくるかと思います。

 …よくあるのは、コンテンツ消化の手段としての利用でしょうか。
 これは『場の消費者』とでも言うべき存在で。
 運営に携わる側から見れば、『ゲスト』に相当する方達です。

 必然とも言うべきものですが…。
 朝の市場が人で賑わい、立錐の余地も無いほどにあるのに。
 昼を過ぎた市場が、両の腕を広げて歩いてもぶつからないまでに閑散としているのは。
 客が朝を好んで、昼を嫌って来る訳ではなく。
 朝の市場に、求める商品が数多く並ぶからです。

 客…『ゲスト』の存在は貴重です。
 ですが、『ゲスト』が訪れる場に、商品となるべきものがあるのか。

 『ゲスト』は消費を目的としています。
 『ゲスト』の賑わいそのものは、商品にはなり得ません。
 いかに人の多さを謳っても、実となる商品がなければ、人は何れ離れます。
 人が集まることそのものに安心は出来ません。
 『ゲスト』を『ゲスト』のままにしておいては。
 商品は消費されるばかりで、何れは尽き果て。
 或いは、飽きられてしまうでしょうから。

 人の行動、求めるものはまちまちです。
 それらを理解し、消費する側から消費される側に立つ人を探し出して。
 人から求められるような存在へと育てていく。

 それが『場を運営する』ということの、一つだと思います。

 場の賑わいとは。
 客の多さではなく。
 商品の豊かさではないか…そんな風に考える鈴蘭です。



 冒頭に挙げた3つを、皆が等価とする。
 それが一つの理想のようにも思うのです。



■コメントのお返事
 …また後程。

独り言 その三百十二

 大きいだけの鈴蘭です。

 チームサイトの方は更新を行いましたが…。

20140216_Friends.jpg
                  (C)SEGA
□THS一同


 週末に、チームに加入したいと希望される方達との面談を行いました。
 上のSSは、終了後に記念撮影をした時の一枚です。
 タイトルは「THS一同」としていますが…実は、正確ではありません。
 加入を希望された方で、今回の面談で結論が出なかった方がおられます。

 お話を聞く中で。
 この方に関しては、場の活動の中でTHSとご自身を改めて見て頂いて。
 その上で、関係を望む気持ちが変わらずある…という時、改めてお話をしたいと思いました。

 まずはチームメンバーとして…ではなく。
 何を置いてもフレンドから…。
 いえ、場を同じくする仲間として、関係を築けたらと思います。

 『結論』と先に言い表しましたが。
 これは今後も続く関係の出発点、あるいは通過点に過ぎません。
 今回のお話の中で、思うところがあったのであれば。
 それを活かして、これから先をどうするのかを考えたいですね。



■考えすぎ?
 先日、フレさん達のお話の中で。
 『レベルが低いことが悪いことなのか?』…そんなお話がありました。

 このPSO2には、彼我のレベル差が10以上あると、取得経験値が減算されるシステムが存在します。
 これは、適正レベル帯でのプレイを奨励するためのものですが…。

 現状ではSH>VH>H…という形で、高レベル帯の人口が圧倒的に多く。
 経験値が減算されても、行けるのであれば高い難易度のクエストに行く光景が見られます。

 キャラ育成・遊び方の選択としては、採り得るもので。
 これ自体は珍しい事ではありません。

 ただ…。
 水曜に実装された強化DFにおいて。
 SHでは敵のレベルは70に設定されており、SHの受注条件であるレベル50のキャラクターとのレベル差は20にも及びます。

 …この挑戦に是非を問う声がありました。
 言ってみれば『相応でない人間が来るべきではない』…というものです。

 これに対して、一人。
 『レベルが低いことが悪いことなのか?』と、問い返されたのです。

 最近、☆11以上のアイテムの追加実装、ドロップの実質的な緩和によって。
 それらのクエストにおける、意識の集中が見られるとも聞きます。

 ドロップを効率良く狙うのであれば。
 完成されたキャラクター。
 完成された装備。
 完成された方法論で臨むべきで。

 完成に届かない事…レベルが足りない事は、即ち『悪い事』でしょうが。

 しかし、楽しみ方は人それぞれで。
 その姿が、その人の『最善』であるというのならば。
 それを『悪い事』と判断する前に。
 その人と、どう遊ぶのかを考えたいものです。

 …それこそが、鈴蘭にとっての楽しみなのですから。

 全ての人と解り合えるとは限りません。
 ただ、『人と遊ぶこと』を大切にしている人とならば。
 きっと同じ感覚を共有出来るはず…そう信じている、鈴蘭です。

独り言 その三百十一

 大きいだけの鈴蘭です。
 木曜から三連休となるので、今週最後の独り言となります。

 最近、新しくチームに迎えた皆さん。
 お互いの顔の見える関係を…と、各々がチーム内外での交流を図っておられます。

 元より、そうした繋がりを求める方の為に…と、作ったチームです。
 幸いフレさんに恵まれ、小さいながらも場を作る事も出来ました。
 折々のユーザーイベントのお誘いも頂けるようになりました。

 こうした活動の中で、新たな縁も生まれているようで。
 先日、新たに加入の問い合わせを頂きました。

 THSは、特に目立つ特徴のあるチームではありません。
 人数は両手で余る程度。
 誰もが知るような有名人が居る訳でもなく。
 ランキングなどで知れるような、知名度もありません。

 それでも敢えて…というからには。
 その理由を伺い。
 それを皆で理解し、共有して迎えたいと思います。

 変に思われるかも知れませんが。
 私が加入の打診を受けるとき。
 『この方に合うチームは何処だろうか』と、フレさんのチームを幾つか考えながら、お話を伺っています。

 場合によっては、他のチームへの紹介も考えに入れているのです。

 …THSは『最善の答え』を『出してくれる』場所ではありません。
 言い方が悪いかも知れませんが…。
 チームという『枠に収まりたい』という方には、不向きといえる場所でしょう。

 自分が『したい』と望む目的。
 その目的に足りないものを補う為の、チームという機能。
 ただ枠として在るのではなく。
 皆の手段として在るもの。

 それを求める意識が無いことには。
 おそらく、THSは不便と感じるかも知れません。

 故に鈴蘭からの問い掛けは。
 常に言外で『貴方の最善を考え、選んでください』と、言っているのです。
 あくまでも、THSは目の前にある選択肢の中の一つ。
 他の可能性を忘れないで欲しい、と。



 枠にこだわる形は、最善という訳ではありません。
 進む前に立ち止まり。
 ご自身で納得する答えを、改めて確認して。
 それからでも遅くはない…と、思う鈴蘭です。



■コメントのお返事
 …また後程。

独り言 その三百十

 大きいだけの鈴蘭です。

 いよいよ…と言うべきなのか、明日のアプデでDFさんが帰ってきます。
 予告限定でLv.70のDFさんが現れるそうですが…。

 クーナのライブに、また遅刻して来るんでしょうかね…(´・ω・`)?
 いつになったら、彼はライブが拝めるんでしょうかね…(´・ω・`)
 ああ、いや…クーナのチョコが欲しいんでしょうかね…(´・ω・`)?
 「欲しい」と言っても、もらえそうにないですけどね…(´・ω・`)

 なんか…DFさんが可哀想になってきたよ…(´;ω;`)



■考えすぎ?
 共感を得るのは、簡単なようで難しいもののように思います。
 面白さや楽しさを分かち合う機会は、思うほど少なくありません。

 ただ、分かち合った『それ』の何処に、感情を揺り動かされているのか。
 それは、他人が目で見ることの出来る表層からは、理解が及びません。

 一言に『楽しさ』と表しても。
 その感情に至る経緯が存在し、結果としての『楽しさ』がある筈で。
 それは同じものを分かち合ったとしても、人それぞれに違うと思います。

 分かち合ったものを前に。
 『楽しかったね』と同意を求め。
 『楽しかった』という答えが返ってくるとしても。
 その『楽しさ』が何であるのか。
 全く同じものを見て、感じているとは限らないでしょう。

 先日の『視点の違い』でも触れましたが。
 個々に違う個性を持った存在です。
 全く同じ思考、感情を持ち得るものではありません。
 同じものを見ても、見え方は人それぞれ。
 人それぞれに、見たものに感動を覚えるのだと思います。

 別に人と人が何かで繋がり、感動を直接的に共有している訳ではありません。

 ただ、だからこそ『同じものを見ている』という感覚は、得難いものだろうと思います。
 全く違う個性が、自身と同じ思考、感情を持っている。
 その期待から親しみが…共感が生まれるのではないでしょうか?

 しかし、たった一つ生まれた共感で、その人の全てと触れ合えるとは限りません。
 生まれたそれを、大事にすることが出来るのか。
 次の機会へと繋げ、より多く触れ合えるのか。

 共感を得る為には。
 その場その場で、その人の一部分を切り取るだけではなく。
 その人を、より広い視野で見ることが必要なのではないか。
 …そんな風に考える鈴蘭です。



 …いかん…考えたことが上手く表現出来てない気が…(・ω・;)
 もっと言い方があるんじゃなかろうか…。
 思考が上手く言葉にならない、もどかしさがぁぁぁ…;;;

独り言 その三百九

 大きいだけの鈴蘭です。

 早いもので、チームが出来て3ヶ月が過ぎました。
 当初は創設メンバー3人だけで、フレさんの居る拠点ブロックに所在なげにしていたものです。

 その頃、その拠点もフレさんが構えたばかりで。
 誰が居るという訳でもありませんでした。

 ゴールデンタイムに少し早い時間。
 出勤前にインをして。
 定位置に腰を下ろして見える風景は、以前のまま。

 しかし、時間とともに人が集まる様を見て。
 変わらない風景の中に、此処に在る意味が生まれ、育っていると実感します。

 『離席中』の地蔵は、今日も楽しいひと時を過ごせましたとさ(´・ω・`)



■考えすぎ?
 昨日触れた雛さんの「ツナDE防衛戦」。
 趣旨は既に独り言で語りました。
 面白さへの挑戦と言う意味で、個人的には大変良い企画だったと思います。
 …ただ、それだけに残念だと思う点があります。
 コレは雛さんのイベントだけでなく、現在のクエスト全般に言えることなのですが…。

 『参加の前提として、レベルや装備による明確な区切りが存在する』ことです。

 このPSO2では、メインコンテンツのクエストにおいて、難易度に応じ受注の下限レベルが設定されています。
 この為に、個人個人のゲームの進行の度合いに応じて、行けるクエストの幅は変化します。

 キャラクターのレベルという画一的、不可逆な基準で決められるため、ゲームの進行の度合いが掛け離れた人同士が、同じ遊びを、同じ視点で楽しむのは難しいと言わざるを得ません。

 ユーザーイベントとして、最近入った人(いわゆる『新規さん』)を囲んでのクエストを考えたとして。
 サブクラスやサブキャラを使い、低レア武器やユニットを装備し、使用PAやテクニックを制限したとしても。
 新規さんと先行者との間に横たわる、意識の隔絶を取り除くには至らないように思います。
 『合わせて貰っている』『合わせている』という感覚は、誰もが抱くでしょうから。

 互いが気兼ねなく遊べる遊びとは何か。
 出来るだけ多くの人が、同じ視点で楽しめる遊びとは何か。
 …イベントを企画する上で、心を砕くべき場所でしょう。
 
 しかしゲームの仕様上、レベル帯を決めれば方向性が決まってしまいます。
 参加者はレベルや装備で区切られ、参加の可否が意志に関係なく決められてしまいます。

 …ただ、今回の『ツナDE防衛戦』で思ったのです。
 このイベントにも、そうした問題は内包していますが。
 ゲームコンテンツを別角度から見ることで、レベルに関係ないクエストの楽しみ方が見えてくるのではないか。

 …漠然とではありますが。
 そんな思いを抱いた鈴蘭です。

 疑問を感じている私自身が、もっとも『出来ないこと』に囚われているのかもしれませんがね…(´・ω・`)



■コメントのお返事
 …また後程;

独り言 その三百八

 大きいだけの鈴蘭です。

 年明けに買ったはずの、PSミュージックコレクション。
 実は、店側の入荷目処が立っていないままの受注だったようで…手元に到着するまでに、今の今まで掛かってしまいました;
 …随分と待たされたものでしたが…。

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                   (C)SEGA
□音楽茶房「鈴蘭」

 ご覧のように、ようやくピアノマットを設置することが出来ました。
 ただ、他の楽器類との配置の兼ね合いもあって…なんというか「異質」な感じもします;
 また内装も考えないとですね…(´・ω・`)



■考えすぎ?
 『面白さ』と一言で言っても、その在り方は様々です。
 多くの場合、『楽しいこと』が『面白さ』なのでしょうが。
 鈴蘭は『心のゆとり』が『面白さ』なのではないか…と、思っています。

 聞きかじったお話ですが…茶の湯というものがあります。
 お茶を飲む作法…というイメージがありますが。
 かつて千利休が大成させた茶の湯とは。
 出すお茶に限らず、使う道具、茶室の内装、外界の景色や音…取り巻く全てを使い、五感全てに訴えて人を持て成すという、茶事の時間全てを一種の総合芸術とするものだそうです。

 これを聞いて思ったのです。
 今の『楽しいこと』とはなんだろうか、と。

 お茶で言うとすれば…。
 今の私達は『お茶を飲む』という、最も分かりやすい快楽を求めて、取り巻く何かを置き去りにしてはいないでしょうか?
 『お茶を飲む』だけなら、それこそ自販機で買い求めれば、安く早く楽に出来ることですが。
 …よく見聞きする『楽しいこと』は、それに通じるものを感じるように思うのです。

 果たしてそれは、本当に『楽しいこと』なのでしょうか…?

 千利休は『人と違うことをせよ』と、弟子に説いたそうです。
 身の回りにある、有り触れたものに違った価値を見つけなさい。
 そこに『面白さ』がある、と。
 
 それは、人によっては全く意味のないものかもしれません。
 …例えば日常の中、いつも使うポットを改めて見直して、新しい発見をしようとは考えないのではないでしょうか?
 改めて評価をしたところで、目の前のポットがどうなるわけでもありません。

 多くの人がポットに求めるのは、非日常の『面白さ』ではなく。
 欲しい時に湯を沸かし提供するという、日常の『機能』なのですから。



 先日、掲示板『お茶の間』の雛さん主催の、ツナ縛りのSH防衛戦イベントに参加してきました。
 …レア獲得を目指す人にとって見れば、およそ考えられないことでしょう。

 少ないチャンスをモノにするために、最善を尽くす。
 キャラを鍛え、装備を整え、戦術を練り、仲間と協力する…。 
 それは紛れも無く『楽しいこと』に違いありません。

 そうして方法論がある程度固まり、3回攻略も珍しい話ではなく、4回攻略の話も聞かれるようになりました。
 今となっては、最善を尽くす『楽しいこと』は、日常の『機能』とも言える状況です。
 …これは、極端な言い方をすれば。
 レアが出るか出ないかを『面白さ』とする、ギャンブルをしているようなものではないでしょうか?

 これも一つの形であろうとは思います。
 …ただ、少なくとも私は。
 レアを出すことそのものに、『面白さ』は感じられないのです。

 安定した方法でレアを求める…という楽しみ方がある一方で。
 どうなるかわからない方法…その方法自体を、楽しみとすることも出来るのではないか…と、思うのです。

 人の数だけ視点があります。
 同じものを見たとしても、見え方は人によって違うはずで。
 どの方向から見て、好もしいと感じるかは個人の感性です。

 違う角度から、同じものを見る人を。
 『その位置から見るのはおかしい』と否定するのは。
 見ているものが持つ『面白さ』の可能性の否定であり。
 それはやがて、自身の非日常の『楽しいこと』を日常の『機能』へと変えてしまうのではないか。

 何が正しいのか。
 何が優れているのかという話ではなく。

 人の見ているものには、その人の感じるものがある。
 ものの持つ可能性を認める『心のゆとり』。
 それが『面白さ』であり、日常に存在し得る『楽しいこと』なのかもしれない…。
 …などと考えた鈴蘭です。



 いつにも増して、とっ散らかった内容になった…(・ω・;)

独り言 その三百七

 大きいだけの鈴蘭です。

 最近、独り言を聞いて頂いている方が増えました。
 この状況は嬉しくある一方で、不安もあります。

 鈴蘭の独り言…繰り言を呟くようなブログです。
 PSO2関連のブログとしていますが、内容的に相応しいのか書いている当人ですら、甚だ疑問に思っています。

 これはプレイ日記には違いありません。
 日々アークスシップで過ごす中、感じたこと、思ったことを書いています。
 ただ、『PSO2をしていて思うこと』というよりは。
 『ネットワークゲームをしていて思うこと』という方が近いでしょうか…。

 需要の有る無しに関係なく始めたものなので。
 こうして、三百を超える記事を上げることになった今となって、改めて思うのです。

 『読んでくれてる人は、ここに何を求めてるんだろう…?』と。

 …ただ…まぁ。
 誰に聞かせるものでもないのが独り言。
 これはこれで良いのでしょうかね…(´・ω・`)



■考えすぎ?
 現在の自分は。
 過去の自分の行動の、結果としての姿であり。
 未来の自分へ向けての、出発点でもある訳ですが。

 言葉を重ねて積み上げてきたこれまでを、過去の自分と現在の自分とを繋ぐ、道筋として振り返ることが出来るのか。

 齟齬は無いのか。
 語れない部分は無いのか。

 これまでの道筋が曖昧では、先へと伸びる未来への道筋も、曖昧になってしまわないでしょうか?。

 歩んできた道が険しく、苦しいもので。
 思い返すのにも、痛みを伴うのだとしても。
 それを自分の過去として振り返り、今の自分へと通じるものと確信出来なければ、先の道行に迷いが生まれるように思います。

 『今』という時間は大事です。
 ですが…『今』という時間が、ただ積み重なって過去となり。
 今まで『今』という過去が積み重なって来た…という、経験だけが見せる未来には。
 果たして何があるのでしょうか?

 自分の在り方を確かにするには。
 未来の自分に、残せるものを持つことが大事なのではないでしょうか。
 …それが何かは、人それぞれでしょうが。
 自身が積み上げて来たものの姿を、正しく見ることが出来ない人には。
 望む未来への道は、見ることが出来ないように思います。



■コメントのお返事
 …また後程。

独り言 その三百六

 大きいだけの鈴蘭です。

 立春も過ぎたというのに、寒い日が続いています。
 というか、立春を迎えて寒くなったようにも思います(´・ω・`)

 まぁ…三寒四温ともいいますし、春に近づいている証拠なのかもしれません。
 厳しい寒さを感じる度に、春の訪れの期待が高まる。
 そんな鈴蘭です。



■考えすぎ?
 …人を理解すること。

 思考を文章化して伝える、このネットワークゲームの世界。
 果たして、その場で提示された文章を理解することが、相手を理解することになるのでしょうか?

 確かに文章そのものは、その人の意識の一部分であり。
 相手の本質に触れるための、唯一と言って良い手段ではありますが。

 相手の求めるものが、果たして何処にあるのか。
 その場で相手から示される文章だけを取り上げて、理解するのは難しいのではないかと思います。

 紙に鉛筆で点を一つ打つとして。
 その点が、紙のどの位置にあるのか。
 それを知るには、紙の縦横の端からの2つの距離が必要です。

 相手がその場で示す文章は、相手と自分の距離を示すものではありますが。
 相手の位置…相手の本質を知るには、足りないようにも思うのです。

 一次元的に相手との距離だけを問題にしても。
 相手の本質を知ることには、繋がらないように思います。

 モノの形は複雑です。
 点と点を繋ぐ線のような関係は、本来の姿を知る為の始まりでしかありません。

 これは手間の掛かる事です。
 これは時間の掛かる事です。

 しかし、相手への理解を必要とするのであれば。
 その場で示される文章を、相手の本質として思考を止めてはいけないと思います。

 自分が見ているものが、常に今の自分の位置から見える相手の一面でしかないこと。
 相手には、見えない部分に奥行きと広がりがあること。
 …自分の都合で、相手の見えない部分を無いこととしないこと。

 ひいては、その場で示される文章の、外にある広がりを考えること。

 相手の示すものの外を感じる。
 それが相手を理解する事にも通じるように思うのです。



 人を理解するということとは。
 相手との距離を一次元的に測るものではなく。
 より立体的なものではないだろうか…と、考える鈴蘭です。



■コメントのお返事
 …また後程。

独り言 その三百五

 大きいだけの鈴蘭です。

 今日はPSO2放送局がありました。
 アップデート情報の紹介があり、直近の予定などが公開されていましたが…。
 ☆11の取引解禁は、個人的には思っていたより早かったという印象です。
 今後は☆12がレアとしての位置を占め、産出する強化DFが防衛戦の上位に立つことになるでしょうか。

 …この傾向は、ある意味『当初予想されたこと』ではあります。

 先へ先へ。
 既存コンテンツを『消費』する傾向のある昨今。
 これは『まさか』ではなく、『やはり』という内容であるように思います。

 繰り返しになるので、これ以上は口にしたくはありませんが。
 何を積み上げるにしても、過去に積んだ根元を疎かにしてはならないのではないか。
 …その考えを、新たにしたように思います。



■今日のアークス
 鈴蘭は仕事帰り、フレさんと毎朝TAに行くようにしています。
 …まぁ、都合もあって『毎朝』とは行かないことも多いのですが(´・ω・`)

 今日は、いつもご一緒してくれるミウさんの体調が思わしくないということで、いつもより早めに済ませようと、その場に居たエリさんと連れ立って3人で行くことに。

 最近は、クロト銀行に加えハンスのオーダーを消化するために、SHでのTA受注が定番です。

 今日は11時に予告防衛戦。

  ミウ『それまでに終わらせて、防衛戦の後は寝る』

 …そう言った矢先のカウント0。

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           (C)SEGA
□アブダクション(SH)


 まさかのアブダクション発生(´;ω;`)

  ミウ『…まぁ、せっかくだし』

 TAはいつでも行けますが、拉致は望んでも行けるものではありません。
 折角のチャンスを、棒に振るのも勿体ないということで。
 行ってきました、SHアブダクション。

 道中に関して、私から語ることはありません。
 大きいだけの鈴蘭には、些か以上に大変なミッションでしたから…。

 こういう時は、本当に仲間の存在が頼りになります…(´;ω;`)
 ミウさん、エリさん、ありがとね…><。

 …と、まぁ、そんな訳で。

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           (C)SEGA
□ブースト鹿熊地蔵


 ご覧のように、地蔵はブーストする事になりましたとさ(´・ω・`)



■考えすぎ?
 『元鞘』…『元の鞘に収まる』なんて言いますが。
 男女の関係などで使われる言葉だろうと思います。

 鞘から抜かれた刀が、再び鞘に収まるように元通りになる…そんな例えです。

 ただ、たまに思う事があるのです。
 抜かれた刀は、戻る時に同じ姿を保っているのだろうか…と。

 抜かれたからには意志があります。
 それによって、或いは姿が変わることもあるように思います。
 再び鞘に戻すことを望んでも、そのまま元に戻るとは限らないのではないでしょうか。

 歪みがあれば正さねばなりません。
 欠け、毀れがあれば研がねばなりません。
 折れたというのであれば、接がねばなりません。

 元ある刀を打ち直してこそ、その価値があるというのなら。
 新しいものを求める前に。
 抜かれた刀の姿形を思い出すことも、必要であろうと思います。



■コメントのお返事
 また後程…。

独り言 その三百四

 大きいだけの鈴蘭です。

 鹿熊地蔵…などと言われ始めて、それなりに経ちました。
 そう言われる程度には、ここでの在り方に馴染んできた事の表れなのかもしれませんが…(´・ω・`)

 最近はイオ横丁の定位置に座り込んで、訪れてくれる人とひと時を過ごすのが常となっています。
 『誰か分からない誰かが来るかも』という予感を持って、ぼんやりと過ごす時間も良いもの…などと感じる鈴蘭です。

 ただただ、ロビーに座り込むだけの時間。
 傍目には『何をしてるんだ?』と、思われるかもしれません。

 限られた時間の中のこと。
 レベル上げに勤しむ人も居れば。
 レアを求めてクエストに繰り出す人も居ます。
 クラフトに打ち込む人も居るでしょう。

 傍目には、私は何もせずにただ時間を無駄にしているように映るかもしれません。
 しかし…私は此処に座って、確かに楽しんでいます。

 それは、ゲームそのものとは別方向にある楽しみです。

 たとえ誰がいなくとも。
 誰かが必要とする場所で、誰かの残した想いにそっと触れる。
 …この感覚を、楽しいと感じています。

 これは、思い出に浸るようなものなのでしょうか?

 …いえ、それだけでも無いように思います。
 ここで新たに出会うであろう人と、分かち合える何か。
 その未知に対する興味…そうしたものがあればこそではないか、と。
 ただの追憶ではなく。
 これは期待ではないでしょうか?

 …そんな期待めいた追憶を楽しみながら。
 三番艦の片隅、イオ横丁に腰を下ろしている鈴蘭です。



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              (C)SEGA                 (C)SEGA
□イオ横丁


 いつもこのように盛況という訳でもありませんが…。
 こうして、求める人が集まる場所へと育ちつつあります。

 幾つかの偶然によって生まれたようなものですが。
 きっかけは偶然でも、得られた縁を大事にしたい。
 …そう思います。



■コメントのお返事
 …また後程。

独り言 その三百三

 大きいだけの鈴蘭です。

 今週末は、チームの方で大きな出来事がありました。
 チームサイトや独り言ブログを見て、チームに入りたいと希望してくれたお二人を、新たにメンバーとして迎えることが出来ました。
 此処を見て、そうした行動に移って頂けるとは…;
 なんとも望外の事と思います。

 …とはいえ、喜んでばかりもいられません。
 このブログに書いているのは、鈴蘭から見たアークスシップの切り抜きです。
 読んで、共感を覚えて頂けるのは嬉しい限りですが…。 
 チームに入って頂いても、果たして独り言で書くように、お二人に映るものなのか。
 そこに不安を感じます。

 お二人とも、希望を持っての加入です。
 果たして実物は、独り言で口にするような鈴蘭で在るのかどうか…。

 …まぁ、気にしても始まらないんですが(´・ω・`)

 鈴蘭であることを変えることは出来ません。
 人から望まれる姿に…というのは、ある種の理想ですが。
 自分が自分であることを見失うようでは、それは皆に対しての裏切りにもなるように思います。

 折角、得ることが出来たご縁です。
 この共感を足掛かりに、お互いを知っていければと思います。 

 …あくまで、大きいだけが取り柄の鈴蘭として。 



■考えすぎ?
 以前、同じ事に触れましたが…。
 日々、思いを新たにしている事でもあり。
 改めて考えてみようと思います。

 コミュニケーションとは、そもそも何なんでしょうか?
 『相手との意志伝達』
 …言葉にすれば、ひどく簡単です。

 では、何をどのようにして伝えれば、コミュニケーションと言えるんでしょう?

 関係が深くなると。
 言わずとも、相手の考えている事を察することが出来るようにもなりますが。
 これは相手の考えている事が、今まさに分かるという訳ではなく。
 自身の中にある、経験から作り上げられた、相手の偶像に対する理解であって。
 今現在の相手そのものを理解している訳では無いように思います。

 『それぐらい、言わなくても分かるだろう?』
 長い付き合いの中で、耳にする言葉です。

 …その言葉は、果たして誰を見て口にしているのでしょうか。

 『言わなくても分かる』と思っている自分自身は、果たして相手の『言わなくも分かる』ことを理解しているのでしょうか?

 その言葉は、そのまま自分へと返されるものであるように思います。

 コミュニケーションとは。
 ただ言葉を発するだけではなく。
 ただ行動で示すだけではなく。
 それによって、相手の中に何が出来たのか。
 相手の中に在る自分自身を理解することではないのか。

 自分が発信することばかりがコミュニケーションではない。
 …そんな風に考える鈴蘭です。



■コメントのお返事
 また後程(´・ω・`)